実現しなかったスーパーカー 45選 後編 文字通り「夢」に終わった幻のコンセプト
TVRスピード12(1997年)
資産家でエンジニアのピーター・ウィーラー氏のTVRに対する野心が集約されている1台。1990年代の成功を踏まえ、ウィーラー氏はポルシェやメルセデスを相手にGT1耐久レースのカテゴリーに参戦しようとしていた。7.7L V12エンジンを搭載し、最高出力800psを発揮するスピード12は、そのためのツールであった。
【画像】計画中止が惜しまれるスポーツカー【ジャガーC-X75とランボルギーニ・アステリオンを写真で見る】 全50枚
実際にレースに参加したものの、ル・マンには出場できず、並行して行われた市販車プロジェクトも頓挫している。価格は18万8000ポンドで、約970psを発揮し、いくつか注文も受けたものの、ウィーラー氏は公道で使うには強力すぎると考え、予約金を顧客に返却することにしたのだ。
TVRスピード12(1997年)
フォルクスワーゲンW12(1997年)
フォルクスワーゲンは、1997年のW12シンクロを皮切りに、何度もスーパーカー開発に挑戦してきた。翌年にはW12ロードスター、そして2001年にはW12ナルドが登場した。いずれも、ベントレー・コンチネンタルGTや、高級セダンのフェートンに搭載されることになるW12エンジンを使用している。
W12シンクロおよびW12ロードスターは、5.6LのW12エンジンから420psの出力を得ていたが、W12ナルドは600psにパワーアップしている。これにより、0-97km/h加速3.5秒、最高速度340km/hを実現。「VW」のスーパーカーとして説得力のある1台となったが、結局ブガッティのエンブレムを付けることになり、エンジンもW16に変更された。
フォルクスワーゲンW12(1997年)
ベントレー・ユーノディエール(1999年)
ユーノディエール(Hunaudieres)とは、フランス語でル・マン・サーキットの一部を指す名称で、英語圏では「ミュルサンヌ・ストレート(Mulsanne Straight)」と呼ばれている。
1924年から1930年まで24時間レースを5度制したベントレーは、1999年のジュネーブ・モーターショーに出展したコンセプトカーにこの名称を与えた。このコンセプトカーが、市販車に搭載された最初のW16エンジンの公開となった。
ベントレー・ユーノディエール(1999年)
この8.0L W16エンジンは、後にブガッティ・ヴェイロンに搭載されたものである。ユーノディエールはヴェイロンと異なり、自然吸気かつ後輪駆動であったが、ある意味、ブガッティによって市販化を実現したコンセプトと言えるかもしれない。
アウディ・ローゼマイヤー(2000年)
ユーノディエールの次にヴェイロンに近づいたのは、自然吸気のW16エンジンを搭載しながらも、アウディの伝統に従って四輪駆動を採用したローズマイヤーである。
この名称は、1930年代に非常にパワフルな16気筒のアウトユニオンで活躍したベルント・ローゼマイヤー氏(1909-1938)にちなんだもの。コンセプトのデザインは、速度記録を更新したアウトウニオンに似せている。
アウディ・ローゼマイヤー(2000年)
シトロエン・オゼ(2001年)
オゼ(Osee)はフランス語で「大胆」という意味があり、マクラーレンF1のようなものを作ろうというシトロエンの野望を表現しているのだろう。ミドエンジンで後輪を駆動し、運転席がセンター、助手席がサイドのやや後方に位置する珍しい座席配置であることも、マクラーレンF1と共通している。
しかし、いくつか違いもあった。F1がシザードアであるのに対し、オゼはもっと冒険的なフロントヒンジのキャノピーを持つ。また、最高出力200psの3.0L V6エンジンは、BMW製V12よりもパワーが劣っている。最も大きな違いは、F1が限定生産されたのに対し、オゼはそうではなかったということだ。
シトロエン・オゼ(2001年)
フォルクスワーゲンW12ナルド(2001年)
ナルドは、フォルクスワーゲンの狭角VR6ユニット2基を組み合わせたW12エンジンを搭載する3台のスーパーカーのうち、最後の1台である。シンクロとロードスターで5.6Lだった排気量は、ナルドでは6.0Lに拡大され、出力も600psに引き上げられた。
その実力は、車名の由来となったイタリアのナルド・テストコースで24時間平均時速320km/h超を記録したことで見事に証明された。しかし、それを世間に知らしめるためには別の名前が必要だったかもしれない。後に発売された高級セダン、フェートンの売れ行きが芳しくなかったことから、どんなエンジンを積んでいようと「VW」のエンブレムには限界があったのかもしれない。
フォルクスワーゲンW12ナルド(2001年)
キャデラック・シエン(2002年)
シエン(Cien)はスペイン語で「百」を意味し、キャデラックの100周年を記念するコンセプトカーとしてふさわしい名称であった。シエンは、750psを発生する特別設計の7.5L V12エンジンをリアアクスルのすぐ前に搭載したドラマチックなスポーツカーだ。
米国車であるが、開発作業の多くは大西洋を隔てた英国で行われた。ロッキード・マーチンF-22ラプター戦闘機の影響を受けたスタイリングは、英コベントリーのGMアドバンスド・デザイン・スタジオで描かれ、エンジニアリング作業はそこから50km南のバンベリーにあるプロドライブ社で行われた。
キャデラック・シエン(2002年)
キャデラック・シックスティーン(2003年)
キャデラック・シックスティーンは、マーベル・コミックに出てきそうな巨大なボンネットの下に、13.6L(1万3584cccc)のV16エンジンを搭載している。オートマチック・トランスミッションを介して後輪を駆動し、最高出力1000psを発生すると謳われていた。しかも、アクティブ・フューエル・マネージメントにより、巡航中に最大12本のシリンダーを停止させて4気筒で走行することも可能で、約7km/lの燃費を実現したという。
キャデラックはシックスティーンを限定生産しようとしていたが、エンジンと開発費が非現実的であった。しかし、シックスティーンのスタイリングは、その後のキャデラック車に多少なりとも影響を与えている。
キャデラック・シックスティーン(2003年)
クライスラーME 4-12(2004年)
クライスラーはマッスルカーではなく、本格的なスーパーカーを作りたいと考えていた。2004年のデトロイト・モーターショーで発表されたME 4-12は、カーボンファイバー製のシャシーと、全体的に低くおさえたスタイリングが特徴的だ。パワートレインはメルセデス製V12ターボで、最高出力は862ps。
「クライスラー史上最も先進的なクルマ」と謳われたME 4-12は、量産も視野に入れて開発されたが、資金面で辻褄が合わなかった。そのため、ショーカーに留まった。
クライスラーME 4-12(2004年)
プジョー907(2004年)
907は、フェラーリ575Mマラネロとメルセデス・ベンツSLRマクラーレンという2台のフロントエンジン・スーパーカーに対するプジョーの回答と言えるだろう。エンジンは、重量配分の観点から前輪の後ろに縦置きされ、既存の3.0L V6エンジン2基を組み合わせて作られた最高出力500psの5.9L V12である。
フォルクスワーゲンW12ナルドと同様、マラネロやSLRの顧客がプジョーのエンブレムにどれほどお金を用意するは疑わしいところだが、市販化には至らなかったためこの疑問も消えた。
プジョー907(2004年)
フォード・シェルビーGR-1(2005年)
GR-1コンセプトは、1960年代半ばのコブラベースのシェルビー・デイトナ・クーペに似ているが(特にリアエンド)、600ps強を発生するとされる6.4L V10エンジンを搭載した、徹底的にモダンなクルマであった。
フォードは量産化を考えていなかったようだが、コブラ、フォードGT40、シボレー・コルベットを独自に製造する米フロリダ州ジュピターのスーパーフォーマンス社は、2019年1月にGR-1を販売(最高出力760psのフォード製V8を搭載)すると発表した。
フォード・シェルビーGR-1(2005年)
マセラティ・バードケージ(2005年)
2005年、マセラティ創立75周年を記念して製作されたマセラティ・バードケージは、誕生日プレゼントとしては最高の贈り物であった。ピニンファリーナがスタイリングし、マセラティの歴史上最も象徴的な「バードケージ」の名を冠したスーパーカーで、販売されていれば大成功は間違いないだろう。MC12をベースに、フェラーリ・エンツォ譲りのV12エンジンを搭載し、最高出力710psを発揮する。
1950年代のレーシングカーであるバードケージとは異なり、コックピットは完全に閉じられ、キャノピー全体を持ち上げて乗降する仕組みになっている。また、数台のカメラが設置され、車外の人たちとドライビング体験を共有することができるなど先進的な機能を備えている。しかし、コンセプトである以上、単なる夢物語でしかない。大空を羽ばたく姿は見られないのだろうか。
マセラティ・バードケージ(2005年)
マイバッハ・エクセレロ(2005年)
マイバッハ・エクセレロはデザイナーの空想の産物ではなく、350km/h以上で走ることを前提につくられた実験台だ。ドイツのタイヤメーカー、フルダがメルセデスに持ちかけたのは、最新の高性能タイヤをテストするためのクルマが必要だという話であった。その結果、マイバッハの5.9L V12ツインターボエンジンを搭載し、最高出力700psにチューニングしたエクセレロが誕生した。
最高速度350km/h、0-100km/h加速4.4秒というフルダの要求を満たすには十分なパワーを誇る。315/25ZR23のタイヤとユニークなアロイホイールが装着されている。ワンオフ車としては珍しく売却され、現在はドイツのレストア業者メカトロニック(Mechatronik)が所有しているようだ。
マイバッハ・エクセレロ(2005年)
ランボルギーニ・ミウラ・コンセプト(2006年)
その名の通り、1966年に発表されたランボルギーニ・ミウラが原型となったモデルだ。デビュー40周年を迎えたミウラは、ワルテル・デ・シルヴァ氏によって、滑らかなスタイリングを与えられた。クラシカルな外観の下にはムルシエラゴと同じプラットフォームが隠されており、6.2L V12が搭載された。
しかし、エンジンはオリジナルのように横置きではなく、縦置きとされた。販売を望む声もあったが、ランボルギーニのステファン・ヴィンケルマンCEOは、「当社は後ろではなく、前を向いている」と語り、発売を否定した。
ランボルギーニ・ミウラ・コンセプト(2006年)
アキュラASCC(2007年)
ホンダNSXの生産は2022年に幕を閉じたが、初代モデルと並んで高く評価されている。ホンダは初代の生産終了後、後継モデルの可能性を予告していた時期が長くあった。その最たるものが、米国向けの高級車部門アキュラから出されたASCCである。4.5L V10エンジンなど、興味をそそる要素を数多く備えていた。
VTECエンジンの最高出力は500psを超え、最高速度は320km以上と言われていた。四輪駆動も導入し、価格も手ごろになるはずだった。しかし、ASCCは実現されず、ホンダがファンの期待に応えるまでさらに10年を要した。
アキュラASCC(2007年)
マツダ風籟(2007年)
現在はテスラで活躍するデザイナー、フランツ・フォン・ホルツハウゼン(1968年生まれ)がマツダで線を引いた「風籟(ふうらい、Furai)」は、「これまでストリートカーとレーシングカーを区別してきた境界線を、意図的に曖昧にしている」という。マツダのデザイン哲学「NAGARE(流)」に基づく新しいボディは、スタイリングとエアロダイナミクスを重視したものだった。
エンジンはエタノールを燃料とするトリプルローターのロータリーエンジンで、最高出力456psを発生する。しかし、2008年に自動車メディア『トップ・ギア』の撮影中に唯一の実車が焼失してしまったため、現在では幻と化している。
マツダ風籟(2007年)
BMW M1オマージュ(2008年)
M1でスーパーカーを作ろうとして痛い目にあってから30年、BMWは2008年の自動車イベント「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」でM1オマージュを披露した。同イベントはクラシックカーとコンセプトカーが集うショーで、BMWがM1を売り込むのに理想的な場所だった。
結果として、M1オマージュはショーカーに過ぎなかったが、2009年のビジョン・エフィシエント・ダイナミクス・コンセプトに影響を与え、最終的にハイブリッド車のi8が誕生した。
BMW M1オマージュ(2008年)
サリーンS5Sラプター(2008年)
1983年の創業以来、多くのハイパフォーマンスモデルを世に送り出してきたサリーンだが、S5Sラプターは、かつて約18万5000ドルで販売されるという話があったにもかかわらず、コンセプトに終わってしまった1台だ。かなり高額に思えるが、ツインターボのサリーンS7と比べると、その3分の1程度に過ぎない。
このことからも、S5Sラプターは相対的にジュニアモデルと言えるが、性能的にむしろS7を凌ぐところもあった。5.0L V8スーパーチャージャーをミドマウントし、出力は650psとされている。
サリーンS5Sラプター(2008年)
ブガッティ16Cガリビエール(2009年)
現在のブガッティブランド(1998年設立)が販売するクルマはすべてミドエンジンだが、もし16Cガリビエールが量産化されていたら、歴史は少し違っていただろう。当時ヴェイロンに搭載されていたものと同じ8.0L W16エンジン(ベントレー・ユーノディエールやアウディ・ローゼマイヤーで予告)を使用するが、4基のターボではなく、2基のスーパーチャージャーを備えているのだ。
重要なことに、16Cガリビエール発売はあと少しで実現するところであった。ブガッティはもともと量産を計画しており、2016年には、当時のウォルフガング・デュルハイマーCEOが量産を再考していると報じられたが、その後何の音沙汰もない。
ブガッティ16Cガリビエール(2009年)
ジャガーC-X75(2010年)
ジャガーC-X75は2010年のパリ・モーターショーで公開された。現代的なスーパーカーでありながら、各車輪にモーターを搭載し、小型ガスタービンエンジンをレンジエクステンダー(発電機)として使用することで、電動化の流れを予見していた。このパワートレインにより、最高速度320km/h、バッテリー航続距離50kmを実現する。
F1で有名な英ウィリアムズ・アドバンスド・エンジニアリング社も開発に協力し、ジャガーはフェラーリやランボルギーニと肩を並べる存在になるかに見えた。しかし、経済情勢が逆風となり、70万ポンドという予定価格もあり、実現は不可能になってしまう。C-X75が街中を走り抜ける姿は、映画『007スペクター(原題: Spectre)』で見ることができる。中身は5.0L V8スーパーチャージャーに変わっているが、アストン マーティンとのカーチェイスはぜひチェックしてほしい。
ジャガーC-X75(2010年)
ロータス・エスプリ(2010年)
2010年のパリ・モーターショーで行われたロータスのプレスカンファレンスでは、新型エスプリを含む5つのニューモデルがコンセプト形式で発表された。エスプリは、620psの5.0L V8エンジンと7速DSGを搭載するという野心的なもので、そのスケールの大きさだけでなく、製品としての完成度の高さも注目を集めた。
エスプリのショーデビュー後、開発は順調に進んでいると言われていたが、ロータスの資金繰りが悪化し、計画の総責任者であったCEOが退任した。2014年にプロジェクトはお蔵入りとなったが、よく似た気風を持つマクラーレンMP4-12Cに匹敵する、あるいはそれ以上のスペックを備えているように見えただけに、なおさら残念であった。
ロータス・エスプリ(2010年)
ランボルギーニ・アステリオン(2014年)
アステリオンは、従来のランボルギーニのスーパーカーよりややソフトではあったが、それでも手ごわい獣であることに変わりはなかった。カーボンファイバー製モノコックはアヴェンタドールに由来し、エンジンはウラカンの5.2L V10を搭載。これに3基の電気モーターによる支援を得たPHEVとなっている。
ランボルギーニはアステリオンを「テクノロジー・デモンストレーター」と説明し、2015年まで量産モデルとして真面目に検討されていたが、代わりにSUVのウルスに注力することになった。残念ではあるが、企業として正しい選択だったことはほぼ間違いない。アステリオンがいくら面白いクルマであっても、ウルスほどの人気を得たとはとても思えない。
ランボルギーニ・アステリオン(2014年)
アポロ・アロー(2016年)
スクーデリア・キャメロン・グリッケンハウスと、ローランド・グンペルト氏によって構想されたアローは、イタリアのMAT社によって製造される予定だった。サーキット走行専用のV12モデルと、最高出力1000psのアウディ製V8ツインターボを搭載したロードカーが用意された。
両モデルともカーボンファイバー製チューブを採用し、7速シーケンシャル・トランスミッションの搭載も計画されていた。0-100km/h加速2.9秒、最高速度360km/hを謳いながら2016年のジュネーブ・モーターショーに出展された後、計画は頓挫し、アポロ・アローは無に帰した。
アポロ・アロー(2016年)