2022年7月8日、選挙演説中に凶弾に撃たれ、非業の死を遂げた安倍晋三元首相。生前、その肉声を読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏らが聞き取っていた。あまりに機微に触れる――として一度は安倍元首相が刊行を見送った36時間にわたる未公開インタビューをまとめた『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)より、「外交交渉の舞台裏」について紹介する――。

※本稿は、安倍晋三【著】、橋本五郎【聞き手】、尾山宏【聞き手・構成】、北村滋【監修】『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)の第9章「揺れる外交 米朝首脳会談、中国「一帯一路」構想、北方領土交渉 2018年」を再編集したものです。
※肩書は当時のものです。

写真=EPA/時事通信フォト
2017年2月10日、アメリカのホワイトハウスで共同記者会見を行う安倍首相とトランプ大統領 - 写真=EPA/時事通信フォト

■北朝鮮に制裁を続けるべきだと思っていた

――日本は長年、北朝鮮に対して圧力路線で臨んできました。輸出入の全面禁止や船舶の入港禁止といった制裁を行ってきたほか、ミサイル発射に対しては、国連安全保障理事会の非難決議採択を各国に働きかけた経緯があります。韓国側の説明を受けて、日本も対話路線に転換した方がいいと思いましたか。

私は、制裁を続けるべきだと思っていました。米国の軍事的な圧力は北朝鮮に効いている。だから北朝鮮は韓国の仲介に乗ってくるわけで、もう少し制裁を続けるべきだ、と。でも、トランプはそうではなかった。米朝は直前までツイッターで互いに激しく罵倒し合っていたにもかかわらず、突如として対話路線に舵を切ったわけです。3月、トランプが「金正恩に会う」と明言したので、すぐにトランプと電話で会談しましたが、トランプの頭の中は、すでにディール・モードになっていました。

■トランプ氏は米国の安全保障チームの主張を聞き入れなかった

――4月17〜18日にかけて米フロリダを訪問し、トランプ氏の別荘で首脳会談を行いました。核・弾道ミサイルの「完全、検証可能かつ不可逆的な廃棄」を目指す方針で一致したと伝えられています。

私はトランプに、「在韓米軍を撤退させてもらっては困る。米朝首脳会談をやるならば、拉致問題解決の必要性もしっかり言ってもらいたい」と述べました。「完全、検証可能かつ不可逆的な非核化」を意味するCVID(Complete, Verifiable and Irreversible Denuclearization)は、日米共通の目標であり、しっかり実現しなければならない、とも強調しました。実は会談前に、米国の国家安全保障会議(NSC)のメンバーから、「ミスター安倍からトランプに、しっかりCVIDを守るように言ってほしい」と繰り返し要請されていたのです。トランプは米朝首脳会談に前のめりになっていたので、米国の安全保障チームの主張を聞き入れようとしなかったのでしょう。

でも、この時の会談で、トランプは私の話に対して「分かった」とは言わないのです。大きなディールを控えている時に、俺の背中に荷物を乗せるな、という感じでした。

■警戒されていたが、じつは軍事行動に消極的な人物

――史上初の米朝首脳会談は6月12日、シンガポールで行われました。日米首脳は電話会談を繰り返し、6月7日には、ワシントンで再び直接会談しました。頻繁に連絡を取り合ったのは、トランプが安易に妥協して北朝鮮と関係を改善することを危惧したからですか。

日米が北朝鮮への圧力を主導する。そういう政策を何とかトランプに取ってもらいたかったのです。私は「金正恩が最も恐れているのは、突然トマホークを撃ち込まれて、自分の命、一族の命が失われることだ。武力行使のプレッシャーをかけられるのは、米国だけだ」とトランプに言い続けました。

トランプは、国際社会で、いきなり軍事行使をするタイプだ、と警戒されていると思いますが、実は全く逆なんです。彼は、根がビジネスマンですから、お金がかかることには慎重でした。お金の勘定で外交・安全保障を考えるわけです。例えば、「米韓合同軍事演習には莫大(ばくだい)なお金がかかっている。もったいない。やめてしまえ」と言うわけです。

2018年6月12日、米朝首脳会談で握手をするトランプ大統領と金正恩委員長(写真=Dan Scavino Jr./PD-USGov-POTUS/Wikimedia Commons)

■日本海への空母打撃群派遣に反対していた

米軍が2017年、日本海周辺に空母打撃群を派遣した時も、トランプは当初、私に「空母1隻を移動させるのに、いくらかかっているか知っているか? 私は気にくわない。空母は軍港にとどめておいた方がいい」と言っていたのです。

確かに、空母打撃群は、空母1隻に加えて、イージス艦や補給艦など数隻の艦艇と、潜水艦や約70機の航空団などで編成されているので、それらの移動には相当の経費がかかるでしょう。でも、私は「いや、空母をパールハーバーやサンディエゴ、横須賀の港に置いておくだけでは、空母の意味がないでしょう。空母打撃群は、海洋で活動するためにあるのです。大西洋、太平洋、インド洋、アラビア海。アメリカの戦略的な利益に合致する場所にいるべきです。たまたま今はその場所が、日本海だということです」と反論したのです。

そうしたら、トランプは、国家安全保障担当大統領補佐官のハーバート・マクマスターに向かって、「マクマスター、どうなんだよ」と。マクマスターは「安倍さんの言う通りです」と答えていました。それでもトランプは「俺は納得がいかない」とぶつぶつ言っていました。何とかその場は収めてもらいましたが、苦労しました。

■トランプ氏の本性を隠しておこうと必死だった

しかしもし、「トランプが実は軍事行動に消極的な人物だ」と金正恩が知ってしまったら、圧力が利かなくなってしまいます。だから、絶対に外部には気づかせないようにしなければならなかったのです。「トランプはいざとなったらやるぞ」と北朝鮮に思わせておく必要がありました。私だけでなく、米国の安全保障チームも、トランプの本性を隠しておこうと必死でした。

米朝首脳会談前に繰り返し対話したのは、CVIDを堅持しようとしたためです。でもなかなかうまくいかない。4月27日に南北首脳会談があり、金正恩は初めて板門店(パンムンジョム)の軍事境界線を越えて韓国に入りました。文在寅韓国大統領は「もう戦争は起きない。朝鮮戦争の終戦を目指す」と言い、米朝首脳会談に向けた環境を整えようとしたわけです。私はトランプに「文在寅は楽観的過ぎる」と言ったのですが、分かってもらえなかった。

金正恩委員長と文在寅大統領(写真=Cheongwadae/Blue House/KOGL/Wikimedia Commons)

■拉致問題の提起を優先しようと決めた

そこで私は、米朝会談の直前、論点を絞ったのです。CVIDは、そもそも世界が共有している基本的な方針だから、トランプへの要請から外そうと。日本としては、拉致問題の提起を優先しようと決めました。

私はトランプに、「拉致問題を解決できなければ、北朝鮮支援の金を出せといわれても、日本は出せない。日朝の国交正常化は、普通の国同士の正常化とは事情が全く違う。日本は税金を使って、過去の清算をしなければならない。国民の納得感が得られなければ、支援は無理だ」と話しました。「かつて韓国が『漢江(ハンガン)の奇跡』と呼ばれる経済成長を達成したのも、1965年に結んだ日韓請求権協定・経済協力協定に基づいて、日本が5億ドルを援助したおかげだ」ともね。するとトランプは、日本が北朝鮮を支援するという話に興味を示したんです。

■歴史に名を残すことを考えていたトランプ氏を止められなかった

――米朝首脳会談では、CVIDが共同声明に盛り込まれませんでした。北朝鮮が「完全な非核化」に取り組む代わりに、米国は北朝鮮の体制の「安全の保証」を約束しました。ミサイル問題が事実上放置されてしまいました。

私は核兵器だけでなく、ICBMや中距離ミサイル、生物兵器もすべて廃棄させるべきだとトランプに言っていましたが、トランプは聞く耳を持たなかった。彼にとって、外交は新しい分野であり、北朝鮮問題に長年携わってきたわけでもない。歴史に名を残すことを考えていたトランプを、米国務省、ホワイトハウスの安全保障チーム、そして私も、止められなかったのです。

――米朝首脳会談を踏まえ、安倍さんは「拉致問題について北朝鮮と直接向き合う」と述べるようになり、金正恩との直接会談に意欲を示し始めました。対米追従、対米従属といった見方も出ましたが、どう受け止めていましたか。

対米従属と言われても、米国が米朝首脳会談をやるという決断をしてしまったら、変えられません。トランプの思考は、我々の考えている論理とは違うから、交わらなかったのです。現実に米朝首脳会談が行われるのであれば、それを前提に、我々は最良の選択をするしかなかったのです。米国を批判したって、何の実利も生まれない。ならばこの機会を利用して、拉致問題を何とか前進させることを考えなければならない。トランプは19年2月にもベトナムで金正恩と会談しましたが、その時も拉致問題を取り上げてくれました。

■拉致問題に言及してもらうことが大切だった

南北首脳会談では文在寅が、19年6月の中朝首脳会談では習近平中国国家主席が、ともに拉致問題の解決を金正恩との会談で提起していました。外交は一対一だけではない。米国だけを見ていても、うまくはいきません。各国にそれぞれ思惑がある中で、多元的に進める必要があります。

「安倍も所詮、米国頼みかよ」と言われたのだけれど、米国は、日本にはできない戦力投射をやれるわけでしょう。私が、用心棒役のトランプと良好な関係を築いて、「大統領、いざという時は頼みますよ」とお願いすることは、北朝鮮にとっては脅威なわけです。

私が北朝鮮に「この野郎、ふざけるな」と言ったって、北は、日本が軍事行使できないことを知っているから、「お前なんか、どうせ弱いだろう」と、日本の足元を見てくる。だから、トランプに踏み込んでもらって、彼の口から拉致問題に言及してもらうことが大切だったのです。そうすれば、北朝鮮も日本との関係を正常化しなければならないという意識が強まるでしょう。

■「交渉の情報はすべて私に集約し、判断は私がする」

――18年の夏から秋にかけては、北村滋内閣情報官が、モンゴルやベトナムで北朝鮮の情報部門である朝鮮労働党統一戦線部幹部と接触した、と繰り返し報じられました。北朝鮮との交渉にはどのような方針で臨んだのですか。

北朝鮮は独裁政権ですから、外務省の局長や閣僚レベルで協議を重ねて、首脳合意につなげていく、という一般的な外交交渉が通じません。独裁者1人が判断するのだから、独裁者に近い人物に接触し、日本側の考えを正確に伝えていくことが重要になります。

拉致は犯罪ですから、基本的に北朝鮮の外務省のテリトリーではないのです。工作員やスパイの情報を扱っている情報部門を交渉相手にしなければならない。その中で、金正恩や、妹の金与正に近い人物を探ったわけです。

安倍晋三【著】、橋本五郎【聞き手】、尾山宏【聞き手・構成】、北村滋【監修】『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)

もちろん北朝鮮外務省の中にも、日本との交渉は大事だと考えている人物がいました。例えば、外交官の宋日昊(ソン・イルホ)国交正常化交渉担当大使は、危ない橋は渡ろうとはしないけれど、交渉をまとめようという意欲がありました。日本と関係を改善し、02年に小泉純一郎首相と金正日国防委員会委員長が合意した日朝平壌宣言を履行することになれば、北朝鮮は大きな経済協力を引き出せるわけです。宣言には、無償資金など様々な経済協力が盛り込まれていますから。

使えるルートはすべて使う。そして、交渉の情報はすべて私に集約し、判断は私がする。そういう考えで臨んでいました。

ただ、時を経るごとに交渉が難しくなっていくとも感じていました。拉致に関与した関係者は、いなくなっていくわけですから。発生当時にもう少し政治が適切に対処していれば、と悔やまれます。

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安倍 晋三(あべ・しんぞう)
元内閣総理大臣
1954年東京都生まれ。成蹊大学法学部政治学科卒業後、神戸製鋼所勤務、父・安倍晋太郎外相の秘書官を経て、1993年衆議院議員初当選。2003年自由民主党幹事長、2005年内閣官房長官などを歴任。2006年第90代内閣総理大臣に就任し、翌年9月に潰瘍性大腸炎を理由に退陣。2012年12月に第96代内閣総理大臣に就任し、再登板を果たした。2020年9月に持病の悪化で首相を退くまでの連続在職2822日と、第1次内閣を含めた通算在職3188日は、いずれも戦前を含めて歴代最長。2022年7月8日奈良市で参院選の街頭演説中に銃撃され死去。享年67。
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橋本 五郎(はしもと・ごろう)
読売新聞特別編集委員
1946年秋田県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。読売新聞論説委員、政治部長、編集局次長を歴任。2006年より現職。主な著書に『総理の器量』『総理の覚悟』(以上中公新書ラクレ)『範は歴史にあり』『宿命に生き運命に挑む』『「二回半」読む』(以上藤原書店)など。2014年度日本記者クラブ賞受賞。
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尾山 宏(おやま・ひろし)
読売新聞論説副委員長
1966年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒。1992年読売新聞社入社。政治部次長、論説委員、編集委員を歴任。2022年より現職。主な共著に『安倍晋三 逆転復活の300日』『安倍官邸VS習近平』(以上新潮社)『安全保障関連法』(信山社)『時代を動かす政治のことば』(東信堂)など。
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北村 滋(きたむら・しげる)
前国家安全保障局長
1956年東京都出身。東京大学法学部を経て、1980年警察庁入庁。2006年内閣総理大臣秘書官、2012年内閣情報官、2019年国家安全保障局長・内閣特別顧問(いずれも安倍内閣)。2020年米国政府から国防総省特別功労章を受章。著書に『情報と国家』『経済安全保障』(以上中央公論新社)など。
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(元内閣総理大臣 安倍 晋三、読売新聞特別編集委員 橋本 五郎、読売新聞論説副委員長 尾山 宏、前国家安全保障局長 北村 滋)