復帰戦のリングに立ち、試合前に応える井上浩樹【写真:浜田洋平】

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井上浩樹の現役復帰を後押し、尚弥「ボクシングは今しかできないよ」

 ボクシングの元日本スーパーライト級(63.5キロ以下)王者・井上浩樹(大橋)が16日、東京・後楽園ホールの同級ノンタイトル8回戦でパコーン・アイエムヨッド(タイ)に2回0分38秒TKO勝ちした。一度引退し、2年7か月ぶりの現役復帰戦。前世界バンタム級4団体統一王者・井上尚弥と拓真兄弟をいとこに持つ30歳には、復帰を決断するまでに尚弥の言葉や葛藤があった。戦績は30歳の井上が16勝(13KO)1敗、27歳のアイエムヨッドが4勝(4KO)1敗。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 2年7か月の空白は無駄じゃなかった。初回から鋭いジャブで攻撃。「全ての調子がいい。こんなに良くていいのかなって怖いくらい」。終了間際に左ストレートでダウンを先取した。2回もワンツーで攻め立てると、最後は前に出た相手にカウンター。左ショートで仕留め、前のめりに倒した。会場から「浩樹」コールを沸かせる完勝。アニメ柄の法被に袖を通し、歓声を噛み締めた。

「引退前より確実に強くなっている。ただいまって感じですね。今までで一番練習できたので、それが報われなかったらどうしようと思っていた。勝って安心しました」

 世界では競技人口が多く、日本人には厳しい道のりとされる階級。そこに風穴を空けるのではないかと逸材の期待を集めた。子どもの頃から一緒に練習してきた、いとこの尚弥、拓真兄弟が先に活躍し、付いた異名は「井上一族の最終兵器」。2019年4月、デビュー13連勝で日本王座を奪うと、同12月にはアジアパシフィック王座を手にした。海外進出も目前だった。

 だが、引退は突然だった。

 20年7月に永田大士(三迫)との日本王座2度目の防衛戦。右目の腫れと裂傷により、7回負傷TKOでプロ初黒星を喫した。左手の痛みもあり、グラブを吊るす決断をした。当時28歳。周囲やファンを驚かせ、「もったいない」「まだ見たい」の声が多く上がった。

 アニメとゲームが大好きなオタクボクサー。入場曲も格闘技に似つかわしくない可愛いアニメソングを使う。引退後は漫画家としても活動した。井上家をモチーフにした「闘え! コウキくん」の単行本を出版。ボクシング界以外の人たちと出会い、「二度と後悔をしないように」と第二の人生にチャレンジした。

 そんな最中にも、尚弥が世界に名を轟かす。2度行われた米ラスベガスの防衛戦は、生活や精神面をサポートするため、浩樹が同行した。リングの外から見たのは世界を魅了し、輝きを放つモンスター。「心が動かされることが多かった」。元ボクサーとして羨ましくなったが、中途半端な気持ちではできない。モヤモヤに蓋をした。

 新たに出会った人たちは、現役時代を知らない。「試合を見てみたかった」と何度も言われた。尚弥の運転手を務めると、ジムの送迎時に毎日のように車内でつつかれる。「もう一回見てみたい」「やっちゃおう」「いつ復帰すんの?」。身内の戦友から飛んでくる言葉のジャブ。とどめの一撃も効いた。

「漫画はいつでも書けるけど、ボクシングは今しかできないよ」

 一つひとつに気持ちが入っていた。

大橋会長「天才。井上家で一番才能があるのは浩樹」

 最後のひと押しはアニメだった。昨年1月公開の劇場版「BanG Dream! ぽっぴん’どりーむ!」。バンドを組む女の子たちが海外フェスの夢を追いかける姿に、気持ちを抑え続けた蓋が吹っ飛んだ。「自分は夢を守れているのか。いてもたってもいられなかった」。レイトショーから帰宅後、すぐに夜道をロードワーク。翌日、尚弥に決意を告げると、「アニメを見て復帰って、アホか」と突っ込まれた。

 覚悟を固め、再び向き合ったボクシング。1年半のブランクは大きかった。スタミナがない。足の筋力低下により、パンチを打つと体がブレてしまう。過酷と知られる元世界3階級制覇王者・八重樫東氏のトレーニングに弟子入り。筋力アップに励んだ。

「今まで以上の下半身を手に入れた。自分でもどうなるか怖いくらい」。サウスポーだが、右利き。左手の感覚を磨くため、箸、ペンなども左を使い、自分は左利きだと自分に言い聞かせた。

 以前は怪我に悩まされ、万全の状態で試合に臨めないことが多々あった。引退後に怪我の詳細をツイッターで明かすと、面識のない整体師から「治せるかも」とメッセージ。身を預けると痛みが消え、今も助けをもらう。「恩人です」。休んでいた間に左手の怪我も完治。一度リングから離れたからこそ、得たものが多かった。

「怪我をしそうになっても、体のケアをしてくれる。だから、逆に体の心配をしなくなった。気にせず練習できるようになったのは大きい。負けてから練習の質、姿勢も変わった。今回の試合は今までで一番練習できたと思います。心の整理もできたし、凄く有意義な時間だった」

 復帰までの過程を知る陣営の大橋秀行会長も目を見張る。

「今まで怪我があったので(練習内容が)酷かったんです。今回の練習は凄かった。天才というのはこういうことなのか、と。井上家で一番才能があるのは浩樹です」

 この日はリングサイドから尚弥、拓真も嬉しそうに応援。前日に「全力でいける」と宣言した通り、早々にぶっ飛ばした。「今後のテーマは『変われる強さ、変わらぬ想い』。かっこいいっすよね」。人気ゲーム「テイルズ・オブ・エターニア」のキャッチコピーを胸に秘めた。

「やるからには世界チャンピオンです。そこを目指さないとダメでしょ」

 厳しい道のりだからやらない、そんな選択肢は井上一族の人生にはない。

(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)