世界が驚愕の「旅客機宙返り」伝説が始まり? ボーイング最初のジェット旅客機が生まれるまで
アメリカの航空機メーカー、ボーイング社が手掛けた初のジェット旅客機「707」は、どのように生まれたのでしょうか。その経歴をたどると、さすが“元祖”といえるような、ユニークなエピソードが出てきます。
1957年12月20日初飛行
アメリカの航空機メーカー、ボーイング社が手掛けた初のジェット旅客機「707」。1957年12月20日に初飛行したこの機体は、“ジェット旅客機の元祖”ともいえるモデルのひとつです。この機は「ダッシュ・エイティ」と呼ばれた367-80を改修したものです。
ボーイング707(画像:ボーイング)。
まずは707のスペックを見ていきましょう。707は、ジェット旅客機の標準型ともいうべき形状をした、推進用のエンジンを4基装備した旅客機です。全長は約45m、全幅は約40mの大きさで、最大181人の乗客を乗せることができます。航続距離は、ほぼ大西洋横断やアメリカ大陸横断が可能な約6000kmです。
そして、飛行速度は時速約1000kmに迫り、たとえば“プロペラ旅客機の傑作”と呼ばれたダグラス社の「DC-6」の巡航速度は時速約450km(JALのDC-6Bの値。公式ページより)ですから、いかに高速だったかがわかります。
先述のとおり、707の祖である試作機には、「367-80」という名称がつけられていました。これは、ボーイング社がジェット旅客機を開発していることを隠すために、プロペラ旅客機に用いられてた300番代のモデル名を割り当てたとされています。
367-80は1955年8月7日に初飛行。ここではオールド航空ファンのなかでは“伝説”として語り継がれているフライトが繰り広げられました、機体を横に倒して裏返しさせ、戦闘機でおなじみ「バレル・ロール」を観客の目の前で披露し、機体の性能をアピールしたのです。
367-80と707はどこが違う? 型式名が「707」となったワケ
その後、367-80をベースとし、航空会社からの要望にこたえ、胴体を大型化するなどの改修を加えられた旅客機が707です。同型機の仕様は、ライバル機であるダグラス社のDC-8を大いに意識したと窺えるものとなっており、DC-8と比べても広い客室や、時速32km速い巡航スピードなどがアピールされました。
ボーイング社はジェット旅客機の型式に空き番であった700番代を付与することに決め、最初の707は当初「モデル700」という番号を与えられました。ただ、このモデル番号は同社のマーケティング部門の意見を踏まえ「707」に。以降同社のジェット旅客機は、7で始まり7で終わる3桁のモデル番号があてがわれることになりました。
ボーイング707の原型、ボーイング367-80(画像:ボーイング)。
707は、その後1958年にパン・アメリカン航空(パンナム)で就航。最終的には900機弱生産されたヒット機となりました。ちなみに、ライバル機であったダグラスDC-8は600機弱が製造されています。
一方日本では、JAL(日本航空)はそれまでのダグラス社との提携関係からかDC-8を採用。国内航空会社で707を採用したエアラインはありませんでした。ただ、羽田空港などの国際空港ではパンナム機などを始めとして707が日常的に運用されており、ジェット・エンジンから排出される黒い排気ガスが見られたものです。
同社のジェット旅客機における“礎”を築いた707ですが、その名残は、実は65年たった現代のボーイング社の旅客機にも残っています。707の胴体設計は、後発のジェット旅客機たちにも継承。3発ジェット機の727、そして2021年現在も日本、世界の空で数多く飛んでいるベストセラー機「737」が、707の胴体設計を引き継いだものとなっています。