全国には企業に由来する地名が多く存在します。カタカナの企業名やブランド名がそのまま町名になっているケースもありますが、トヨタは別格かもしれません。

スバル町もダイハツ町もある! がトヨタは…

 全国には企業に由来する地名が多く存在します。カタカナの企業名やブランド名がそのまま町名になっているケースも。そうしたユニークな例を5つ紹介します。


愛知県豊田市のトヨタ本社付近(画像:Google)。

地元じゃトヨタは別格だ!

 トヨタ自動車の本社所在地は「愛知県豊田市トヨタ町」といいます。町名はもちろんですが、「豊田市」自体もトヨタがベースになっています。

 もととも豊田市は「拳母(ころも)市」といい、名鉄の駅名として拳母の名は今も残るほか、かつては名鉄拳母線もありました。豊田市への改称は1959(昭和34)年のこと。拳母の街がトヨタによって全国有数のクルマのまちに成長したことと、その地名が読みづらいという理由で、自動車産業とともに発展する願いを込めて豊田市に変更されました。トヨタ町もそのときに成立しています。

 愛知県内には他にも、「刈谷市豊田町」や「高浜市豊田町」もありますが、これらの読みは「とよだ」。豊田自動織機や創業家である豊田(とよだ)家にちなんでいます。

 自動車関連では、「群馬県太田市スバル町」や、「大阪府池田市ダイハツ町」などもあるものの、市名にまでなっているのは、トヨタだけでしょう。

東北にもトヨタ由来が?

「宮城県黒川郡大衡村中央平」。これも実は、トヨタ関連に由来する地名です。ここは、トヨタ自動車東日本の本社所在地となっています。

 同社の前身のひとつ「セントラル自動車」が、大衡村に新工場を開設するにあたり、所在地の地名として名づけられました。

 村の産業振興課によると、当時の関係者のあいだでは、中央平という地名はセントラル自動車の意味合いを含んでいる認識だそうです。ただ、村の広報誌(2010年1月号)では、「大衡村が宮城県の中央部、当地が大衡村の中央部に位置しており、これからの産業振興の拠点(中心)となることを期待して」決定したと記載されているため、時間が経つにつれ命名の背景を知らない人が増えていくのでは、ということでした。

 工場開設の翌年、2012年に、セントラル自動車はトヨタ自動車東日本となり、現在は「ヤリス」や「ジャパンタクシー」などを生産しています。

バイクメーカーだって地名に!?

 メーカーというより「財閥」由来といえるものもあります。

全国にある「川崎」

 トヨタ以外にも、企業由来の地名が全国に複数あるケースも。そのひとつが「川崎」です。

「岩手県久慈市川崎町」「千葉県中央区川崎町」「愛知県半田市川崎町」「岡山県倉敷市水島川崎通」、これらはかつての「川崎製鉄」に由来します。川崎重工業から分離独立して成立した、現在のJFEスチールの前身のひとつです。

「岐阜県各務原市川崎町」と、「同市鵜沼川崎町」は、いずれも「川崎航空機」に由来。両地とも近接していますが、後者は旧鵜沼町に属しており、もともとは別々の自治体に付けられた地名です。これは当時、両町にまたがって川崎航空機の工場があったからで、いまでは同じ各務原市内の地名になっているものの、やはり現在でも川崎重工業の岐阜工場があります。

 一般にもなじみ深いカワサキのバイクをつくる川崎重工業明石工場の住所は「兵庫県明石市川崎町」。船舶関連の坂出工場は、「香川県坂出市川崎町」となっています。


カワサキZ250。バイク販売部門のカワサキモータースジャパンも明石市川崎町に所在(画像:カワサキモータースジャパン)。

駅もあった「セメント町」

「セメント町」という地名が、全国に2つあります。そのひとつが、「山口県山陽小野田市セメント町」です。小野田は小野田セメント(現・太平洋セメント)の創業地。セメント町はJR小野田線の南小野田駅付近の住所ですが、この付近には昭和初期まで「セメント町駅」も存在しました。

 これ以外にも山陽小野田市には「硫酸町」「火薬町」といった、“製品そのもの”な地名が。硫酸町は日産化学工業小野田工場に、火薬町は日本化薬の厚狭工場に由来します。ただし小野田にある太平洋マテリアルの工場では現在、セメントは造られていません。

 もうひとつのセメント町は、「大分県津久見市セメント町」です。こちらも小野田セメントを中心にセメント産業が発展していったことから、1967(昭和42)年にセメント町の名がつきました。

あった! 鉄道会社由来の地名

 鉄道会社に由来する地名もあります。

「北海道上川郡新得町拓鉄」。拓鉄とは、かつてこの地を走っていた北海道拓殖鉄道の愛称です。

 拓鉄は新得駅から東の上士幌までを結んでいた私鉄で、路線は1968(昭和43)年に廃止。とはいえ、会社自体は存続しているほか、バス部門は北海道拓殖バスとして、いまも旧拓鉄沿線や帯広などで路線バスを営業しています。


北海道拓殖バス。もともと北海道拓殖鉄道のバス部門(画像:北海道拓殖バス)。

 地名としての拓鉄には現在、「拓鉄公園」があります。新得町図書館によると、かつての鉄道用地や拓鉄の事業所などの土地が新得町に寄付され、公園として整備されたことに由来するそうです。