川合俊一会長が進める日本バレー改革。人気復興のため協会・選手は何をすべきか?「目立つことをやる選手が現れれば…」
日本バレーボール協会
川合俊一会長インタビュー 前編
今年3月、日本バレーボール協会の新会長に川合俊一氏が就任することが発表され、大きな話題を呼んだ。選手時代には日本代表として2度オリンピックに出場。現役を離れたあと、バレーボールのみならずさまざまな分野で活躍してきた川合会長だけに、日本バレーのさらなる発展が期待されている。
インタビュー前編では、会長に就任するまでの経緯、バレー人気を高めるために必要だと考えていることなどを聞いた。
今年3月に日本バレーボール協会の会長に就任した川合俊一氏
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――現役を引退後、解説者やタレントとしても活躍されていた川合さんの会長就任は驚きでした。あらためて、経緯を教えていただけますか?
「まず今年2月くらいに、会長選考委員会で候補が20人くらい挙がっていて、『その中に川合さんもいます』と言われました。それで強化を担当するのはこういう人がいいんじゃないか、といったことを話して、それで終わるかなと思ったら『もう1回お話ししたい』と。その時に正式に会長候補になっていると伝えられたんですが、『忙しいので無理です』と一度は断ったんです。
それに、もし会長になるとなったら、僕はいろいろなところに許可をとらないといけないですしね。一番はトヨタ自動車。社員(トヨタ自動車ビーチバレーボール部GM)なので豊田章男社長にOKをいただかないとできない。それと会長をやる場合の諸条件も出したのですがあまり通らず、どんどん時間がなくなっていきました。ただ、4月になっても会長が決まっていないというわけにはいかないので、3月の理事会で決めて発表しないといけなかったんです」
――2回目の話し合い時にはもう、川合さんが会長になる方向で話が進んでいたんですね。
「『他にもいるでしょう』って言ったんですけどね(笑)。協会側としては、経営経験がある人がよかったようなんです。僕は1994年から芸能事務所(ケイブロス)をやっていますから。それにトヨタ自動車の社員として、コンプライアンスの厳しさも理解しています。
あとは日本代表でプレーした経験、バレーボール協会の理事や評議員の経験、芸能界での活動なども踏まえてのことでしょう。経営とバレーのどちらかを知らない、コンプライアンスを守る立場になったことがない人ではダメで、『川合さんの他にはいない。1分の1です』と説得されて『わかりました』となりました。
本当はやりたくなかったけど、僕は昔から周囲に押し切られることが多くて......中学校でも囲碁将棋部かブラスバンド部に入りたかったのに、親父に『お前スポーツをやれ』と言われてバレーボールをやることになりましたしね」
――押しに弱い部分があるんですね。
「タレント活動でもそうですよ。例えば、番組の司会などをやると視聴率も考えなきゃいけなくなる。だから僕は『コメンテーターがいい』と言ったのに、『いや、司会者で』と言われて引き受けちゃう。それで、同じ時間帯の番組の中で視聴率1位になるまでやるとかね。
会長に就任することが決まった時も『長くなるな』と思いました。2、3年ごとに会長が代わっていては信頼を得られない。それはスポンサー回りをした時にも言われました。
それで覚悟を決めて、長く会長を続けるための組織作りから始めました。会長として一番難しいのは"決定すること"。いろんなプランやアイディアを出すスタッフはいっぱいいるんですけど、何を採用するのか。どうしても及び腰になる部分ですが、その役割をしっかり果たしていきたいです」
――川合さんが現役選手だった頃は、今よりもバレー人気がものすごかったように思います。
「あの頃にバレーが人気になったのは、雑誌の影響が大きかったですね。バラエティ番組などは出られなかったですし、テレビに出る時は試合とインタビューだけ。だから雑誌から攻めて、『セブンティーン』、『明星』、『平凡』などがバーッと取材してくれた。それで野球をもしのぐくらいの人気が出ました。『スポーツ選手なのにパンチパーマでも角刈りでもない、ちょっとおしゃれな奴が出てきたぞ』という感じだったんでしょうね。
僕は服飾のデザイナーとも仲がよかったので、ファッションショーで使ったものなどを着ていました。通っていた明大中野高校は芸能人もいっぱいいたし、『あの服かっこいいな』と真似して着ることもあったり。当時のスポーツ選手は、ジャージ以外はポロシャツと紺のスラックスみたいな世界でしたから、やっぱり目立ちますよね」
――それで女性ファンが一気に増えましたね。
「雑誌に取り上げられるようになってから、女性ファンが試合会場にもたくさん来るようになりました。そうすると、お目当ての選手以外のファンにもなるんですよ。僕を応援しにきた人が熊田康則や、井上謙のファンにもなったりその逆もあったり。本当にどこに試合をしにいってもファンがいっぱいいました。 "スポーツマンっぽくない"からこそブームになったんでしょう。日本バレーボール協会が戦略的にやったわけではないですけどね。
これまで協会は、バレー人気を上げるための活動が活発じゃなかった。例えば"メグカナ"といったキャッチフレーズがあるだけでも人気は上がるものですが、そういうものもマスコミがつけていましたからね。2015年に男子バレーで人気になった"NEXT4"も、マスコミと当時の監督が一緒に考えて出したものですし」
――今後は、協会もより積極的に施策を実行していくんでしょうか。
「それはもちろんですが、選手個人の人気を高める頑張りも必要だと思います。MLBの大谷翔平選手だって、所属チームのロサンゼルス・エンゼルスが人気者にしようとしているわけではなく、大谷選手の圧倒的なパフォーマンスがあってこそ。昔だとカズ(三浦知良)も、サッカー協会が何かをやったわけではなくて、自分でスーツを揃えるなどプレー以外のところでも存在感を出していた。
1、2人でも、今の時代に合った目立つことをやる選手が現れると、注目度はかなり上がるはず。ここ最近は男子バレーも強くなってきて、正当な形で人気が出てきているのを感じます。僕が選手だった時も弱くはなかったんですが......毎年、日ソ対抗と日米対抗というのがあって、世界のトップとの試合だから勝てないわけです。あんな試合をしていたのに、よくファンの人はついてきてくれたなと思いますよ」
――苦しい試合を毎年のように見ていたら、ファンも心が折れそうですね。
「選手たちも折れますよ(笑)。せめてブラジルやポーランドなど、日本と強さのバランスが釣り合った国と試合がしたかったですね」
――川合さんは会長に就任された際、「SNSを活用していく」と話していました。実際に、バレーボール協会のSNSの投稿が非常に活発になりましたね。
「そこは広報に指示して、どんどん動画も出していこうと。女子の眞鍋(政義)監督と男子の(フィリップ)ブラン監督にも、現場に広報が入っていくことをオッケーしてほしいと伝えました。あと、合宿中の忙しい時は難しいでしょうけど、選手にはインタビューも積極的に受けてほしい。そういった協力要請をいくつもして、両監督とも快諾してくれました。
広報が現場にいれば、取材陣もいろいろな話が聞けるはず。昔はすごく気を遣っていたと思うし、今はナショナルトレーニングセンターも、コロナ禍の影響でなかなか取材が難しくなってしまっています。僕たち内部の人間でさえ人数制限があるくらいですが、落ち着いたらどんどん取材に来てもらいたいですね。
特に合宿の取材ができて、それを発信してもらえると世間の反応も違うと思うんですよ。『これから、何かバレーの大会があるんだな』となるでしょうし。インタビューでは、選手たちのコメントを規制しないようにしたいですね。ちょっと刺激的なことを言う選手もいますが、全部ダメにしちゃうと面白くない。選手のさまざまな権利関係も含め、レクチャーする機会を作ることも考えています」
(後編:今年度のバレー日本代表をどう見たか。女子は新戦力に驚きと期待。男子は安定感が増してミドルも「いい感じ」>>)
【プロフィール】
川合俊一(かわい・しゅんいち)
1963年2月3日、新潟県生まれ。身長195cm。中学からバレーボールを始め、ジュニア時代から日本代表チームの一員として国際試合に出場。日本体育大学在学中に、学生として初めて日本代表のレギュラーに選ばれ、ロサンゼルス五輪、ソウル五輪に出場した。富士フイルムでもチームを牽引。現役引退後はビーチバレーボールのプロ選手を経て、スポーツキャスターや解説者、後進の指導のほか、バラエティ番組や会社経営など幅広く活躍。2022年3月、日本バレーボール協会の会長に就任したことが発表された。