ドイツ巡洋戦艦「グナイゼナウ」進水-1936.12.8 最期は自沈も一部砲塔は現存
ドイツ海軍の巡洋戦艦「グナイゼナウ」が1936年の今日、進水しました。シャルンホルスト級巡洋戦艦の2番艦で、主に通商破壊戦に参加し連合軍と対峙しました。主砲の大型化が計画されるものの実行されないまま自沈処分されています。
作戦行動は僚艦「シャルンホルスト」と一緒に
1936(昭和11)年の12月8日は、ドイツ海軍の巡洋戦艦「グナイゼナウ」が進水した日です。「グナイゼナウ」は基準排水量3万トンあまり、最大速力31ノット(約56km/h)を誇る大型艦で、28cm三連装主砲3基、53.3cm三連装魚雷発射管2基などを装備して1938(昭和13)年5月に竣工しています。
第1次世界大戦後も対フランスを意識していたドイツは、一時、基準排水量2万トン級の戦艦の建造を計画します。しかしこれは、搭載する主砲の数を巡り一旦は中止されました。ただ、当時のヒトラー政権が1935(昭和10)年3月に再軍備を宣言すると、高速かつ攻撃力を向上させた戦艦の建造を再開します。こうして建造されたのが、シャルンホルスト級巡洋戦艦で、「グナイゼナウ」はその2番艦として誕生したのです。
ドイツ海軍のシャルンホルスト級巡洋戦艦の2番艦「グナイゼナウ」(画像:アメリカ海軍)。
1939(昭和14)年9月、第2次世界大戦が始まります。ドイツ海軍は特に北大西洋において、イギリスなどの連合軍に対し通商破壊戦を実施。同年11月には、護衛の巡洋艦を随伴したイギリスの輸送船団と、「グナイゼナウ」および「シャルンホルスト」が遭遇、ここにフェロー諸島沖海戦が勃発します。2隻はイギリス海軍の巡洋艦を撃沈しました。
翌1940(昭和15)年3月から、ドイツ軍はノルウェーに侵攻。陸上部隊の支援でこの方面の戦闘に用いられた「グナイゼナウ」と「シャルンホルスト」は、4月にイギリス海軍の駆逐艦を、6月には航空母艦などを撃沈しています。しかしイギリス海軍の潜水艦によって雷撃され損傷。「グナイゼナウ」は撤退します。
引き続き通商破壊戦に従事する2隻ですが、1941(昭和16)年4月、フランスの港湾都市ブレスト沖で、「グナイゼナウ」はイギリス空軍機の空襲を受けます。魚雷や爆弾が命中し、大きな被害を出しました。水上艦艇による通商破壊戦は、徐々に戦果を出すのが厳しくなっていきます。
行き詰まる通商破壊戦
翌1942(昭和17)年2月、ブレスト港からドーバー海峡を通りドイツ本国を目指していた「グナイゼナウ」などの艦隊は、イギリス空軍の空襲に加え、洋上に敷設された機雷に阻まれます。沈没艦こそ出さなかったものの艦隊は損害を被り、また作戦そのものを継続するのが事実上不可能になりました。ここで「グナイゼナウ」は修理のため、ドイツ北部の軍港キールへ帰還します。
同月26日、キールは連合軍の空襲を受けました。ドック内の「グナイゼナウ」には爆弾が命中し、弾薬庫に引火し大破します。しかしながら「グナイゼナウ」は約2か月の修理により航行可能な状態にまで復旧、そこで主砲の口径を28cmから38cmへ換装する計画が浮上しました。
改修のため、ポーランドの港湾都市ゴーテンハーフェン(現・グディニャ)へ移動した「グナイゼナウ」ですが、1942年末にノルウェー沖で勃発したバレンツ海海戦の敗北を受け“廃艦”となることが決定します。この海戦も通商破壊戦を阻止しようとしたイギリス海軍とのあいだで起こりましたが、戦果を挙げられなくなって久しいなか、ドイツには大型水上艦艇を維持する能力がなくなりつつあり、それゆえの措置でした。
「グナイゼナウ」の砲搭は外され陸揚げされたのち、一部は当時ドイツの支配下にあったノルウェーやオランダの海岸などに備え付けられます。一方の船体は、ゴーテンハーフェンの港湾入口を塞ぐために1945(昭和20)年3月に自沈とされました。
こうして、最後は味方の手によって沈められた「グナイゼナウ」。とはいえ、自沈から半年後に第2次世界大戦が終わったため、その後、浮揚・解体されています。
ただ、取り外されていた「グナイゼナウ」の砲搭は、一部が戦後も残ったため、21世紀も見ることが可能です。特にノルウェーのアウストラット要塞に転用されたものは、博物館が併設されており、ガイドによるツアーも行われています。