激闘来たる!カタールW杯特集

 久保建英のワールドカップは、アンラッキーの詰め合わせだった。

 今季から移籍したレアル・ソシエダで調子を上げてきた矢先、10月27日オモニア戦で左肩を脱臼した。幸い本大会直前に復帰し、初戦ドイツ戦から先発に返り咲くこともできた。だが、決勝トーナメント1回戦クロアチア戦の2日前、39度の高熱で倒れてしまう。

「どれだけ調子がよくても、何があるかわからないんで」

 久保はワールドカップの厳しさを、そんなところに感じていた。


久保建英のW杯は不完全燃焼に終わった

 クロアチア戦翌日、森保ジャパンにとって最後のメディア対応の機会が設けられた。ほぼ全選手および監督が話をするその場に久保も登場した。前日の試合を発熱で欠場した久保に、記者が具合はどうかと尋ねる。

「よくないですけど、今ここでメディア対応しないと、あとで場を設けないといけないので。体調がよかったら昨日試合やってるんで。(風邪だった?)そうですね。コロナじゃないんでもったいなかった。けっこうな熱だった」

 久保はニコリともしなかった。コロナではないため、久保は解熱剤を飲んで試合に出場することをドクターに提案もしたと言う。だが、それは叶わず、宿舎のテレビで観戦することになった。

 ドクターは、試合会場に行くことは許可した。だが、久保がひとりで会場まで出向くことはできず、スタッフの誰かしらと同行しなくてはならなかった。

「ほかの人にうつすわけにはいかない」

 久保は宿舎での観戦を自ら選択した。

 決勝トーナメント1回戦。新しい景色を合言葉に進んできた森保ジャパンの面々にとって、最も重要な試合だった。もちろん、久保にとってもだ。

「なんて言うんでしょう。(僕が)言うほどのことでもないというか、試合に出られなかった時点で自分は力になれないということが申し訳なかったけど、切り替えて。ただ、いざ試合に入ると興奮して熱が上がったりとか、まあ自分がそこにいたらなと思いました。

 4年前も僕は最後の試合をテレビで見ていて、まさか4年越しにまたテレビで見るのかっていう、なんとも言えない気持ちになりました」

【もっとやれると思っていた...】

 試合は久保を必要とする展開だった。久保がいればと、後半、延長戦、そしてPKと感じずにはいられなかった。とはいえ、テレビ観戦していた4年前とはまったく違う状況であることを喜ばしくも思っている。

「もともと僕、4年前プロになれるかなれないかの選手だったので、そもそも4年前からワールドカップを意識していた選手ではなかった。ワールドカップをいちファンとして見ていた選手だった」

 チーム最年少の21歳ではあるが、4年前の自分を"子ども"や"学生"とは捉えておらず、きちんと"選手"として認識しているあたり、いかに久保が厳しい環境に置かれてきたかを感じさせる。いかに幼い頃からプロになること意識し、ワールドカップは意識できない遠い世界の話だと言うことを認識していたか、逆説的にうかがわせる。

 覚悟をもって臨んだ今大会、久保は16強の前に自身が壁にぶつかった。

「よく言えば、チームとしてやることはやれましたけど、悪く言えば、自分のやりたいことはやれなかった。こういう大会でチームが優先されるのは当たり前ですけど、押し通すくらいの"個"が僕にはなかったかと。

 自分の見誤りというか、自分の見積もりの甘さと言うか、僕の今の状態なら押し通せるくらいの個があるだろうと、自分の勘違いだったなと」

 もう少し詳しく言うと、どういうことか。

「まあ、もっとできると思ったというか。チームのタスクをやったうえで、もっとできると思いましたけど。そこまでの個はなかった。

 対戦相手によって、今回の代表はやっぱりサッカーを使い分けていたし、そのなかで自分が出た格上相手の2試合は、当然前半はああいう(守備的な)戦い方を選択した。あの戦い方のなかでもボールを持った時にもっとやれると思っていたけど、さすがにそこまでの個がなかったというのが感じたこと」

 ただ、テレビで見たクロアチア戦、仲間の奮闘は頼もしかった。

「PKじゃなかったら勝っていたと思いますし、客観的に第三者が見ても日本のほうがいいサッカーをしていました。あのまま、いわゆる判定勝ちみたいなものがあれば、3-0で日本が勝っていたと思いますけど。

 壁というか、なんでしょうね。PKまで行ったので、運ではないと思いますけど。本当に遠藤(航)選手も言ってましたけど、PKまで行かせてしまったことが悔しかった」

【仲間と何かを掴み取りたい】

 だが、久保には新しい目標ができた。

「次までの4年は長くて、ちょっと僕には遠い話。まずは残りのシーズンを頑張ること、そして、まだわからないですけど、パリでのオリンピックも僕は年齢的に出られるので、チャンスがあれば出たいなと思ったりしました」

 思ったりしました、などと言う可愛らしい言葉遣いで、控えめに宣言する。

 理由は簡単だ。

「代表活動が重要とかいうより、いい加減、代表で勝ってみたいなって」

 日本代表の仲間と、何かを掴み取りたい──。負けはしたが完全燃焼できた東京五輪と、今回の不完全燃焼のワールドカップを経て、久保が得たのはそんな思いだった。

 振り返るとこのワールドカップは、どんな大会だったか。

「うーん、楽しかったですし、楽しさが違いましたね。盛り上がりもすごかった。でも別に、プレーのレベルが上がるかといえば、そうではなかったですけど。その分、プレーでいつもしないミスが出たりとか、いつもできないことができたりとか、イレギュラーが多かったなと」

 表情をひとつも変えず、久保は言った。

 度重なる不運に見舞われ、思わぬ壁にぶち当たり、それでも楽しかったし、新たな目標を得られた──。それが21歳の久保建英、初めてのワールドカップだった。