鉄道開通時は“海” 新橋〜品川間はどう変わった? 浜松町&田町 発展支えた「貨物線」とは
新橋から横浜を結んだ日本初の鉄道が開通し、今年で150年を迎えました。旧新橋駅や「高輪築堤」などが所在する地元の東京都港区で70年以上にわたり鉄道の発展を見てきた筆者が周辺の変遷を紹介します。第二回は、浜松町・田町エリアです。
150年前、浜松町から南は海に線路を通した
1872年(明治5年)10月14日に新橋〜横浜間で日本初の鉄道が開通し、今年で150年を迎えました。同時に開設された新橋駅、品川駅、そして両駅間の海上に設けられた線路「高輪築堤」は現在の東京都港区に所在。鉄道の発祥地でその進歩を70年以上にわたり見てきた港区民として、この地区の鉄道の歴史を3回に分けて紹介します。第2回は新橋〜品川間のうち、浜松町、田町付近に焦点を当てます。
浜松町駅(左側)と東京タワー(画像:東京都立産業技術高等専門学校 鉄道研究会)。
150年前に開業した新橋〜品川間は、後に紹介する“高輪築堤”に代表されるごとく、海上部分に石垣を構築して線路が通されました。
明治政府としては当初、海岸部に線路を敷設することを試みるも、田町駅付近にあった西郷隆盛の薩摩藩屋敷や兵部省から「蒸気機関車の黒い煙はNO!」との反対もあり、旧くからの城郭技術や江戸時代に構築された「お台場」の基礎部分を参考に、品川駅付近まで海上に築堤を構築したようです。
同区間に浜松町駅と田町駅ができたのは、1919(明治42)年のこと。それまでの線路の西側に並行して新設された、現在の山手線と京浜東北線の専用駅として誕生したものです。
一変した浜松町の海側 貨物線が貫く工業エリアが一変
その浜松町・田町両駅エリアは、線路の東西(山側と海側)で景色が異なります。浜松町は、西側に位置する「芝大神宮」と徳川幕府の菩提寺である「増上寺」がともに存在する門前まちとして知られていました。
さらにその西側の丘陵地には1958年(昭和33)年に開業したオレンジ色の東京タワーがそびえ立ち、東京のシンボルマークとして長く親しまれています。この近くの小学校に通っていた筆者は、タワー建設前の平らなくぼ地で草野球したり、隣接する芝公園の起伏を利用して鬼ごっこをしたりした記憶があります。
浜松町駅と増上寺の間には、都民の足であった東京都電が走り、駅前に車庫がありました。羽田空港へ通じる東京モノレール羽田空港線が、前回1964年の東京オリパラ直前に開通するにあたり都電の車庫は解体。跡地には、当時日本一の高さとなった「世界貿易センター」(1970年竣工)が立ちました。
浜松町駅の名物、小便小僧。1952年に設けられた。地元のボランティアグループにより衣装が替えられ、訪れる人を楽しませている(画像:東京都立産業技術高等専門学校 鉄道研究会)。
大きく街の様相が変化したのが、駅の東側です。輸送拠点として汐留貨物駅(初代の新橋駅)に通じる臨海貨物線と、芝浦貨物駅がかつて存在しました。この貨物線沿いには、国鉄時代の切符や定期券の印刷工場、職員住宅のほか、いまは国分寺にある鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)もこのエリアにありました。新幹線の前身となった“弾丸高速鉄道”研究が始まった拠点として、研究所の見学で模型の木製車両を手にした記憶があります。
臨海貨物線の跡には現在、新交通システムの“ゆりかもめ”が運行されています。沿線には劇団四季劇場はじめ、外資系ブランドホテル、商業施設や企業からなる「ウォーターズ竹芝」が2020年にオープンしています。
山手と埋立地の境界「田町」は“学園駅”として発展
浜松町と同じ時期に開業した田町駅も同様に、駅の東西で風景は異なっていました。東側は、東京港の整備や工場・倉庫の用地確保の意味から埋立が進んだところで、筆者もこのエリアで生まれました。その後駅前に東京工業大学の付属高校と芝浦工業大学も開校しています。他方、西側には慶応義塾大学はじめ、女子大学や高校が点在するなど、田町は“学園駅”として発展してきました。
そんな田町エリアは1900年後半からオフィスビルが盛んに立ち、かつて都電(後に都バス)の修理工場があった芝浦アイランドには複数の高層マンションができるなど、街並みが一変しています。国道15号の下を走る都営地下鉄浅草線を介し、羽田・成田空港の両空港が連絡すると外国人在住者も見かけるようになり、地元の国際化に驚いています。
田町駅の南側には、東京駅から最初に鉄道の上を通過する跨線橋、札の辻跨線橋(1933〈昭和8〉年竣工)が存在します。筆者は中学校の登下校でこの橋を通りながら、下を通過するブルートレインや、東海道新幹線の工事を眺めていました。
札の辻橋から高輪方面を望む。再開発が進む高輪ゲートウェイ駅周辺はクレーンが林立(画像:東京都立産業技術高等専門学校 鉄道研究会)。
初代の札の辻橋は隅田川に掛かる橋梁のようなアーチ型でしたが、2004(平成16)年に建て替えられ、新幹線車両基地との連絡線や貨物支線(今後の羽田空港アクセス線用)の対応ために橋梁の改良も併せて行われています。橋を境に鉄道も道路も風景が変わるので、ぜひ立ち寄っていただきたいスポットです。この近くにある筆者の自宅近くでは、早朝から地上を走る新幹線と在来線の走行だけでなく、地下を走る横須賀線の通過音もわずかに伝わってきます。
※取材協力:東京都立産業技術高等専門学校 鉄道研究会 亀田知典、高橋広旭
※一部修正しました(12月7日10時38分)。