日本代表の勝利をたぐり寄せた選手交代のタイミング。早くても遅くても決勝点は生まれなかった
日本が第1戦でドイツに勝利した時、その試合後の原稿で筆者は、「事実は小説より奇なりと言われるが......」というフレーズを冒頭で引用しながら、その劇的な勝利について言及した。「各所に伏線が散りばめられた、高度で難解な極上すぎるミステリーだった」と続けた。優れたミステリー作家でもここまで複雑怪奇なストーリーを思い浮かべることはできないだろう、と。
また同じ表現は使えない。困った。しかし、複雑怪奇さは第1戦のドイツ戦以上だったと言うしかない。サッカーの奥深さが、ここまで目一杯、溢れんばかりに凝縮された試合も珍しい。ハリファ国際スタジアムで行なわれたスペイン戦は、エンタメの粋を見るかのような底抜けに面白い、そして日本人には痛快な一戦となった。
スペインに勝利しグループリーグを1位で通過した日本代表の選手たち
サッカーとのつき合いはかれこれ50年以上に及ぶが、「なぜサッカーか」と聞かれると、「世の中に存在するエンターテインメントの中でも断トツに面白いものだから」と答えてきた。1982年スペインW杯でナマ観戦したイタリア対ブラジルがそれに該当する試合になる。仕事にしてからの40年余年は、1982年大会で抱いた確信を、常に疑い続ける毎日でもあった。サッカーには本当に世界で一番のエンタメ性があるのか。そうあってほしいと願い、エンタメ性を低下させるようなサッカーには厳しい目も向けてきた。森保一監督率いる日本代表もその対象になることが多かった。
ところが、このスペイン戦は、40年前のブラジル対イタリアを上回るエンタメ性を発露させた一戦となった。そのマックス値を大幅に更新した試合として、筆者の脳裏に刻まれることになるはずだ。奇想天外なストーリーをサッカーの神はよくぞ思いついたものだと感心させられる。この試合の観戦を経てサッカー観戦が病みつきになる、筆者のような人物が大量に発生したことは確かだと思う。
2戦目のコスタリカ戦に敗れたことも、結果的にストーリー性を高める役割を果たしていた。ドイツに勝ったチームがコスタリカに負ける。やはりドイツ戦はマグレだったのか――という思いは、スペイン戦のキックオフの笛が鳴るやピークに達した。
追加点を奪われていたら番狂わせは起きなかったパスを回しまくるスペインは12分、左サイドから右サイドに展開。ガビがマイナスに折り返したボールを守田英正がクリアするが拾われ、ニコ・ウィリアムス経由でセサール・アスピリクエタがクロスボールを上げた。中央で待ち構えていたアルバロ・モラタには、GKの泣きどころである足元めがけてヘッドを叩きつける余裕があった。
日本は、伊東純也を右のウイングバックに配す3−4−3(5−2−3)で臨んだ。守備的な作戦で臨んだにもかかわらず、早々に先制点を奪われたわけだ。失点とともに論理は破綻していた。森保監督には一刻も早く手を打ってもらいたいと、筆者は熱望した。
日本が守りに回る時間は続く。攻めるスペイン、守る日本。勝負は決したとスタンドの観衆は判断したのか、前半20分頃には早くもスタンドにはウェーブが湧き起こった。退屈していることを選手に伝える観客の手段である。だが、スペインが先制点を挙げてから前半が終了するまでの間が、この試合のミソだったと思う。
同点に追いつかれても勝ち抜けが濃厚なスペインは、スペインらしさは発揮したものの、必死になって攻め続けたわけではなかった。にもかかわらず、日本はまったく反撃できなかった。ウェーブが湧いた理由だ。ここでもしスペインに追加点を奪われていたら、番狂わせは起きなかったはずだ。
後半開始早々、森保監督は三笘薫と堂安律を投入した。第1戦ではなく、負ければ終わりの第3戦だ。前半のうちになぜ、彼らを投入しなかったのかと筆者は森保監督の遅い交代を嘆いたものだ。ところが、これがちょうどいいタイミングになってしまうのだからサッカーは面白い。
スペインは前半のペースに満足していた嫌いがある。後半もその流れで入った。その緩いムードのなかに、出場したくてうずうずしていた日本の2人のアタッカーが、カゴから解き放たれた鳥のようにピッチの上で躍動した。先発より交代選手のほうが期待できる日本代表を見た記憶はあまりない。
初めて日本の16強に必然を感じた選手交代枠が3人制ならば、後半頭から一気に2人を投入することはなかったはずだ。劇的な変化が期待できる5人制の恩恵を見逃すわけにはいかないが、レギュラーとサブの境界線がない、悪く言えばどんぐりの背比べ、よくいえば粒ぞろいという日本の特徴を象徴する交代でもあった。
最初に活躍したのは堂安だった。後半3分、自慢の左足でスペインゴールをこじ開けた。GKウナイ・シモンは前戦のドイツ戦でもフィードでミスを犯していた。バックラインと連係が取れていない様子だった。シモンはアレハンドロ・バルデにパスを送るも、フリーとは言えない状態にあったスペインの左サイドバックは、伊東純也の潰しに遭い、ボールを失う。次の瞬間、堂安がシュートを放った際も、GKシモンは準備不足だった。堂安をラッキーボーイにさせてしまった。
その3分後、今度は三笘が活躍する。ゴールラインを割ったか割らなかったか、世界中で大騒ぎになっているマイナスの折り返しだ。1センチあるいはミリ単位の判定だろう。時間にすれば100分の1秒レベルではないか。そして筆者が熱望したように前半から三笘を投入し、エネルギーを消耗していたら、この走力は望めなかったはずだ。出場直後だったことが、快足を生んだ原因に他ならない。
記者席から見通しがきくモニターでは、ドイツ対コスタリカの模様が映し出されていた。スコアは刻々と動いていた。日本の突破条件もそれに呼応し刻々と動いた。引き分けオッケーだったのが、引き分けではダメに変わるなかで、試合は最終盤を迎えた。だが、スペインもこのまま終えれば通過は確定するとあって、特別ギアを上げることなく、タイムアップの笛を聞くことになった。スポーツは筋書きのないドラマと言うが、最高峰のノンフィクションを見た気がする。本当に恐れ入るストーリー展開だった。
日本代表のベスト16入りは、これで2002年日韓共催大会、2010年南アフリカW杯、2018年ロシア大会に続く4度目となる。しかしこれまでの3回は、大きな声では言いたくないが、マグレっぽかったり、下駄を履かせてもらったり、実力で勝ち取ったという感じではなかった。
だが、今回は違う。コスタリカに敗れながら、ドイツ、スペインを倒してベスト16入りしたわけだ。もう1回戦った時、ドイツ、スペインに勝てるかと言われれば、イエスとは言いにくいが、マグレは2回続かない。ベスト16入りに今回ほど必然を感じたことはない。そうした意味で筆者は、もうすでに「新しい景色」を見たつもりでいる。
決勝トーナメント1回戦の相手はクロアチアだ。前回の準優勝国ながら、ドイツ、スペインより日本との実力差は接近している。勝てるかもしれない相手だ。そこで間違いやすいのは立ち位置である。チャレンジャーの精神を保てるか。少しでも受けて立つとコスタリカ戦の二の舞を演じることになる。クロアチアが試合巧者であることを忘れてはならない。