富士通レッドウェーブ・町田瑠唯インタビュー 前編

東京五輪女子バスケットボールで1試合の五輪史上最多アシストを記録するなど、日本の銀メダル獲得に大きく貢献した町田瑠唯、29歳。彼女は今年、日本人選手で史上4人目の米女子プロリーグWNBAデビューを果たし、1シーズンを過ごした。世界最高峰の舞台は、町田にどんな意味をもたらしたのだろうか。アメリカでの経験を経て帰国し、Wリーグ・富士通レッドウェーブで更なる高みを目指す彼女を訪ねたーー。


インタビューに応じた町田瑠唯

日米のバスケットは「全然違う」

ーー5〜8月のWNBAでのレギュラーシーズンを終えて帰国後、すぐにWリーグが始まりました。WNBAを経験して、日本のバスケットボールの印象は変わりましたか?

町田瑠唯(以下、同) 特に変わったことはないと思うんですけど、あらためて日本とアメリカのバスケでは、プレースタイルを含めて全然違うなと。アメリカで通用することが日本では通用しなかったり、逆もあるんですけど、練習でも試合でもそれを感じましたね。

ーー町田選手のなかでアメリカでの1シーズンを経て、日本で見せたいと思っていた新しいプレースタイルなどはありましたか?

 自分の課題は得点をとることや得点に絡むことです。特に今シーズン(の富士通)は、得点源の選手が引退や移籍でいなくなったので、その分、自分が積極的に得点に絡んでいかないといけないと思っています。

 アメリカへ行ったからこんなプレーを日本で見せる、というのはあまりありません。両国でバスケットスタイルがまったく違うので、チームにアジャストしながらやっていきたいです。

目立ちたいタイプではない

ーー町田選手は、個ではなく、チームスポーツとしてのバスケを強く意識している印象です。

 そうですね。自分中心にはあまり考えられないタイプで、チームのことを先に考えてしまいます。チームがよくなるために自分がどういうプレーをすればいいのか、どういう選択をするのか、そういったところを常に考えています。

ーー高校時代にはキャプテンとして3冠(インターハイ、国体、ウインターカップ)を達成しています。当時からそうしたチームへの意識があったんですか?

 正直、自分に自信があったり目立ちたいタイプではなくて、チームメイトを活かせたらそれでいいなと。エースとして表に出るより、むしろ裏で支えられたらいいという考えでずっとやってきました。

ーーその意識が芽生えたきっかけはありましたか?

 もともと自分のプレースタイルがガンガン得点をとるようなものではなくて、アシストでみんなが気持ちよく、楽しくプレーできている状況が自分として一番うれしかったんです。チームメイトに「瑠唯と一緒にバスケをやるのは楽しい」と言ってもらえることが、原動力になっていますね。

自分自身は「まったく変わらない」

ーーアメリカでは日本に比べて自己主張が強い選手が多いと想像しますが、現地で外国人枠としてプレーするなかで、自分のスタイルを変化させた場面はありましたか?

 アメリカに行く前は、周囲から「性格も変わるよ」って聞いていたんです。でも、自分は全然変わってなくて、帰ってきてからも「まったく変わらないね」って言われました(笑)。無理に合わせて自分を変えようとは思わなかったですね。自己主張が強い人はすごいなと思いますが、自分がそうなりたいというわけではなくて。そういう人もいるよな、という感覚です。

ーーアメリカでストレスに直面することはありましたか?

 一番のストレスはやっぱり言語でしたね。通訳の方もサポートしてくれていましたが、初めて通訳を介してのコミュニケーションだったので難しさもあって、伝えたいことが伝わらなかったり、言っていることがなかなか理解できなかったりしたこともありました。本当に伝えたいことを直で伝えられないことが、大きなストレスでした。

ニューヨークは「旅行くらいでいいかな...」

ーー英語は勉強していましたか?

 いや......全然してないです(笑)。最終的に、耳が英語にちょっと慣れたくらいで。話せるとかそんなレベルには全然達していなくて。周りの方からアドバイスも受けていて、「ちゃんと話せるようになるには何年もかかる」と言われていたので、そんなに焦る必要もないのかなと考えていました。

ーー生活面ではいかがですか? 日本では東京五輪以降、注目度が増していたと思います。

 アメリカでは当然知らない人ばかりで、周りも自分のことをまったく知らないので、人目を気にせず過ごしていました。日本との大きな違いは、アメリカではみんなコロナを全然気にしていなかったので、コロナ禍の前に戻ったみたいで生活はしやすかったです。

 それと、みんなが友達のようにフレンドリーに接してくれるんです。たとえば、同じエレベーターに乗った人が話しかけてくれたり、乗り降りする際もあいさつをしてくれたり。そういうコミュニケーションが普通だったので、すごいなと感じました。なので日本に帰ってきて、そんなやりとりがない寂しさを少し感じましたね。

 ただ安全面で考えると日本は夜でも普通に出かけられますが、アメリカだと暗くなったら、「治安がよくないから、出かけないほうがいい」と言われました。銃撃事件もあったので、びっくりしましたね。

ーー向こうでの気分転換として楽しんでいたことはありましたか?

 試合のスケジュールが過密で休みがほとんどなかったのですが、リフレッシュするためにニューヨークでブロードウェイなどを見に行きました。ニューヨークは楽しかったですが、人混みがすごかったり、にぎやかだったので、旅行くらいでいいかなと......(笑)。

アメリカで感じたバスケットへの熱

ーーアメリカと日本の女子バスケを取り巻く環境の違いは感じましたか?

 WNBAはすごく盛り上がっていますし、日本と違ってホーム・アンド・アウェーがあるので、ホームで試合をする時は、自分たちのファンで毎試合会場が埋まっている状況でプレーできます。地域でチームを盛り上げるというファンの一体感や熱量を感じましたね。

 現状、日本はコロナの影響で観客は試合中に声を出せませんが、アメリカでは叫んだり、ブーイングも普通にありました。そのなかで、選手たちもバスケットをすごく楽しんでいて、エンターテイナーとしてファンを巻き込んで盛り上げる意識が根づいているように感じました。ファンにフランクに話しかけて交流したり、日本ではなかなか見られない光景もありました。

ーー日本にもあったらいいなと感じたバスケットの文化はありましたか?

 日本男子はホーム・アンド・アウェーでやっているので、女子でも採用したらどうなるのかは気になりますね。アメリカではお客さんを盛り上げるためにハーフタイムなどにいろんなショーをしたり、1試合を通してさまざまな工夫がされていて面白いです。日本でも、試合をイベントのように楽しんでもらえる環境ができたらいいなと思っています。

インタビュー後編<「小さいのでバスケを辞めました」のSNSのメッセージに女子バスケ・町田瑠唯が伝えたいこと>

【プロフィール】
町田瑠唯 まちだ・るい 
1993年、北海道生まれ。札幌山の手高校では3年の時にキャプテンとしてインターハイ・国体・ウィンターカップの三冠獲得。2011年、富士通レッドウェーブに加入。2016年リオデジャネイロ五輪でベスト8。2021年東京五輪で銀メダル。2022年、WNBAのワシントン・ミスティクスで日本人4人目のWNBA出場を果たした。