アスリートのセカンドキャリアが年々深刻な問題として取り上げられるなか、戦力外通告を受ける者が極端に減るようなことはない。ドラフトで獲った人数と同じだけの退団者がいるからだ。しかも引退した者が球界に残るのはわずかで、それ以外の者はいきなり社会へと放り出される。だが、ごく稀にクビを宣告される前に自らの意思でプロ野球界と決別する者がいる。

 元ロッテの島孝明は、球団からの契約を断って現役を引退し大学に進学したことで、当時マスコミを賑わせた。クビになってから大学に進学した者は何人もいたが、自ら契約のオファーを蹴って引退後に大学に行ったのは、プロ野球史のなかでも島が初めてのことだった。


2020年4月から國學院大学人間開発学部に通う島孝明

高校球界屈指の剛腕として注目

 2016年、東海大市原望洋(千葉)からドラフト3位でロッテに指名された島は、最速153キロを誇る高校球界屈指の剛腕投手として鳴らした。高校3年春からの好投が話題を呼び、この年の高校ジャパンに選出された。この時、ピッチャーは8人選ばれたが、このメンバーがすごい。

寺島成輝(履正社)/ヤクルト1位/通算1勝1敗3ホールド
堀瑞輝(広島新庄)/日本ハム1位/通算12勝16敗8セーブ、70ホールド
藤平尚真(横浜)/楽天ドラフト1位/通算8勝12敗
早川隆久(木更津総合)/早稲田大→楽天ドラフト1位/通算14勝16敗
今井達也(作新学院)/西武ドラフト1位/通算28勝27敗、1ホールド
高橋昂也(花咲徳栄)/広島ドラフト2位/通算6勝9敗
藤嶋健人(東邦)/中日ドラフト5位/通算7勝4敗1セーブ、32ホールド
島孝明(東海大市原望洋)/ロッテドラフト3位/一軍登板なし
※通算成績は入団から2022年シーズン終了時まで

 早川以外の7人が高校でドラフトにかかり、そのうち5人がドラフト1位である。寺島は今シーズン限りで引退し、藤平、高橋は伸び悩んでいるものの、ほかの選手は戦力として活躍中だ。

「ジャパンに選ばれ、この時にプロを意識しました。もともと大学進学を視野に入れていて、自分の目標は150キロを出すことであり、プロに行くことではありませんでした。練習試合とかでスカウトが来ているのがわかっていても『また来てるな』という程度で、関心はありませんでした。でも、ドラフト1位で指名された4人に負けている感じはありませんでした。別に下に見ているのではなく、それぞれ特性がありますし、同じ舞台に立っている以上、対等だと思いながらジャパンでは一緒にプレーしていました」

 島だけが最後の夏の甲子園に出場できなかったが、単純に能力だけを比較したら決して劣っているとは思わなかった。「常時150キロを出せるのはオレだけ」という自負が、島にはあった。

プロ1年目に起きたまさかの異変

 そんな島に異変が起きたのは、プロ1年目、夏の猛暑が少しおさまりつつある頃だった。8月26日、イースタンリーグでのヤクルト戦。6回から2番手で登板した島は、普段と変わらない様子でマウンドに上がった。だが、投球練習から指にボールがうまくかからない。

 先頭から3連続四球で無死満塁。そこからなんとか二死までこぎつけたが、球を置きにいったところを狙われ2連打。さらに2つの四球もかさみ、2/3イニングを2安打、5四球、7失点と大炎上。1回ももたず屈辱の交代となった。

 それからおよそ1カ月後の10月1日のDeNA戦、3回途中から登板するも一死も奪えず2つの四死球などで1失点。ただの不調とかではなく、明らかに何かがおかしかった。

 島は、運動障害である"イップス"にかかってしまったのだ。フォームを変にいじったわけでも、肩やヒジに故障を抱えたわけでもない。イップスになった原因がまったくわからなかった。そこから暗闇のなかを彷徨い続けた。

 プロ3年目のオフに戦力外通告を受け、フロントからは育成契約を打診された。その場での返答は避け、島は熟考した。傍目には状態が上向きになっていると思われても、島自身は元に戻らないどころか、別人になっている感覚だった。いくら投げ込んでも「オレじゃない......」というもどかしさが心を蝕(むしば)む。

「自分のなかでは育成に切り替わるタイミングがひとつの区切りの機会じゃないかと思いました。育成契約の話のあとにフェニックスリーグに行き、吉井(理人/当時ロッテ一軍投手コーチ、現監督)さんが帯同してくれたんです。いろいろと話をして、練習につき合ってくれて、親身になってくれました。

 フェニックスリーグの終盤、これからのことをどうしようかと相談した時、吉井さんは無理に引きとめることなく、やりたいことをやりなさいって感じで言ってくれたんです。それまでやってきたことに自信を持てなかったし、ここで育成になっても1年でクビになるかもしれない。その先に未来を感じてなければ、自分のしたいことをしたほうがいいかなと......スパッと割りきって考える自分がいました」

育成契約を断りロッテを退団

 島は思いの丈を吉井に吐露した。当時、一軍投手コーチだった吉井は複雑な思いを語った。

「2019年にロッテの一軍ピッチングコーチに就任したばかりで、変な先入観がなかったので、いいと思った選手は一軍のキャンプに連れて行こうと決め、プロ3年目の島もそのうちのひとりです。イップスは技術的な部分が要因とも言われていますが、根本的な原因がわからないため治しようがなく......島はいいものを持っていたので『きっかけさえつかめば』と思って見ていました。

 フェニックスリーグの時に相談を受けました。本人がどういうふうに考えているのかが大事であり、いつまでも選手へのこだわりを持っていると、次のステップへのチャンスを逃してしまいます。島といろいろ話をしてみて、勉強したいという強い意志を見せる以上、ここがチャンスなんだと思って快く送り出しました。島はしっかり自分の考えを持って行動できる人間です」

 島がイップスになってしまったのは自分自身の責任だと感じていることを伝えると、吉井は真っ向から否定した。吉井は、メンタルコントロールをできなかった指導者に責任があると断言した。

 島は吉井にすべてをさらけ出して相談し、最後は背中を押される形で球団に退団の意志を伝えた。21歳の島は、育成契約といえどもプロ野球選手として与えられたチャンスを自ら断ち、新たな世界へと飛び込む決心をした。

「フロントは育成契約を断ることに対して、何も言わずに黙って了承してくれました。普通にクビって言われるよりも、選択肢があっての決断は自分に責任も課せられますし、なおさら『やらなきゃ』という思いが湧いてきました」

 島はセカンドキャリアについて、迷うことなく大学進学を決めた。日本プロ野球選手会が2017年に國學院大学と協力して、元プロ野球選手を対象に設けた『セカンドキャリア特別選考入試』を受けることにした。

 この入試試験は、ほとんどのA.O入試と同じで、小論文と面接のみ。試験対策として小論文の勉強を徹底的にやった結果、見事、國學院大学人間開発学部に合格した。

「いまプログラミングを勉強していて、これから求められていく重要なスキルです。野球のデータを分析する活動をしているんですけど、ビッグデータをエクセルで処理するには果てしなく時間がかかってしまうため、プログラミングを使ってやっています」

 島は生体力学であるバイオメカニクスの分野をメインに研究していこうと考えている。たとえばスポーツにおける力学的な観点で言えば、プロ野球においてもボールの回転数や打球の速度、角度を計測するなど、あらゆる場面でバイオメカニクスが必要となってくる。客観的なデータを用いることで、言語化できる役割を担い、さまざま事象に対して選手の能力が可視化できるようになれば、競技力向上が見込める。

 島にとってイップスで苦しんだ3年間は決して遠回りではなく、さらなる飛躍のための時間だった。今はそう思えることで、勉学に没頭している。

 プロ野球をより進化させて発展するためにも、島のようなプロ経験者で意欲的に研究している人材が必要不可欠となってくる。島が研究者となって、いずれ野球界に戻ってくる日もそう遠くなさそうだ。