斎藤佑樹×杉谷拳士 スペシャル対談(後編)

前編:「杉谷拳士が栗山英樹監督からの言葉に号泣」はこちら>>


今シーズンを最後に現役を引退した杉谷拳士

ファイターズの選手で終わりたかった

斎藤 さっき野球はやりきったと言っていたけど、新球場(エスコンフィールド北海道)でプレーしたいという思いはなかった? 

杉谷 もちろんやりたかったです。

斎藤 そうだよね。僕もだけど、あの球場ですごくやりたかった。

杉谷 プレーヤーである以上、誰もがあの球場でやってみたいと思うはずですよね。新球場に見学に行った時、ここでプレーしてやめるのか、それとも今年でやめるのか......いろんな葛藤がありました。

斎藤 でも、いつか何らかのかたちであのグラウンドに立ってみたいよね。

杉谷 ファイターズには本当にお世話になりましたからね。あれだけダメな僕をここまで育ててもらって。吉村(浩/現・球団本部長)さんの魔法の言葉じゃないですけど、「おまえはやっていける。だから獲ったんでしょ」と言われたことが自信になったというか。なかなか魔法はかからなかったんですけど(笑)。

斎藤 たしかに、吉村さんはそう言ってくれるよね。

杉谷 僕、吉村さんが佑樹さんに言っていた「斎藤佑樹は斎藤佑樹だから」という言葉がものすごく印象に残っていて......素敵な言葉だなって。「誰が何を言おうと、オレが獲るって決めた選手だし、縁あってファイターズに来てくれた」と。そういう言葉をサラッと言える吉村さんって素敵な方ですよね。

斎藤 吉村さんにはいっぱい励ましてもらったし、本当に支えてもらった。日本ハムには吉村さんのほかにも尊敬できる人がいっぱいいるじゃない。

杉谷 ほんと多いです。だから、ものすごく愛着があって、ファイターズの選手で終わりたかったという思いはありました。

斎藤 僕もファイターズに入ってよかったと思っているし、いいチームだなぁって。だからこそ勝ってほしいし、強いファイターズを見てみたい。若い選手に伝えたいことってある?

落ち込んだらワイン

杉谷 ファームにいて気づいたことは、ファイターズの若い子たちに元気がないというか、「もう何年かしたら、オレたちの番が来るんだ」みたいな、そんな印象を受けました。プロの世界は順番なんてないですし、自分でつかむものだと思うんですよね。

斎藤 拳士らが若い時は、どんな感じだったの?

杉谷 上の人たちがFAとかで抜けたり、いろいろとタイミングが重なったこともありましたが、オレらは闘志むき出しで稲葉(篤紀)さんや(金子)誠さんにガンガン挑んでいっていました。もちろん壁は高かったですけど、みんな勝負しにいっていましたよね。

斎藤 ギラギラした感じがあったと?

杉谷 (バッティング)マシンもとり合いでしたし、夜間練習で場所がないってなると、空くまで待っていました。ただこの前、チラッと夜間練習を見に行ったら、野村(佑希)や万波(中正)らの世代がメラメラ練習しているのを見て、「絶対にいい選手になる」って思いました。

斎藤 この世代がファイターズを引っ張っていかないといけないからね。彼らが本当の意味で中心選手になると、きっと強くなると思う。

杉谷 自分の気持ちも入ってしまうんですけど、野村は本当にいい選手なんですよ。野球に対してストイックで、4番を打つような選手ですけど、彼には人としての感情をしっかり持ってほしくて。

斎藤 ハハハ(笑)。一緒に自主トレやっていたよね。

杉谷 共同生活をするなかで、「おまえはいろんな選手をもっと笑顔にさせなきゃいけないんだよ。それぐらいの能力を持っているのに、なんでそんなに暗いんだよ。もっと明るくいけよ」って言ったら、「いやー、僕ダメなんですよ」と返してくるから「違うだろ、おまえは4番を打つような選手だぞ」って。ずっとそう言い続けてきて、今年ようやく周りから「ジェイ (野村の愛称)変わったね」と言われるようになって、うれしかったですね。

斎藤 野村にはどんなことを期待したい?

杉谷 うれしい時は喜んで、悲しい時は悲しめと。ただ、ベンチでは悲しんだり、落ち込んだりする姿は見せるなと。ジャイはチームの中心にいなきゃいけない存在ですし、若い選手は彼の姿を見るわけですから。


持ち前の明るいキャラクターでファンから愛された杉谷拳士

斎藤 野球をやっていて、拳士は落ち込んだりする時はあった?

杉谷 打てなかったり、盗塁失敗したり......そういう時は悔しいですし、落ち込みます。でも、そういう気持ちを周りの選手に伝染させたら絶対にいいチームにはならないと思っていたので、次に取り返せるように「100%の準備する」ということを考えていました。逆に佑樹さんは、どうしていました?

斎藤 部屋には持ち込まなかったかな。帰りの車では「悔しい」っていう気持ちはあるけど、家に着いたら明日のことを考えていた。

杉谷 ひとりになると、悔しさがこみ上げてくる時があるんですよね。そんな時は「切り替えの一杯だ」とワインを注いで、「よしっ、この香りを嗅いで、飲んだら忘れよう」と。

斎藤 そこはビールじゃなくワイン?

杉谷 1杯目からワインですね。ビールに唐揚げとかいきたい時もありますが、「この香りをイメージしながら飲むぞ!」みたいな。気持ちを落ち着かせるイメージですね。

これからやりたいこと

斎藤 現役を引退して、一番やりたいことは?

杉谷 スポーツ関係の仕事はもちろんやりたいですし、もっとスポーツのよさをわかってほしいなという気持ちはあります。

斎藤 野球だけじゃなくて?

杉谷 そうですね。野球もそうですが、スポーツ人口が減っているという話を耳にして、その要因ってゲームだったりYouTubeだったり、家の中ですべてできてしまうじゃないですか。もちろん、それはそれで楽しいことですし、仕事としても魅力的だと思うのですが、もっとスポーツのよさっていうのを広げたいという気持ちはありますね。

斎藤 そのためにはどんなことが必要だと思っている?

杉谷 国内外問わず、スポーツのあり方というのを勉強したいと思っています。それでいつか、そこで学んだ知識を、本当にお世話になった北海道、そしてファイターズにしっかり還元したいですね。なんとか力になって、世界一愛されるチームになってくれればと思っています。

斎藤 野球以外に挑戦したいスポーツってある?

杉谷 佑樹さんは何でした?

斎藤 僕はウインタースポーツだった。北海道にいて、いつかやってみたいなとずっと思っていたんだよね。

杉谷 現役をやっていたらなかなかできないですからね。僕は個人スポーツをやってみたいですね。テニスとか。今までチームスポーツをやってきて、みんなで共有できる感動や喜びというのは経験できましたけど、はたして個人スポーツをやった時にその達成感というのはどういう気持ちになるんだろうと。そこはものすごく興味があります。

斎藤 引退してから自分の時間は増えた?

杉谷 それがおかげさまで忙しくさせてもらっています。佑樹さんもそうだったと思うのですが、こんなにも話があるんだと。佑樹さんはこんなに忙しくしているのに、まったく変わらないですね。今日あって思ったのは、相変わらずキラキラしてるなって。

斎藤 ハハハ。

杉谷 入団した当時から佑樹さんは佑樹さんだし、そういったところがずっと好きでした。今こうして現役を終わった時も、最初に相談させてもらいましたし、お兄ちゃん的な存在ですよね。

斎藤 でも、僕にできないことを拳士はできるから。

杉谷 いやいや(笑)。

斎藤 ほんと、これからも一緒に野球界のために頑張っていきましょう。

杉谷 はい、もちろんです!

おわり

斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実業3年時の2006年、夏の甲子園に出場し全国制覇。「ハンカチ王子」として大フィーバーを巻き起こした。早稲田大学入学後も輝かしい成績を残し、2010年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。ルーキーイヤーから6勝をマークし、プロ2年目の2012年には開幕投手も務めた。しかし度重なるケガに悩まされ登板数も伸びず、2021年10月に引退を発表。引退後の12月に株式会社斎藤佑樹を設立した。「野球未来づくり」を掲げ、現在様々なプロジェクトの実現にむけて取り組んでいる

杉谷拳士(すぎや・けんし)/1991年2月4日、東京都生まれ。帝京高1年夏からレギュラーとして甲子園に出場し、3年では主将を務めた。2008年ドラフト6位で日本ハムに入団。2年目にイースタンリーグで133安打を放ち、シーズン安打記録を樹立(当時)。2019年には史上19人目の両打席本塁打をマーク。スイッチヒッターだけでなく、内外野どこでも守れるユーティリティプレーヤーとして存在感を発揮。しかし、2021、22年は打撃不振に陥り、今シーズン限りで現役引退を表明した