中村憲剛が予想外の成長速度に驚いた。板倉滉は「何が起きた?」守田英正は「完全にチームの中心」
激闘来たる!カタールW杯特集
中村憲剛が「フロンターレ組」にエール(2)
<板倉滉・守田英正>編
現地11月20日、カタールにて2022年FIFAワールドカップが開幕。今回選ばれた日本代表メンバーを見返すと、最終登録26人中のうち、実に7人もの選手が「川崎フロンターレ」に縁を持っている。フロンターレの"バンディエラ"中村憲剛氏にそれぞれの選手の特徴や思い出を語ってもらい、本大会に向けてエールを送ってもらった。
◆「谷口彰悟・山根視来」編はこちら>>中村憲剛が日本代表メンバーを語る「国内ナンバーワンDF」「意外性に期待」
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ケガから復帰してカナダ戦に先発した板倉滉
── ケガの状態が心配された板倉滉選手(ボルシアMG)も、無事に日本代表メンバー入りを果たしました。
「滉に関して言えば、誤解を恐れずに言うと、正直ここまでの選手になるとは思っていませんでした。フロンターレにいた時は出場機会が限られていましたから。
ただ、ベガルタ仙台に武者修行に行って、スタメンとしてフルでシーズンを戦ったことが大きかった。そこで活躍し、その後にまさかマンチェスター・シティから声がかかるとは! 彼からその連絡が来た時、何が起きたのかと思いましたよ(笑)」
── アカデミーから昇格してきた時は、どんな選手でしたか。
「大柄であるわりには、足もとの技術はある。だけど、身体的なスピードと判断のスピードはどうかな、という評価だったと思います。入って来た当初は、通じないことが多かったと思うので、危機感は相当あったでしょうね。実際にクサりかけている時期もあったと思います。
ただ、滉は底抜けに明るくて、底抜けにポジティブなので、どこに行っても愛されるんですよね。そういう性格だから、チームのみんなが手を差し伸べたくなる。周りのサポートを受けながら、彼は成長していったと思います」
── 板倉選手にもいろんなアドバイスをされたんですか?
「フロンターレ時代は山ほどしましたね。当時はボランチだったので、紅白戦とかで僕と対峙することもけっこうあったんですが、滉は僕をつぶそうとするんですけど、全然つぶせない。相当悔しかったと思いますよ。
けど、先ほども言ったように彼は前向きだから『なんで(ボールを)取れないんですか?』と、練習後に直接聞きにくるんです。そこで、立ち位置の話とか、相手のことをしっかり見ながらプレーしなさいということは伝えましたね。
滉も貪欲に吸収しようと、しっかりと耳を傾けてくれました。わからないこともあっただろうし、言われてもやれないこともあったと思いますけど、常にチャレンジする姿勢は見せていました」
── 当時のアドバイスが今のプレーに影響を与えているところはあると感じますか?
「当時はボランチで、今はセンターバックなので、何とも言えない部分はありますね。一緒にやっていたのも3年だけですから、その後の滉の成長に関しては『逆に何が起きたの?』と彼に聞きたいくらいです(笑)。
ただ、はじめにオランダ(フローニンゲン)に行ったのが大きかったと思います。そこで試合経験を積みながら、欧州の戦いにアジャストしていった。調整力はかなり高いと感じます。もちろん、ルーキー時代に味わった苦労が、今に生きているとも感じます」
── ケガの状態も気になりますが、カタールではどういったプレーに期待したいですか。
「ドイツでも高く評価されているそのパフォーマンスを、肩ひじ張らずそのまま出すことができれば、十分にやれると僕は思っています。ケガをしていても森保さんが招集に踏みきったのは、かなりの信頼があるからでしょう。もちろんコンディションにもよりますが、もしかしたら今大会で滉が日本のディフェンスリーダーになるかもしれない。それくらいの期待感はありますよ」
── 同じ中盤の選手として、守田英正選手(スポルティング)にもいろんな思い入れがあるのでは?
「守田は加入前年の2017年夏の函館キャンプに(三笘)薫(ブライトン)や(脇坂)泰斗(川崎)と一緒に参加したんですよ。その時の印象がかなり強いですね。すごくしなやかで、芯もしっかりして、機動力もあったので、無理がききそうな選手だなと。
ボール扱いはそこまででしたけど、自信を持ってやろうという姿勢も見えた。技術的なところがフィットしてくれば早々に試合に出られる選手になるかなと、加入前から思っていました」
── 実際に2018年のルーキーイヤーからレギュラーの座を掴みましたよね。
「前年に優勝したチームにルーキーとして入った選手が、すぐにポジションを掴むのはかなりすごいことだと思います。ただ、守田の場合はちょっと順風満帆すぎたんですね。1年目で主軸になって、連覇にも貢献して、代表まで入りましたから。
だけど、代表に呼ばれた時は正直、嫌な予感がしたんです。加速度的に周囲の環境が変化するなかで、ちょっとバランスが崩れているなと感じていました。これはずっと近くにいた自分にしかない視点かもしれませんが」
── 貪欲さが失われ、調子に乗ってしまうような感じですか?
「そういうことではなかったんですが、変化は生じました。すぐに代表に入ったことで、いろんな欲やエゴが出てしまうのはしょうがないことだと思います。日本代表になるということはそういうことだし、そうじゃないと、生き残れない場所ですからね。
でも、そのタイミングがプロ1年目ではちょっと早すぎたかなと。たぶん、望みすぎたんですね。当人も、周りも。自分のキャパを越えて、いろんなことをやろうとしてしまった。その結果、献身性だったり、チームのために汗をかいたり、1年目に活躍できた大事な要素を少し見失っていたように感じました。
そこにケガも重なったことで、理想と現実にギャップが生じてバランスを崩してしまった。まさに『2年目のジンクス』に陥っていましたね」
── 2年目のジンクスのメカニズムとは、そういうことなんですね。
「やっぱり、1年目に活躍すると2年目は望んじゃうんですよ。自分だけじゃなく、周りも。日本代表にも入っているんだから、さぞかしやってくれるんだろう、と。
ただ環境が変わっても、実際はそこまで急激にレベルアップしているわけではないんですよね。でも、周りのハードルが高くなるから、その期待に応えるために背伸びした状態でサッカーをしていたんじゃないでしょうか。
また、あの年はチーム事情でボランチだけではなく、右SBでもプレーしていましたから。だから、当時の守田はいろいろな意味でしんどかったと思いますよ」
── 苦しんだ2年目を経て、3年目の2020年には見事に復活を遂げます。何が起きたのでしょうか。
「2020年はシステムが4-3-3に変わって、当初は(田中)碧(デュッセルドルフ)がアンカーで、守田はその控えだったんです。その状況にもいろんな葛藤があったと思いますが、最初になかなか試合に出られなかったこと、アンカーにトライしたことは結果的には守田にとってよかったと思います。
アンカーは役割にある程度制限もあるので、余計なことができないというか、あれもこれもという欲を出せないんですよ。その役回りのなかで、チームのために汗をかいていた1年目が思い起こされたんじゃないでしょうか。
自分のやるべきことに集中することが、チームの力になる。そういう考えが生まれたことでパフォーマンスもどんどん安定していき、徐々に出場機会を増やしていって、最終的には碧をインサイドハーフに押しやりましたからね。アンカーはチームの結果を左右する重要なポジションですから、その責任感が当時の守田にとっていい方向に行ったんだと思います」
── 守田選手にもいろんなアドバイスをされたと思いますが。
「ボールの受け方や立ち位置のところは、守田にも、碧にもかなり言いました。相手を見ながら、自分のポジションを含めて相手の対策をいかに上回るかというところにフォーカスして、頭をフル回転させろと。彼はそれを見事に体現していましたね。
ただ、そこからの守田の成長速度は、彼の努力もあって本当にすごいと感じます。ポルトガルに行ってからは、サンタ・クララでも、スポルティングでも、それぞれのスタイルを吸収しながら、どんどん成長していますね。勉強熱心だし、言葉にするのが上手になったなとも感じます」
── いまや日本代表の中盤に欠かせない選手になりましたよね。
「アメリカ戦(9月23日@デュッセルドルフ)のパフォーマンスはすごかったですね。完全にチームの中心でした。本当はアンカーをやりたいのかもしれないですけど、2ボランチにシステムが変わっても、(遠藤)航(シュツットガルト)は守田にアンカーの位置でピックアップする役割を任せる時があります。
守田はあそこで受けるのがうまいですし、前を向いて縦パスも入れられる。鎌田(大地/フランクフルト)も含めたあの3人が中盤で組むと、昨年の韓国戦(3月25日@横浜)もそうでしたけど、すごくバランスが取れているなと。
今大会は、守田の舵取りがとても大事になります。特にドイツ戦やスペイン戦は中盤勝負になると思うので、守田が相手を見てプレーすることで、どれだけ日本に優位性を持ってこられるか。そこが本当に楽しみですね」
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