「夫とは愛し合っているけれど…」子持ち妻・34歳が、離婚を決意した意外な理由とは？
東京…特に港区は、ウソにあふれた街。
そんな港区を走る、すこし変わったタクシーがある。
ハンドルを握るのは、まさかの元・港区女子。美しい顔とスタイル。艶のある髪。なめらかな肌…。
乗客は皆、その美貌に驚き、運転席の彼女に声をかける。
けれど、彼女と話すには、ひとつルールがあった。
「せめて乗車中はウソ禁止です」
乗客たちは、隠れた本音に気づかされていく――。
▶前回：「浮気しない男なんて、この世にいますか？」大勢の男女を見てきた元港区女子の見解とは…
乃木坂〜流山 麻実(34歳)と真白(3歳)
恋愛体質だった麻実は、10代の終わりから数多くの男性と付き合ってきた。
交際期間はどれも短かった。麻実が、一方的に愛情を注ぎすぎるからだ。
「麻実は、気持ちが重すぎる」
元カレたちは、最後にはいつもそう言って去っていく。
成功体験が少ないせいで、年々自己肯定感は下がり、いつしか麻実はこう確信するようになっていた。
― 私を愛してくれる男性なんて、どこにもいない。
相手がハイスペックであればあるほど、見限られるのも早かった。
― 私と付き合うような男性は、センスがないんだ。
感情がこじれ、自分を卑下して生きるようになった麻実。そんなとき、大我と出会った。
「麻実さんって、ややこしいな〜」
ドライブ中、麻実がこれまでの恋愛キャリアを告げたとき、運転席で大我は笑った。
「でも気持ちはわかるな」
大我との、初めてのデートでのことだ。
「私の気持ちがあなたにわかるはずない」と言い返したかったところをグッと堪えたのを、今でも覚えている。
― あのときグッと堪えずに言い返していたら…私の人生は、どうなっていたんだろう？
初デートから3年後、大我と結婚し、真白が生まれた。
そして、麻実が34歳、真白が3歳になった11月の今夜。
麻実は、体重14キロにもなった真白を片手に抱え、もう一方の手で、数日分の衣類を詰め込んだスーツケースを引き、乃木坂の自宅を後にする。
真白が深い眠りについている間に、千葉県流山市の実家に戻るのだ。
離婚を決意していた。
拾ったタクシーの運転手は、珍しいことに女性だった。しかも若い。自分より年下だろうと、麻実は思う。
ネームプレートを見ると「柊舞香」と記されていた。
「遠くて申し訳ないのですが、千葉県の流山までお願いします」
「かしこまりました」
― いつもは大我が車を出してくれるから、真白を連れてタクシーに乗るのは初めて。
「あの…チャイルドシートってどうすればいいですか？」
「タクシーならチャイルドシート無しでも大丈夫だと、法律で決まってます。ご安心ください。安全運転で参りますので」
優しい声色で舞香に言われて安堵しながら、持ち込んだブランケットで真白を包む。
シートベルトを装着させても、真白は起きる気配がなかった。
乃木坂から流山まで、夜で道が空いているとはいえ、90分前後はかかる。
最初こそ、眠る真白を撫でていたが、しだいに時間を持て余した。
誰かに話を聞いてほしくなった麻実にとって、今目の前にいる舞香は、ちょうどいい相手だ。
「あの…話を聞いてもらっていいですか？」
舞香が、進路方向をまっすぐに見据えながら頷く。その姿を確かめてから、話を始めた。
「私、夫を置いて、実家に戻るところなんです…」
「そうでしたか」
「不倫されたわけでも、喧嘩したわけでもないんです…」
大我は、浮気や口論をするような人間ではなかった。
「でも…離婚したいんです」
「失礼ですが、理由は？」
失礼ではない、と麻実は思う。それを聞いてほしくて、舞香に話しかけている。
「夫が完璧すぎて…辛いんです」
初デートのときから、大我は優しかった。正式に付き合うことになってからは、もっと優しくなった。結婚してさらに優しくなり、真白が生まれてさらにさらに優しくなった。
10代の終わりから多くの男性を見てきた麻実は、「こんなに優しい男性は、二度と現れない」と確信していた。
「でも…夫が私のことを愛してくれれば愛してくれるほど、ダメな自分が許せなくなるんです。息が詰まってしまうんです」
大我は悪くない。本当に何も悪くない、と思う。
「私が全部、悪いんです…」
麻実は、かすかに震える声で、話を続ける。
思い返せばこれまでに、大我以上に好きになった男性は、たくさんいた。
正直に言えば、大我と付き合い始めたときは、彼をめちゃくちゃに好きだったわけではない。
出会った28歳当時、麻実は結婚相手を探していたから、優しくて、おおらかで、乃木坂にマンションを買えるほど収入の安定している大我を、文字どおり好物件だと思ったのだ。
結果、彼はまさに、理想の結婚相手だった。
「だから私も、頑張って、良い妻・良い母をしてきました」
うまくいかないことがあっても、大我は怒ることはもちろん、不機嫌になることもない。子どもが生まれたあとレスになる夫婦が多いらしいが、夫婦関係は良好だ。
気づけば大我を心の底から愛していた、と麻実は話した。
「お聞きする限り、愛し合っている幸せなご夫婦に思えますが。どうしてお客様は、ご自身のことを『ダメ』だと思われるんですか？」
舞香が尋ねた。
麻実は、ウソ偽りなく答える。
「私は夫と出会うまでずっと、付き合った男に『重たい』って言われるほど、一方的に愛情を注ぐタイプの女でした。
だからなのか、今、夫からたくさんの愛情を示されることが…なぜか辛くて。本当は嬉しいはずなのに、辛いんです。自分でもどうしていいか、わかりません」
言いながら麻実は、泣いている自分に気づく。
「同じくらいの量の愛情を持ち合う関係が…私にはできないんです」
「それが理由で離婚する、というのは、さすがに極端ではないですか？」
「わかってます。娘に迷惑をかけていることも、もちろん、わかってます。でも…でも…」
最後のほうは、涙で言葉にならない。
「お客様。私は、結婚も出産も経験がありません。でもお客様の話を聞いて、思うことがありました」
舞香の言葉に、俯いて涙を拭っていた麻実は顔を上げる。
「この世には、不幸でいたいタイプの人間がいます。お客様がまさにそれに該当しています」
「…不幸でいたい？」
思わず聞き返してしまう。
「はい。自分を不幸にさせていないと安心できない人です」
「私が、そうなんですか…？」
「お客様は、男性から拒絶される恋愛が多かったのでしょう。そのため、今のご主人もいつか自分を拒絶するのでは…と恐れている。
幸せな生活から放り出されるときの絶望は計り知れない。だから、いっそのこと今のうちに…と、不幸になっておきたいのです」
そんなことはない、と麻実は咄嗟に言い返したかった。しかし、口をつぐむ。
大我との初デートで言い返さなかったときのように、運転席から聞こえる声に耳を傾けた。
「このタクシーでは、ウソは禁止だと決めています。ですから私も、失礼を承知で、本音をお伝えします」
そう前置きして舞香は言う。
「わずかな間ですが、お客様の話を聞いていて、思いました。お客様は幸せになることを恐れている。
でも幸せになっていいんです。どんな人間だろうと、どれだけ自分のことを『ダメ』な人間だと思おうと、人は幸せになっていいんです」
舞香は、なおも言葉を続ける。
「おそらく今、お客様が私に話してくれた悩みと同じことを、ご主人も悩んでいらっしゃると思いますよ」
それは意外すぎる指摘だった。
「…夫が？」
いつも明るく前向きな大我は、少なくとも麻実の前で悩むような姿を見せたことがない。
「長い期間一緒にいれば、ご主人も、お客様の人間性や考え方を、深く理解されているはずです。
お客様が私に話してくれた悩みを、ご主人は当然わかっているはずです。いえ、わかっていないわけがない」
「…」
「お客様が自ら不幸な状況に追い込んでいくことについて、ご主人は深く傷ついているはずです。『どうして自分は妻を幸せにできないのだろう』と。
お客様がすべきことは、夜逃げのような形で実家に戻ることではありません。あらためてご主人と向き合い、ご自身の想いや悩みをぶつけ、話し合うことではないでしょうか」
頬を涙がつたい、麻実はふたたび自分が泣いていることに気づく。
「聞くかぎり、ご主人はお客様にたくさんの愛情を注いでいらっしゃいます。愛情を注ぎすぎたせいで失敗した…なんて想いを、ご主人に抱かせてはいけません。
ご主人は間違っていません。お客様は愛されるべき人間です。幸せになるべき人間です」
言い終わると、舞香は口を閉じる。それからしばらく、無言の時間が続いた。
麻実は静かに泣き続けた。
「ママぁ」
気づけば真白が目覚めていて、その手を麻実に伸ばしている。
母の涙を拭こうとしているのだ。
「ママ、大丈夫？」
「…うん」
麻実は涙を拭う。
「大丈夫」
大我は悪くない。だから自分が悪い。そう考えていた。
でも自分だって悪くない。もちろん大我も悪くない。誰も悪くないなら…。
「きっと大丈夫」
麻実はもう一度、声に出して言った。
真白にも、そして運転席の舞香にも聞こえるように。
「申し訳ないんですが、運転手さん」
今度は運転席に届くように、はっきりと声を出す。
「良きところで、Uターンして乃木坂に戻っていただけますか？」
舞香の返事はたった一言。
「かしこまりました」
▶前回：「浮気しない男なんて、この世にいますか？」大勢の男女を見てきた元港区女子の見解とは…
▶1話目はこちら：港区女子を辞め、運転手に転職した美女。きっかけは？
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イケメンが自宅付近で時間つぶしのためタクシーに乗る理由とは？
