離婚間近の35歳女が向かったのは、夫以外の男の部屋。その驚きの口実とは
「女の敵は女」
よく言われる言葉ではあるが、これは正しくもあり間違ってもいる。
女同士の友情は感情が共鳴したときに仲が深くなり、逆に感情が衝突すると亀裂が生じ、愛情が憎しみへと変化する。
この亀裂をうまく修復できなったとき、友人は敵となる。
だが、うまく修復できればふたりの仲はより深いものになる。
ここに、性格が正反対のふたり女がいる。
ひょんなことから東京のど真ん中・恵比寿で、同居を始めたことで、ふたりの運命が回りだす…。
大学の同級生だった諒子とマリは、ひょんなことから再会し同居中。そんな中、諒子は学生時代に恋仲だった男・錠との仲が復活する。だがその矢先、マリがかつて彼と関係があったことを知ってしまう。いら立ちをぶつけると、大喧嘩となり……。
▶前回：「私の彼にまで手をだしていたなんて…」親友の告白に困惑した35歳女は…
Vol.7 不穏な噂
「本当、どこ行っちゃったんだろう…」
大喧嘩の夜から、1週間。
マリは諒子の前から忽然と消えた。
あの夜以来、一切連絡はない。
― ま、どうせ、男のところに行っているんでしょ。
内心はそう思いつつも、1週間も姿を消しているとなると、何かあったのではないかと心配になってしまう。
しかし意地もあり、諒子は自分から連絡するのも気が引けていた。
「そうだ…」
以前、マリが家に押しかけようとしたという千奈津の後輩・白沢のことを思い出した。
マリの押しの一手で、彼の家に押しかけているということもありうる。
そうであれば、噂好きの千奈津の耳には確実に入っているだろう。
そう考えた諒子は、動向を探るべく千奈津をランチに誘った。
「ねえ、白沢クンからマリのこと何か聞いていないかな」
社食の650円定食を食べながら、恐る恐る尋ねる。すると、千奈津から戻って来たのは驚くべき返答だった。
「マリさん、すでにイイ人がいるらしいわよ。先週、白沢クンが離婚問題を探るつもりで彼女をお誘いしたら、脚本家の男性のおうちだって断られたみたい」
「え、脚本家…？」
嫌な予感がする。喧嘩の勢いでヤケになり錠の元に押しかけたのか…。
「ねえ、白沢クンがデートを断られたのって、いつ？」
「さぁ…。木曜の夜って言っていたかな」
先週の木曜は喧嘩し、マリが朝まで帰ってこなかった夜だった。
＜ねえ、先週マリに会った？＞
錠とは翌日の脚本会議で会う予定だが、諒子はいてもたってもいられずLINEをした。
＜うん。参鶏湯、ありがとうって言っておいて＞
ぬるりとしてつかみどころがない返信だったが、意味は分かった。
そういえばあの日、参鶏湯も鍋ごと消えていた。だが、諒子はあえて質問する。
＜どういうこと？＞
尋ねたが、一向に返事は来ない。
錠は、明日の会議に向けて原稿に取り組んでいるのだろう。
待っている間、いら立ちながらマリからの喧嘩前のLINEを見返した。
＜夕飯にお鍋でも作るよ＞
いま改めて見ると、やたらと鼻につく。
最悪の事態を想像し、頭に血が上った諒子は、さらにLINEを送ってしまった。
＜錠、まさか参鶏湯食べてそのままマリを泊めたんじゃないでしょうね！？＞
― はっ……。なんて直接的なことを。
メッセージを取り消そうとするも、すぐ既読になってしまった。
＜もー諒子、まだそのこと言ってるの？＞
直後に届いたメッセージの口調。ひと目でマリのものだとわかった。
― まさか、今もマリと一緒にいるの…！？
諒子が絶望的な気持ちになり呆然としていると、すぐマリの名前でメッセージが届いた。
＜もしかして、送り先を間違えた？＞
◆
「あるある、そんな誤送信。私も夫のノロケを本人に送っちゃったことあるよ」
マリは、すっぴんの笑顔で諒子の肩に手を回す。
ふたりは、日本橋にあるマンダリン オリエンタル 東京37階『ヒート＆ウォーター』を訪れていた。
時間はちょうど、日没後の薄明りの時間帯。ピンク色に染まる雄大な空と、夜の営みを始めたばかりの街のコントラストが美しい。
「ごめん、私、つい頭に血が上っちゃって。錠にLINEを送ったつもりが、マリにLINEしちゃってたんだね」
ジャグジーに一緒に浸かりながら、諒子はマリに謝る。
マリはこの1週間、東京のラグジュアリーホテルを転々としていたらしい。
アマン東京、シャングリ・ラ、パーク ハイアット。そして今日はマンダリンというわけだ。
ふたりはジャグジーで体を温め、大パノラマの絶景を眺めることができるドライサウナに移動する。
そこでマリは、錠の家に行った顛末を話し出した。
ちょうど1週間前のお昼すぎ。
錠から＜もう俺はだめかも…＞と、泣きのLINEがマリの元に届いたらしい。
時系列的に諒子にダメ出しをされた会議と、どんよりランチのあとだ。
錠は昔から、精神的に弱ると女性に頼る傾向があった。
マリは諒子のことを考え、誘いをあしらったらしい。
だが、その日の夜に諒子と大喧嘩。せっかく作った夕飯がもったいないと、マリは錠の家にタクシーで届けに行ったのだと話した。
「本当にそれだけ？」
「部屋にあがって、仕事の悩みを聞いただけよ」
「仕事の悩み…」
きっと、彼は互いを知るマリにしか心のうちを相談できなかったのだろう。
「ま、諒子のことだもの。仕事で気張る気持ちもわかるし、錠の自意識もわかる。適当に『大丈夫だよー』って言葉しか言えなかったけど」
「で、錠は」
「『天才だよ♡』って褒めたらすぐ元気出した」
他人事の励ましだが、そんな言葉が必要な夜もある。
マリが言うに、その流れで錠に手を握られそうになったが、身の危険を感じてすぐ出て行ったとか。
「…その話は聞きたくなかった」
「諒子に嘘つけないよ。バレたらしつこいし。ま、『何があっても知らない』とは言いましたけど」
諒子は、ただただ苦笑いする。そして、その晩からマリはホテル巡りを始めたらしい。
「ホテル巡りが、海斗との唯一の共通の趣味だったからね。オフの日に、ボーっとラウンジでのんびりしながら人を眺めるのが好きでね」
マリは、まだ夫・海斗に気持ちがあることをつぶやいた。
「帰国直後はひとりでホテルに泊まるのさえ辛かったけど、今になってやっとできるようになったの。何もかも諒子がいてくれたおかげ」
諒子は胸が締め付けられた。
スパタイムのあとは、個室で並んでトリートメントを受ける。
おしゃべりしながら、極上のエステタイムを堪能した。
話題は諒子が、手を焼いている錠の仕事の話だ。
「ホントにどうしたらいいのかな。彼」
「でも、センスは感じるからなんとかしてあげなよ。斜めに見ないで、純粋に作品と向き合えないの？」
手のひらを返したようなマリの言葉に、諒子は呆れた。
「マリまでそんなことを。前は成長してないって言っていたじゃない」
「まあそうなんだけど。結局、錠くんの話聞いていたら、彼にも諒子みたいになって欲しくなっちゃってね」
マリは優しい顔で微笑んだ。
「私みたいに？」
「諒子は私の友達の中で唯一、夢を叶えている憧れの存在だから」
「…」
その言葉に、諒子は肩の力がフッと抜けたような気がした。まるで心までデトックスされたような、そんな感覚だった。
◆
夢のような時間を終えたあと、マリは「これから予定がある」とすぐ解散となってしまった。
その晩は、白沢とリベンジデートの予定があるのだという。
恵比寿に戻った諒子は、ひとり『松栄』に赴き、鮨をつまむことにした。
諒子は、脂の乗ったトロや鰤を口に運ぶ。
辛口のシャンパンがそれを引き締め、上品なうまみが口の中に広がり、さらに極上の気分になる。
好物の車海老も食べ応えがあるばかりか繊細な味わい。一貫一貫の丁寧な職人の仕事ぶりが握りから伝わってくる。
― もう、マリと喧嘩した内容なんて、どうでもよくなっちゃった。
今さらながら、なぜあんなに昔のことにクヨクヨしていたのかと後悔する。
― 自分勝手で面倒くさい女だな、私。
諒子は「堅実だが面白みがない」と評される自分と、マリを思わず比べていた。
ぶっ飛んだ非常識さはあるが、カラっとして自分に正直に生きている。
きっとそういうマリの素直な部分が、繊細なアスリートを射止められた理由なのかもしれない。
それに比べて、真面目で他人にも厳しい諒子は、自分のルールに苦しむことが多々ある。
また周りから外れないように生きてきたため、組織ではある程度出世した。
その半面、いまだ実績に残るような代表作はない。
与えられた役割を、無難にこなしている日々なのだ。
そんなことを考えていると、錠から添付ファイル付きのメールが届いた。例の原稿だ。
あがりを口にしながら、スマホで確認する。
相変わらずの原作破壊ぶりで、言われたことは何ひとつできていなかった。
ため息をつきながら、頭を空っぽにしてもう一度読み返す。
すると、自然と笑みがこぼれた。
マリが言うように、確かに彼にはセンスがあるのだろう、そう感じられる内容だったからだ。
― 錠のプロットで、勝負かけてみようかな。
原作を改変していることでたくさんの人に怒られるかもしれないし、視聴者の反応も悪いかもしれない。
でも、前例やしがらみに支配されがちな自分を変えるチャンスだと、と諒子はワクワクしてきた。
諒子の心に火がついた。
▶前回：「私の彼にまで手をだしていたなんて…」親友の告白に困惑した35歳女は…
▶1話目はこちら：35歳独身女がセレブ妻になった同級生と再会。彼女が放った高慢なひと言に…
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仕事も順調に進み、錠との仲も絶好調の諒子。一方、マリは……
