阪本順治監督の映画『どついたるねん』で、小さなボクシングジムのコーチを務める原田芳雄が、スパーリングを終えたリング上で主演のボクサー、赤井英和の体を抱き寄せ、耳元でこうささやくシーンがある。

「ありがとう、夢のようだった」

 そうつぶやいて、原田芳雄はリングを降り、ジムを去って行く。

 2022年MotoGP最終戦バレンシアGPで、アレックス・リンス(Team SUZUKI ECSTAR)が1周目の1コーナーから最終ラップ27周目の最終コーナーまで終始一貫してトップを走行し続けてチェッカーフラッグを受ける圧巻の優勝を飾った時、脳裏に浮かんだのがこの場面だった。


スズキのMotoGP撤退は世界中に大きな衝撃を与えた

 スズキ株式会社が突然、参戦契約期間の途中であるにもかかわらず、関係各方面との事前調整も行なわないままに「今シーズン限りのMotoGP撤退」を表明したのが今年の5月。それ以来、チームと選手はやり場のない感情を抱えながら毎戦のレースを戦ってきた。現場で戦う自分たちには経営陣の撤退判断を覆すことができない以上、寝耳に水の雇い止めを宣告されたに等しい彼らにできるせめてもの〈意趣返し〉は、レースで好成績を収めて優れた戦闘力と世界への高い訴求効果を見せつけることだ。

 スズキ株式会社の唐突な今回の意志決定に対して、日本の二輪メディアやレースメディア、スポーツメディアは総じて腰が引けた態度で、批評的検証や批判的考察等は寡聞にしてまず見かけたことがない(余談になるが、自律的批評性を欠いたメデイアのこの姿は、サッカーW杯カタール大会に対してジャーナリスティックな検証を行なえない日本のスポーツ報道ーwebSportivaを含むーのありようにも通底するように思える)が、だからこそなおさら、レース現場で働くチーム関係者たちは、孤立無援に近い苦悩や鬱積を抱えながら戦い続けてきたのであろうことは想像に難くない。

 最終戦の2戦前、10月中旬の第18戦オーストラリアGPでも、リンスはホンダやドゥカティのライダーたちと最後まで激しいバトルを繰り広げて優勝を果たしている。この時にリンスとともに表彰台に上がったプロジェクトリーダーの佐原伸一は、壇上で思わず「見たかー!」と叫んだという。

 最終戦のウィークを控えたチームのホスピタリティ施設でこの時の様子を語る佐原は、あの台詞は特に誰かに向けて言ったものではなく、「僕たちはまだこれだけのことをできるんだぜ、という感情があんな言葉になったんだと思う」と笑いながら振り返った。

 そして、「今週末の日曜に、決勝レースでペコ(フランチェスコ・バニャイア/Ducati Lenovo Team)とファビオ(・クアルタラロ/Monster Energy Yamaha MotoGP)のチャンピオン争いが微妙な状況になったとしても、ウチは忖度なく勝っちゃうからね、というつもりでいますよ」と、ジョークのオブラートにくるみながらも、週末に向けた強い決意を述べた。

 そして、11月6日午後2時にスタートしたTeam SUZUKI ECSTAR最後の決勝レースでは、冒頭に述べたとおり、リンスが誰にも一瞬も前を譲ることなく、鮮やかで完璧で力強い優勝を成し遂げた。1960年に世界グランプリ開幕戦のマン島TTへ初めて参戦し、1962年にそのマン島で初優勝を挙げて以来総計162回目となるこの勝利は、歴代ライダーやチームスタッフ、開発技術者たちが長い時間をかけて連綿と積み上げてきた蓄積の集大成といっていい。

 彼らが一身に担い、ロードレースの世界で培ってきたスポーツ文化と、高い性能が示すブランド訴求力は、必ずしも財務諸表などの数値で定量的に明示されるものではない。それだけに、撤退を判断した経営陣の目から見れば、二輪ロードレース活動は事業全体の損益を検討すれば躊躇せずに切り捨てられるものなのだろう。

 ところが、文化は経済指標等の金銭に簡単に換算できるものではない。さらにいえば文化とは、企業のありかたや経営思想とも、実は不可分のものでもある。今回のこの〈撤退〉は、企業の中に息づく文化を、短期的な有形財貨と資産のみから成る価値として計量可能なものと考えるのかどうか、というスズキ株式会社経営陣の姿勢と思想を明らかにした、ともいえるだろう。


スズキは最終戦でトップを独走できる実力を見せつけた

 ところで、佐原の上記の言葉にあるとおり、最終戦のバレンシアGPではヤマハのクアルタラロとドゥカティのバニャイアがチャンピオンを争っていた。シーズン最終戦までもつれ込んだとはいえ、23ポイントをリードするバニャイアは、たとえクアルタラロが優勝した場合でも、自分は14位でゴールすれば王座を確定できる、という圧倒的に有利な状況だった。

 前年度チャンピオンのクアルタラロはシーズン序盤に快調な滑り出しを見せたものの、初夏の中盤戦以降は苦労するレースが続き、対照的にバニャイアは4連勝をはじめとする快進撃でどんどんライバルを追い上げ追いつめていった。ドゥカティはMotoGP参戦24台中8台、と全体の1/3を占める最大勢力だが、バニャイア以外にも毎戦ドゥカティ勢の誰かが表彰台に登壇している。

 一方、パワー面で非力なヤマハの性能を最大限に発揮しようと渾身の走りを続けたクアルタラロは、無理がたたって転倒する等のノーポイントレースもあり、流れを見失っていった。そして、シーズン終盤ではついにランキング首位の座を明け渡し、バニャイアを追う立場になった。このあたりの推移にも、今シーズンの両選手、そしてヤマハとドゥカティの勢いの差が如実に表れている。

 結果はこのシーズン展開に表れているとおり、バニャイアがタイトルを獲得。チームチャンピオンシップとマニュファクチュアラーズタイトルも制して、ドゥカティは2007年以来15年ぶりの三冠を達成した。しかも今年は、イタリアのチームに所属するイタリアのライダーがイタリアのバイクで世界チャンピオンになる、という、イタリアにとってはまさに悲願の達成である。

 さらに、このMotoGP最終戦翌週に行なわれたスーパーバイク世界選手権(SBK)第11戦インドネシア大会でも、ドゥカティはライダー・チーム・マニュファクチュアラーの三冠を達成。ドゥカティはプロトタイプマシンと量産車のふたつの世界最高峰カテゴリでパーフェクトウィンを成し遂げ、2022年の二輪ロードレース界を文字どおり制覇した。


圧巻の勝利を飾ったアレックス・リンス

 そしてMotoGP最終戦が終わった翌々日の11月8日、バレンシアサーキットでは2023年に向けた最初のテストが行なわれた。

 来シーズンの陣容は、意気軒昂なドゥカティが4チーム8台、同じくイタリア勢のアプリリアが2チーム4台、オーストリアのKTMも2チーム4台、と欧州勢は3メーカー8チーム16台となる。一方、日本メーカーはスズキの撤退により、ホンダが2チーム4台、ヤマハは1チーム2台、と2メーカー3チーム6台。欧vs日、で比較すると日本メーカーは明らかに劣勢である。

 ホンダ勢では負傷と手術から復帰してきたマルク・マルケスが本格的に復調しそうだが、このテストで得たマシンの感触はというと、来年に向けて日本の開発陣が懸命に努力をしている、と気遣いを見せながらも、「今日のテストで乗ったこのバイクでは、チャンピオンシップを争うことはできない」と厳しい評価を与えている。

 また、タイトル奪還を目指すヤマハのクアルタラロも、2日前の最終戦決勝レースで走ったエンジンとパワーに大差はなかったと話し、さらに「今日のテストがムダだったとは言わないが、奇妙な印象の一日だった。何かが噛み合っていないので、こういう形で一年の走行を締めくくりたくはなかった」と忌憚のない意見を述べた。

 すでに述べたとおり、2023年の日本メーカーは数のうえでは明らかに劣勢となる。数で勝る欧州勢に対抗してホンダとヤマハが強靱なプレゼンスを発揮しようと思うのであれば、卓越した能力を持つマルケスとクアルタラロがその才能を存分に発揮することのできるバイクに仕上げることは必須条件だ。

 2月上旬にマレーシア・セパンサーキットでプレシーズンテストが行なわれるまでの約3カ月は、世間的にはシーズンオフだが、ホンダとヤマハにとってはまさに正念場の天王山となるだろう。