サッカー選手にケガはつきもの。毎回、W杯の前にはケガのため悔し涙を飲む選手がいる。しかし、それにしても今回のカタールW杯前はその数が多すぎる。毎日のように「エースがひざを痛めた」「サイドバックもアウトだ」などというニュースが舞い込んでくる。これは決して偶然ではないと筆者は思っている。

 そのなかにはカタールで主役になるかもしれなかった選手を含まれている。もしかしたら間に合うかもしれないと、一縷の望みを託して代表のメンバーに選ぶ監督も多いが、彼らがベストコンディションでピッチに立つことは難しいだろう。

 一番痛手を受けているのは連覇を狙うフランス代表だろう。4人の主力がケガをしている。ポール・ポグバとエンゴロ・カンテは完全にアウト、ラファエル・ヴァランもカタールには行くが、プレーできるかは怪しい。

 もうひとつの優勝候補アルゼンチン。パウロ・ディバラ、アンヘル・ディ・マリアは選ばれたものの、大会序盤からプレーするのは難しいだろう。 大会直前にはジオバニ・ロ・チェルソをメンバーから失っている。

 ブラジルはこれら2チームに比べると少ないほうだが、フィリペ・コウチーニョが欠場するのは痛い。彼はネイマールにとって代われる一番のサブだった。

 二度ケガをしたベルギーのロメル・ルカクも最終的にはメンバーに入った。だが、メンバー発表の数日前までロベルト・マルティネス監督は「現時点では難しい」と言っていた。どこまで復活できるか。


ケガのためカタールW杯の日本代表から外れた中山雄太photo by MB Media/AFLO

 ドイツのティモ・ヴェルナー、ポルトガルのディエゴ・ジョタ、イングランドの期待の若手リース・ジェームズも欠場。セネガル代表のエース、サディオ・マネは一応メンバー入りを果たしているが、プレーするのはかなり難しい状況のようだ。日本代表も中山雄太がメンバーに選ばれたもののW杯を断念。そのほかにもケガ人が出ていると聞く。

 ケガの内訳を見ると、骨折などより、捻挫やアキレス腱、靱帯の損傷などの柔らかい組織のケガが圧倒的に多い。そして柔らかい組織のケガが起きるは、疲労がたまっている時が多いと言われている。

ヴィニシウスも恐れる精神的疲労

 今シーズンの日程はすべてがイレギュラーだ。W杯を戦う多くの代表選手はヨーロッパのリーグでプレーしているが、W杯がこの時期に行なわれるため、彼らはリーグ戦の途中でカタールに行かなければならない。だからといってリーグの試合数が減るわけではない。この時期に1カ月の中断を入れるため、各国リーグは通常より早く始まった。これは昨シーズンと今シーズンの間隔が短かったことを意味する。選手は体を休める時間も、体を作る時間も例年に比べて少なかったのだ。

 中断されるのはリーグ戦だけではなく国内やヨーロッパのカップ戦もしかり。だからこれらも通常より高い頻度で試合が行なわれる。また同時に、W杯に向けて代表での親善試合、ヨーロッパの選手ならネーションズリーグも戦わなくてはいけない。この夏から、選手たちはとんでもない過密スケジュールのなかでプレーしているのだ。

 中断されたW杯南米予選のブラジル対アルゼンチンの試合は、公式戦であるにもかかわらず、ついに再試合が行なわれなかった。それをねじ込む余裕が日程になかったからだ。

「カタールW杯の日程には無理がある」とはずっと言われてきたことだが、ここにきてそれはケガ人の増加という最悪の形で証明されてしまっている。
 
 カタールW杯は32チーム制になって史上一番短い29日間で行なわれる。各国のリーグ戦もギリギリまで続けられたため、選手たちはクラブの試合が終わったらすぐに代表の合宿に入らなくてはいけない。夏開催の場合はW杯に向けての準備は約1カ月だが、今回はほとんどのチームは10日程度だ。ケガをしている選手にとっては治す時間がないということだ。
 
 選手はクラブでも代表でもベストを尽くさなくてはいけない。肉体的疲労度はもとより、精神的な疲労度も大きい。レアル・マドリードのブラジル代表、ヴィニシウス・ジュニオールはこう言っている。

「体の疲れは見えるけれど、心の疲れは目に見えない。だからこそ怖いんだ」

 最近のクラブチームではスタッフに心理カウンセラーを置くところが増えているが、精神的疲労もケガの大きな一因となる。

話し合われなかった日程問題

 それにしても、こうなることは目に見えていたのに、なぜFIFAと各国サッカー協会はスケジュール問題に手を打ってこなかったのか。

 カタールW杯開催が決まったのは2010年の12月末。ぞの後何年も、暑さに対する具体的な方策は話されなかった。fFIFAは2015年になって、シーズン真っ只中の冬に開催する案を発表したが、各国リーグは始めのうち、これを受け入れない姿勢を見せた。それから話し合いが何度ももたれ、2017年にやっと合意。しかし箱を開けてみると、過酷な日程による選手たちへの影響は一切考慮なされていなかった。この2年間、彼らが話し合っていたのはただの一点についてのみ、選手ひとりにつきFIFAが協力金をいくら出すかだ。

 この協力金はクラブ・ベネフィット・プログラムと呼ばれ、FIFAが選手を拘束した日数(W杯期間中や公式準備期間)に応じて各クラブに支払われる。前回の2018年は選手ひとりあたり1日8500ドルだったが、今回は1万ドル(約145万円)が支払われる。所属する選手の代表チームが決勝まで勝ち進んだ場合、クラブが受け取れる最高額はひとりにつき約37万ドル(約5400万円)という計算だ。今回この協力金をFIFAから受け取るクラブは世界で416あるという。

 今回、各国代表は従来の23人より多い26人をW杯に連れていくことができ、試合中の交代枠も増やした。これらはコロナ対策などと言われているが、私はそれだけではないのではないかと疑っている。自分たちが選手にいかに過酷なことを強いているのか、彼らはわかっているのではないか。

「選手たちは疲労のなか、ケガをしないように祈る気持ちでプレーしている」と、ヴィニシウス・ジュニオールは語っていた。ケガをして一番大きなダメージを受けるのは、代表チームでもクラブでもなく、選手自身だ。その後の人生さえ変わってしまう可能性もある。

 心身ともに疲労した形で暑いカタールで戦う選手たち。ケガ人のリストが開幕後に増えていかないことを切に願う。