現役打撃投手、元巨人外野手、甲子園準優勝投手…トライアウトのマウンドに紆余曲折を経てたどり着いた3人の男たち
今年で22回目を迎えたプロ野球12球団合同トライアウト。多くの報道やドキュメンタリーの効果もあり、一度は非情な通告を受けた選手たちが再起をかけてしのぎを削る場として、ファンの間でも定着している。
実際に合格率は低いとはいえ、トライアウトを経て再び表舞台に駆け上がった者もいる。だが、それはトライアウトのひとつの側面にすぎない。ある者にとっては、自らが望むポジションで、誰かに自分の姿を見せたいと思ってこの場に参加する者もいる。
バッティング投手、元外野手、プロ入り後に野手転向したかつての甲子園準優勝投手。彼らは自身が全盛期ではないことを知りつつ、それでもなお「ピッチャー」としてトライアウトのマウンドに上がった。
巨人打撃投手からトライアウトに挑戦した小石博孝
現役時代の極端に小さなテイクバックは健在だった。打者にしてみれば、タイミングの取り方に戸惑うことだろう。
「変な緊張感もなく、バッターを見て自分にできることを冷静に考えながら投げられたかなと思います」
実戦感覚を問われた小石博孝は、迷う様子もなくハッキリと答えた。
ドラフト2位で入団した西武では、おもに中継ぎとして8年間で117試合に登板。2016年には50試合に出場するなど、独特なフォームと多彩な変化球で西武のブルペンを支えた。
戦力外通告を受けた2019年にもトライアウトに参加しているが、現役投手としてのオファーは受けられず、巨人のバッティング投手を務めることとなったのが2020年のことだった。
打撃投手をやるなかで、小石はあることにひらめいた。
「自分のなかで『こうやって動いたらもっとラクなのに......』『こうやればもっといい球を投げられるのに......』と」
そのことが、2度目のトライアウト挑戦につながった。引退後も米国の理学療法士の資格をとり、体や動作のことを学んだ。そしてバッティング投手として日々打者に向かって投げるなかで、ひらめきを自分の体で試したいと思うに至った。
2022年になってから本格的にトライアウトに向けて動き出し、バッティング投手の傍ら、朝や昼の空き時間を使って練習を重ねた。
迎えたトライアウト本番、小石は現役時代の西武のユニホームではなく、巨人の背番号209のユニホームでマウンドに上がった。
対戦相手は、阪神で中軸を務めたこともある中谷将太(元ソフトバンク)、広島の優勝メンバーである安部友裕、18年に2ケタ本塁打を放った内田靖人(元楽天)と、一軍でも実績のあるメンバーが揃う。
内田にはレフト線への二塁打を許したものの、中谷は空振り三振、安部はサードゴロに仕留めて出番を終えた。
取材でこの日のベストピッチングを問われた小石は、迷わず「空振りをとれたスクリュー」と答えた。現役時代の8年間にバッティング投手としての3年間を加えた11年の蓄積を、3000人のファンに披露できた瞬間だった。
トライアウト最速となる150キロを出した巨人の元外野手・村上海斗
今年のトライアウトには、計26人の投手が参加していた。本格派から技巧派、変則投げまでバラエティーに富んだ投手が集まるなか、この日、最速となる150キロを計測したのは、緑色のユニホームに身を包んだ大柄な右腕だった。
「真っすぐとスライダーとフォークしか投げていません。とにかく、真っすぐをアピールしたかったんで」
そう語るのは村上海斗。元巨人の"外野手"である。
高校時代からピッチャーを務め、大学で野手転向してからも、ピッチャーをやりたい気持ちは消えなかった。
「大学で肩の調子が悪くなって、1年間投げられなくなったんですよ。野手としても評価してもらえていたので、『野手一本でどうだ』と監督に言われて転向したんですけど、バッターでは自信なんか全然なかったですね」
2017年のドラフトで巨人から7巡目指名を受け入団するも、一軍に出場することなく、2020年オフに戦力外通告を受ける。だが、それが転機となった。
関西独立リーグの堺シュライクスに身を置き、投手に復帰。肩の故障はすっかり癒え、問題なく投げられるようになった。
村上が入団した2021年からシュライクスはリーグ連覇を果たす。村上はクローザーを任され、今年はチーム最多の4セーブを挙げる活躍を見せた。
本当は昨年のトライアウトにも参加するつもりでいたが、調子がなかなか上がってこなかった。割り切って2022年のトライアウトに照準を定め、そして今年、ついにトライアウトのマウンドに立った。
パワーで押す投球で、山粼真彰(元楽天)をセカンドフライ、岩見雅紀(元楽天)、上野響平(元日本ハム)をともに140キロ台の球で空振り三振に斬ってとった。
「最高のパフォーマンスとは言えないですけど、実力は出せたのかな」
初めてNPB戦士に対峙したマウンドを、村上は謙虚に振り返った。
「野手の時も野球は好きでしたけど、シュライクスでピッチャーをやるようになって、より野球が好きになりました」
野球をやったことがある人間なら、誰しもが一度は憧れるポジション。ピッチャーへの情熱を捨てなかったからこそ立てた、トライアウトのマウンドだった。
東海大相模時代は夏の甲子園準優勝を果たした一二三慎太
タテジマの背番号36がマウンドに上がると、スタンドから拍手が起きた。球界を去って6年が経ってもファンがその男を忘れていないのは、珍しい名前のせいだけではないだろう。
一二三慎太──サイドスローから150キロの剛球を投げ込む東海大相模のエースとして、2010年に夏の甲子園準優勝。将来を嘱望された逸材として、同年秋のドラフトで阪神から2位指名を受けたが、その時点で一二三の肩は悲鳴を上げ始めていた。
ルーキーイヤーから満足に投げられない日が続き、2年目の2012年には早くも野手に転向。だが、その後も類まれなセンスを発揮する機会は訪れず、2015年に育成契約となり、翌年に阪神から戦力外通告を受けた。
現在はパーソナルトレーナーとして働いている一二三が、トライアウトを決意したのは「再び投げる姿を見せたい」という強い思いからだった。
「トレーナーをやっていると、『肩が痛くて投げられへんけど、どっかで投げられへんかな』っていうお客さんが多いんで、僕が手本を見せようと。周りに支えてくれる人がいたので、やっぱり僕も表舞台に出て、そういう姿を見せたかった」
ファンへの思い、そして支えてくれた仲間への思い。
5年前から仕事をしつつ、「腕も上がらない」状態から少しずつ投げるためのステップを歩み始めた。30歳を迎えた今年、12年ぶりにたどり着いたマウンドがトライアウトだった。
樋口龍之介、片岡奨人、宮田輝星と元日本ハムの打者3人を相手に、高校時代と同じサイドスローからストレートとスライダーだけを投げ込む。トライアウトという舞台で打者が打ち気なのも味方し、一二三は2つの三振を奪ってマウンドを降りた。
この日の最速は、130キロだった。
「ビックリしましたよ。練習で測っている時は、118とか120キロぐらいやったんすよ。アドレナリンですかね(笑)」
そう語った一二三は、最後にこう続けた。
「やっぱり150キロ近い球を投げていたんで、悔しさはありますけど......でもまあ、一般人が十分じゃないですか。十分やと思いますよ、僕は」
もう150キロの球は投げられない。だが一二三がこの日のマウンドに上がったのは、決して現役復帰をするためではない。
「仕事をしながら、野球チームに所属せずにここまで来られたのは、自分自身をちょっと褒めてあげたい。この5年間、お疲れやったなって」
2022年11月8日、楽天生命パーク宮城で一二三慎太の野球人生にようやくひとつの区切りがつけられた。
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小石、村上、一二三の3人が歩んできた道のりはそれぞれ違う。だが、マウンドという舞台へのこだわりは捨てず、この日のトライアウトに臨んだ。ピッチャーにこだわり続けた男たちの集大成もまた、トライアウトに秘められたドラマなのだ。