11月、鳥栖。サガン鳥栖は最終節のサンフレッチェ広島戦に向けて最終調整に入っていた。川井健太監督とコーチたちの号令のもと、トレーニングのテンポは軽快かつ濃密だった。

「(中野)伸哉、そこ、ちゃんと戻れよ。試合中にジョギングで戻るか?」

 チームの戦術的な重鎮と言えるGK朴一圭が、19歳のルーキー、中野伸哉のプレーを叱責した。リアクションの機敏さが求められる練習で、反応が緩慢になり、失点になった。その後も朴は中野を叱咤し続けた。

 それに対して、中野の顔つきが小さく変化する。怒りではなくとも、反発はあるのだろう。サイドからのクロス、利き足と逆の右足で鬼気迫るボールを入れる。これを味方が合わせてネットを揺らすと、中野はゆったりとした足取りで戻った。プレーで見せつけたのだ。

「ナイスボール! 伸哉。それだよ! それやったら、ゆっくり帰っていい」

 朴は大きな声をかけた。切り取られたひとつのシーンが、鳥栖躍進のひとつの答えだった。
 

Jリーグ最終節、サガン鳥栖はファン・ソッコの同点弾でサンフレッチェ広島に引き分けた

 今シーズン、鳥栖は20人近い退団選手が出て、ほぼ丸ごと入れ替わった。主力のほとんどをJ1の有力クラブに放出した一方、獲得したのはJ1のサブ、あるいはJ2でも定位置を奪いきれない選手たちばかり。当初、戦力ダウンが懸念されていた。

 しかし、ふたを開けたら、彼らは「精鋭軍団」になっていたのである。

 下馬評では「降格有力候補」だったが、11位という順位で残留を勝ち取った。しかし、それだけなら、そこまで驚くことではない。J1では控えだったり、J2でも定着に苦しんだりしていた選手を束ね、横浜F・マリノスや川崎フロンターレにも堂々と戦った。自分たちがボールを握って、湧き出すように仕掛ける攻撃は圧巻。敗れても美学を感じさせ、主体的に戦う姿はセンセーションを巻き起こした。

 これは強化の成功と言えるだろう。まず、川井監督を招聘。慧眼と熱心な交渉により、朴のような基盤となる選手は引き止め、若手を発奮させ、環境次第で成長できる選手を集めた。

「監督がブレないから自信を持ってプレーできる」

 たとえば元韓国代表のファン・ソッコは33歳になるディフェンダーだが、清水エスパルスから移籍してきて、変化を恐れずに練習に取り組んでいた。ほかの選手たちはその姿を見て、「ワールドカップにも出ているソッコさんが、あれだけやるんだから......」という空気になった。それぞれが現状に甘んじず、周りの評価を一新させた。 

「まず公平な競争がチームにあって。それぞれが必要な準備をして試合に挑み、練習で積み上げてきたことを出し、結果を残し、また競争し、成長する。今の鳥栖には、選手としてあるべき環境があるんだと思います」

 ガンバ大阪から鳥栖に戻ってきたFW小野裕二は、鳥栖が好転した理由を端的にそう説明している。ガンバで契約満了後、他の話も聞かずに鳥栖からのオファーを選んだ。

「(川井)健太さんには、『違いを作れ』と言われます。選手が迷いなく試合で戦えているのが大きいですね。相手によってやり方を変えることはありますけど、とにかく監督がブレない。だからこそ自然と選手も、"できるんだ"って自信を持ってプレーできているんです。みんな手応えを感じながらやっているはずです。ただ、個人的にはもっとしっかり(先発で)試合に出て、貢献したいですね」

 小野は意欲的に言っている。

「山形ではサブ組だったので、ずっと(川井)健太さんに見てもらっていました」

 そう語ったのは、MF堀米勇輝である。昨シーズンはJ2のモンテディオ山形に所属し、控え組で、当時コーチだった川井監督の指導を受けていた。

「健太さんのような人には、会ったことがないですね。たとえばシュートの時、『ボールを見るな』って言うんです。『キーパーを見ろ』って。間接視野にボールを入れて、キーパーを見れば、(選択を)変えられるっていうことだと思うんですけど、普通は『ボールを見て蹴れ』となるわけで、伝え方が全然違うんです」
 
 川井監督が鳥栖を率いることになり、堀米も鳥栖に引っ張られて来ることになった。

「正直、鳥栖に移籍することになって不安はありました。J2でろくに試合に出られていなかった自分がJ1で本当にやれるのかって。キャンプ後の開幕戦でスタメンに入れたんですが、気負いすぎていたんでしょうね。健太さんが来て、『ミスしても、死ぬわけじゃないじゃん?』って。そう言われて、余計な力みが抜けて手応えのあるプレーができました」
 
 2009年のU‐17ワールドカップに出場するなど、「左利きの天才アタッカー」と期待されていた男、堀米はその片鱗を見せた。キャリアハイの活躍だった。第12節FC東京戦で決勝点となった直接FKは語り草だろう。ただ後半戦は、コロナ感染や打撲などで継続的に試合に出られなくなった。熾烈なポジション争いのなか、再び定位置を取り返す立場になった。

「せっかく前半戦で感触を掴んでいたのに、コンディションをなかなか戻せなくて......。だから、次はシーズンを通して戦えるようになりたいですね。せっかくこのチームでできているんだから、サッカーを楽しみたい。健太さんも言っているように、『自分たちが楽しまなかったら、サポーターも楽しくないし、結果もついてこない』ので」

 少しでも気を抜けば、誰かにポジションを奪われる。しかし、そこにあるのは殺伐とした競争原理ではない。サッカーを楽しむ。それに没頭するなかで起きる争いで、プロサッカークラブでは極めて健全なものだ。

「みんな、まだまだできると思うんです、ほんのちょっとしたところを突き詰めていくだけで。そこで満足しちゃったら、停滞だから」

 チームをけん引する朴の言葉である。2022年の鳥栖は、2023年の鳥栖の土台になるはずだ。