ロッテ・佐々木朗希をはじめ、中日・郄橋宏斗、巨人・大勢、阪神・湯浅京己......と、次世代の日本球界を背負う若手投手陣が侍ジャパンに集結した。

 11月5日の日本ハム、6日の巨人との練習試合を経て、同9日、10日にオーストラリア代表との強化試合に臨む。広島からは、侍ジャパンの常連だった森下暢仁が右ヒジ痛で辞退したことにより、2年目左腕の森浦大輔がただひとり選ばれた。


広島のセットアッパーとして今季51試合に登板した森浦大輔

2年連続チーム最多登板

 ほかの投手と比べれば、知名度では劣る。アマチュア時代(天理高→天理大)も全国区の投手ではなく、ドラフト2位で広島入りした当時もあまり目立っていなかった。

 初めて参加した一軍春季キャンプでは、ブルペンで速球を投じる先輩投手のなか、キレと制球力、変化球のコンビネーションで勝負する技巧派左腕の存在感はほぼなかった。とくに球のキレを欠いたキャンプ序盤は見劣りしたほどだった。

 一軍キャンプに参加した新人のなかでは、即戦力と期待されたドラフト1位の栗林良吏、3位の大道温貴や6位の矢野雅哉といった同期よりもアピールに欠けていた印象だ。

 ただ、そんな状況でも動じない強さが森浦にはある。アピール重視の思考にならず、自分自身の成長や調整にフォーカス。消していたようにすら感じる存在感が、気づけば増していた。

 広島ブルペン陣のなかでも特別球が速いわけでも、驚くような決め球があるわけでもない。それでも森浦は、気づけばセットアッパーの役割を任せられるような立場となった。開幕一軍を果たした1年目も、序盤はロングリリーフやワンポイントをこなしてセットアッパーにまで上り詰め、チーム最多の54試合に登板した。

 普段の森浦は、街中にいる20代青年とあまり変わらないように見える。身長175センチ、体重71キロと体は大きいわけではなく、筋骨隆々というわけでもない。取材をしていても声は小さく、口数も多くない。物腰が柔らかく、物静かな性格。そんな印象が強い。

 だがブルペンで肩をつくり、最後の1球を投げきるとスイッチが入る。いざマウンドに上がれば別人となり、ピンチにも動じない強心臓で、強気な投球を貫く。

 右打者に対してクロスファイヤーに内角を突く真っすぐには角度があり、外角低めに逃げていく軌道のチェンジアップでかわす投球は巧みだ。左腕でありながら、左打者よりも右打者のほうが被打率は低く、侍ジャパンの栗山英樹監督は「右打者を抑えられる左腕として、みんなと違う目線で見ている」と評価する。

野球人生初の日本代表

 今季は開幕直前に二軍降格となるも、4月22日に一軍昇格を果たすと、栗林につなぐセットアッパーに定着。シーズン終盤にはリーグタイ記録となる10試合連続登板を果たすなど、チームにとって欠かせない存在となり、新人から2年続けてチーム最多となる51試合に登板した。

 天理大の1年、3年時に日本代表合宿に招集されたが、いずれもメンバーに選ばれることはなかった。そんな森浦がようやくたどり着いた日本代表の座。大学時代に届かなかった日の丸を背負うことに喜びはあるかと聞くと、「そうですね......ちょっと」と控えめに笑うだけ。いつもの森浦だった。

 10月の秋季練習からWBC使用球での練習も始め、10月下旬には実戦感覚を養うために宮崎県でのフェニックスリーグに参戦した。2試合に登板して、計2イニングを無失点。臨戦態勢を整え、いざ侍ジャパンの戦いに挑む。

 来春開催されるWBC本番に向け、投手陣争いは熾烈を極める。今回選ばれた有望な若手投手だけでなく、チームメイトの栗林ら実績組も多くいる。生き残りは険しい道のりだ。それでも、いつもは控えめな左腕ははっきりと意気込みを口にする。

「まずは強化試合でしっかりと。全力で投げて、アピールしたい」

 タレント揃いの侍ジャパンで存在感を示すことができれば、世界への扉も開かれるかもしれない。