片岡保幸が振り返る伝説の走塁。2008年日本シリーズ西武VS巨人の第7戦「サインはギャンブルスタート。すべてがイメージどおり」
片岡保幸インタビュー(中編)
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2008年の巨人との日本シリーズで「伝説の走塁」を決めた片岡保幸氏
日本シリーズ「伝説の走塁」
── 2008年、西武と巨人との間で行なわれた日本シリーズ。3勝3敗で迎えた第7戦。この試合で片岡さんは「伝説の走塁」を披露しました。あらためて、このシーンについて伺いたいと思います。
片岡 あの試合、あの場面のことは今でもよく覚えています。あの日は本当にいろいろなことが思いどおりに進んでいった気がします。
── あらためて、状況を確認します。3勝3敗、勝ったほうが日本一となる第7戦。1対2で迎えた8回表。西武の攻撃の先頭打者が片岡さんでした。打席に入る時には、どのような心境だったのですか?
片岡 7回裏を守っている時に、ジャイアンツベンチの前で、7回表も投げていた越智(大祐)くんがキャッチボールをしている姿が見えました。それを見て、正直「ラッキー」と思いましたね。あの場面、豊田(清)さん、グッさん(山口鉄也)が出てくるのかなと考えていました。いずれにしても、ほかのピッチャーが出てくると思っていたところで越智くんが回跨ぎをする。それは、僕にとってはラッキーなことでした。
── どういう理由で「ラッキーだ」と考えたのですか?
片岡 越智くんは、この日で5試合目の登板でしたし、前のイニングもかなり投げていました。球数はかさんでいたし、球筋も見ていたので、「回跨ぎをしてくれるのはありがたい」という感覚でした。
── そして、片岡さんが右打席に入ります。初球はボール。2球目はデッドボールとなりました。この場面を振り返って下さい。
片岡 狙い球はストレートでした。でも、どんな結果でもいいから塁に出たいという思いだったので、いつもよりもベースに近く、前に立つようにしました。
── それは「デッドボールでの出塁でも構わない」という思いからですか?
片岡 そうです。それまでやったことがないけど、この時はいつもよりも前に立ちました。そうしたら、初球が抜け気味のボールで、あんまりいいボールではなかったので、さらに前に立ちました。
根拠のない自信で盗塁に成功── その結果、2球目はさらに抜けたボールで、狙いどおりのデッドボールとなりました。続く2番打者は栗山巧選手でした。
片岡 案の定、抜けたボールがデッドボールになって、完全に思い描いていたとおりの展開でした。ここまですべてイメージどおりに進んでいましたね。それで一塁に向かう時には「何球目で走ろうかな?」と考えていました。
── すでに、盗塁のサインが出ていたのですか?
片岡 いえ、サインは出ていませんでした。ベースに着いた時に、一塁ベースコーチの岡村(隆則)さんに、「バントもあるからな」と言われて、初めて「そっか、バントもあるのか」と気づきました。でも、三塁コーチの清家(政和)さんからはバントのサインが出ない。そこで、「じゃあ、走れっていうことだな」って勝手に解釈しちゃったんです(笑)。
── あらためて確認したいのですが、片岡さんの場合は「いつでも走ってもいい」という「グリーンライト」だったんですか?
片岡 走ってはいけない場面では「待て」のサインは出ましたけど、基本的にグリーンライトでした。この場面でも、ベースに向かっている時は「何球目に走ろうかな?」と考えていたけど、ベース上で「初球に走ろう」と決めていました。
── その根拠を教えてください。
片岡 越智くんは回跨ぎで疲れているから、牽制球を投げる余裕もないだろう。おそらくバントを警戒しているだろう。そんなことを考えたら、「初球に盗塁できるかもしれないぞ」と思ったんです。
── そして、栗山選手の初球に見事に盗塁を決めました。
片岡 スタートは、それほど悪くはなかったです。ただ、3、4歩目くらいで膝がガクッときて中間走は失敗しました。ただ、そこからは順調で力まずに走れました。上体が起きることなく、そのままの状態でスライディングもできたし、結果的にいい走塁になったと思います。スライディングでもぎとった盗塁でした。
日本シリーズ史に残る名場面── 続く栗山選手が2球目にバントを決めて、一死三塁。同点のチャンスとなり、打席には3番の中島裕之(=宏之/現・巨人)選手が入ります。外野フライでも同点という場面で、ジャイアンツ内野陣は前進守備を敷いていました。この時、西武ベンチからはどんなサインが出ていたのですか?
片岡 ギャンブルスタートのサインでした。
── 西武ベンチの選択は、内野ゴロだったら走る「ゴロゴー」ではなく、打った瞬間に走る「ギャンブルスタート」のサインだったのですね。
片岡 そうです。ゴロゴーではなくてギャンブルスタートでした。この試合の初回にも同じケースがあって、僕がサードランナーでナカジ(中島)がショートゴロを打って、僕が挟まれてアウトになりました。渡辺(久信)監督のなかにはそのイメージがあって、ギャンブルスタートだったのかもしれません。でも、これも不思議なんですけど、三塁ベースにいて「絶対、ナカジは初球を振ってくるな」って思っていました。なんの根拠もないんですけど(笑)。
── 結果的に、中島選手の放った打球はボテボテのサードゴロとなりました。片岡さんは猛然とダッシュして悠々セーフで同点となりました。
片岡 イメージどおりの打球でしたね。ワンバウンド目で、すでに「よし、もらった!」と思いました。あの時はすべてがイメージどおりに進んでいました。イニングの先頭打者として塁に出て、盗塁を決めて、バントで進んだあとに内野ゴロでホームインする。自分の役割をまっとうできたと思います。この年、ずっとやってきたことの集大成がこの回に詰まっていましたね。
── のちに片岡さんはジャイアンツで指導者となります。指導者目線で考えて、「片岡コーチ」から見た、この時の「片岡選手」についてはどのように評価しますか?
片岡 いろいろ、正しくないと思います(笑)。
── どういう点が「正しくない」ですか?
片岡 シリーズ最終戦の終盤、1点負けている場面なのに、かなりギャンブル的な要素が強いからです。たとえば盗塁の場面。ツーアウトならまだいいけど、ノーアウトで、ここから上位打線に続く場面で、強い根拠もないのに自信満々に盗塁をするというのは、コーチとしてはちょっとどうかなって思います。もし、「何で走ったんだ」と聞かれても、「すみません、牽制は来ないと思ったので......」としか言えなかったですから(笑)。
── しかし、結果的にはここで同点に追いついたことで、この回に一気に逆転して、土壇場での日本一を決めることになりました。グラウンド上で選手が感じる「感覚」も重要だという気もします。
片岡 そうですね。選手がグラウンドで感じる「感覚」は大切にしてほしいです。たとえばポジショニングなんかは、とくにそうですね。データではそうなっていても、自分の感覚で「違うな」と思うことがあれば、それは大切にしてほしいです。
── あらためて、2008年日本シリーズのこの場面を総括してください。
片岡 渡辺監督になって最初の年で、開幕からずっと1番で使われて、「なんとか期待に応えなくちゃ」と頑張った一年でした。さっきも言ったように、この一年間の集大成があの日本シリーズで、僕にとっても忘れられないシーンとなりました。
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