「描写力はまるで小説家」野田元首相の安倍晋三追悼演説をスピーチトレーナーが絶賛
野田佳彦元首相による安倍晋三元首相の追悼演説が話題を呼んでいる。「憲政史に残る名演説」と賞賛する声もあがっているが、プロの目にはどう映るのか。スピーチライター、スピーチトレーナーとして活躍する株式会社カエカ代表取締役の千葉佳織さんが分析する。
岸田首相、菅前首相との差別化
まず印象深かったのは、安倍さんの生涯を生まれたときから描写していったところ。生前の場面場面での安倍さんの心境や心持ちを、聴衆は想像しながら聴くことができました。
岸田さんと菅さんが弔辞を読まれたあとだったので、差別化が非常に重要でした。国葬から1か月近く経っていたこともあり、安倍さんの人生を振り返る機会をいま一度あたえられ、聴衆は新鮮な感動を覚えたことでしょう。
一方、「同期当選」と語ったところから、安倍さんと野田さんの人生が交わっていきます。非常に映像的で興味深い構成でした。
また、野田さんは“自己開示”がとても秀逸でした。スピーチや演説ではどうしても自分のきらびやかな功績を語りたくなるものですが、本当の意味で心を惹きつけられるのは失敗してしまった話。その人にとって勇気が必要なことを語ると、人柄がとても伝わってくるものです。
たとえば、
「そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私にはその輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした」
というシーン。うらやましい、くやしいといった気持ちをまるで小説家のような繊細な描写で表現していますよね。
もう1か所、
「あなたには謝らなければならないことがあります」
という表現も非常に印象的です。そこから、
「『総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ』。私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい大失言です」
へとつながりますが、自分を高く見せず、本心から話しているんだなと聴衆は感じたでしょう。
描写力と、言葉へのこだわり
そして、野田さんの追悼演説でさらに特筆すべきは描写力の高さです。視覚情報や聴覚情報を織り交ぜながら、自分の感情を具体的に表現することができる方だと感じました。
「同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者のふたりだけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんのほうでした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、『お疲れさまでした』と明るい声で話しかけてこられたのです」
たとえば、上記の場面では「シーンと静まりかえって、気まずい沈黙」「重苦しい雰囲気」といった聴覚情報や感覚の描写を用いています。
また、「あなたは私のすぐ隣に歩み寄り」という表現においては視覚情報を描写し、具体的にどんな動きだったのかを示すことで安倍さんのやさしさがより伝わってきます。
そのあとに続く「明るい声で話しかけて」も描写力が卓越しています。もし野田さんが「控室という同じ空間にいて沈黙が漂ったが、安倍さんに話しかけられた」と淡々と語っていたとしたら、わたしたちは色鮮やかに様子を浮かべることはできなかったでしょう。
野田さんはひとつひとつの言葉に対するこだわりが強い方だと感じました。
「その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした」という攻めた表現や「政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません」「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」といったメディアに取り上げられやすいキャッチーな言葉も素晴らしかったですし、「真剣な熱」「果てなき決断」など、細部の細部までこだわりを感じました。
「安倍さん以外」に向けた言葉
会話文の使い方も秀逸でしたね。演説は基本的に自分視点でしか語れませんが、会話文を織り込むと第三者視点で臨場感が生まれます。
「野田さんは安定感がありましたよ」
「あの『ねじれ国会』でよくがんばり抜きましたね」
「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」
特にこの会話文が3つ並んでいるところは、やっぱり野田さんは喋り方としても当時の安部さんを思い出しながら話していました。
語り掛けの言葉の語尾にときどき、「ね」がつくのも特徴的です。たとえば、
「あなたもまた、絶望に沈む心で控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね」
「あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ総理公邸の一室でひそかにお会いしたことがありましたね」
の2か所。安倍さんご本人に直接、やさしく語りかけている印象が強まります。
また、野田さんは息遣いが素晴らしく、しっかりと呼吸を置いて話していました。声の抑揚の変化も美しかったです。
「その答えは長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。そうであったとしても、私はあなたのことを問い続けたい」の「そうであったとしても」を声高く、強く、わざと食い気味で切りこむことで自らの思いの強さを際立たせています。
「安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来にあったはずではなかったのですか」という言葉も、最後の声の上がり方が絶妙です。話力を磨いたことがない方は抑揚をつけようと思っても、あそこまで上がり切らないものです。
最後に、全体の構成について。目の前の議員たちへ語りかけるクライマックスのパートの割合が高いのは、この追悼演説の最大の特徴といえるでしょう。
「そのうえで申し上げたい」という言葉以降は安倍さん以外の人に向けたメッセージになっています。
「最後に、議員各位に訴えます」と宣言して締めの言葉へとつなげていきます。
限られた時間のなかでこのパートに多くの文字数を割くという決断をしているところからも、野田さんがこの演説で議員に向けたメッセージを、熱を持って伝えたかったことが伺えます。
野田さんの追悼演説からは「安倍さんへのリスペクトだけを込めたものにはしないぞ」という強い決意を感じましたし、「ここから私たちは政治をどうしていかないといけないのか」と、目の前の議員たちに訴える強烈な思いも感じました。
写真/AFLO