神戸と高松を結ぶジャンボフェリーの新造船「あおい」に、香川県の小豆島が大きな期待を寄せています。いまや珍しい中距離フェリーの離島への途中寄港は、ある偶然が重なったことで実現。島民の新造船への歓迎ぶりも熱烈なようです。

新造船「あおい」就航を総出でお祝い 盛り上がる小豆島

 神戸三宮港と高松東港を結ぶ「ジャンボフェリー」の新造船「あおい」が2022年10月22日に就航します。このフェリー航路は旅客にとって関西〜四国を気軽に移動できる格安ルートとして、自家用車や貨物車にとっても、乗り継ぎに便利な移動手段として、それぞれ重宝されていますが、もう1か所、この新造船へ並々ならぬ期待を寄せているのが、途中寄港地である香川県小豆島の人々です。

 10月17日に小豆島・坂手港で行われた新造船「あおい」内覧会には、小豆島町・土庄町民が雨の中長い行列を作っていました。恒例の「坂手みなとまつり」を、今年は就航日に合わせ、住民総出で新造船をお祝いするそうです。

 歴史的に中・長距離を結ぶフェリーでは、航路そのものの廃止や途中寄港の廃止などが進んできました。そうしたなか、ジャンボフェリーの小豆島寄港は2011年(平成23)に実現しています。背景には何があるのでしょうか。


ジャンボフェリー新造船「あおい」(宮武和多哉撮影)。

 本州・四国からそれぞれ10km以上離れた小豆島は、小豆島町と土庄町の2町で2.8万と、船でしか渡れない離島としては国内でも有数の人口です。関西〜小豆島の航路は、特産の醤油の出荷や、国内有数の紅葉スポット「寒霞渓」などへの移動手段として古くから存在感を放っていました。

 しかしジャンボフェリーの寄港前には、長らく維持されてきた大阪・神戸〜小豆島航路は数年間にわたって途絶えていました。当たり前のようにあった航路が消えた影響は大きく、地道なポートセールス(航路の誘致)を経てジャンボフェリーの寄港に至り、利用の促進を続けつつ就航を維持しています。

なくなって気づいた関西航路の重要性〜小豆島町からも期待の声 

 坂手港を擁する小豆島町によると、大阪・神戸を結んでいた関西汽船が撤退したのは2000(平成12)年、その後2007(平成19)年には大阪・神戸〜小豆島間の定期航路が完全に消滅しました。

 関西汽船の撤退後に運航を担っていた「五島産業汽船」(長崎・五島列島が本拠地)や「セラヴィ観光汽船」(三重県)は営業末期には突発で休航となることもあり、島内のリゾートホテルで宿泊キャンセルが続発。小豆島への観光客数が1割近く落ち込むなど、島内に暗い影を落としていました。

 航路復活に向けて根強い誘致運動が続けられたものの、いわゆる“高速道路千円キャンペーン”や原油高のピークとも重なり、海運業界は不況の真っ只中。観光シーズンのみの神戸〜小豆島航路(さんふらわあ季節便)はあったものの、定期運航となると各社から色良い返事をもらえない状況が続いていました。


小豆島での「あおい」内覧会は行列に(宮武和多哉撮影)。

 しかし、2011年7月にジャンボフェリーの寄港が実現。就航から3か月で2.6万人がジャンボフェリーを利用、うち7割が就航をきっかけに小豆島を訪れたといいます。島内の観光地の売上が1割以上増加したことで短期間での経済効果は3億円にものぼり、小豆島は改めて関西との直通航路の威力を思い知らされる形となりました。

 新造船「あおい」就航にあたり、坂手港のお膝元である小豆島町の大江正彦町長も「坂手港にさらなる活気と賑わいをもたらし、観光・交流人口の増加、小豆島の知名度・ブランド力の向上につながるものと考え、大変嬉しく思います」と、喜びと期待を込めてコメントを寄せています。

ジャンボフェリー・山神社長に聞く

 ジャンボフェリーの山神正義社長によると、この小豆島寄港の実現は、偶然が重なったものだったといいます。

 ジャンボフェリーはかつて2隻の船舶で1日5往復、神戸・高松両港で1時間内に折り返しというタイトな運航体制をとり、小豆島からの再三の寄港要請に応えることができなかったそうです。

 しかし2008(平成20)年から世界中を襲った金融不況「リーマンショック」による旅客の減少で減便を余儀なくされます。それによって空いた時間は高松港に長時間停泊できず、沖合にアンカーを降ろして停泊、船上では乗組員が釣り糸を垂れて休憩していたのだとか。

 それを他のフェリーの船上から当時の塩田幸雄小豆島町長が発見し、「そこで停泊しているなら寄港してほしい」と改めて要請。検討の結果、航行時間の増加が30分ほどにとどまることもあり、山神社長も寄港を決断されたそうです。


ジャンボフェリーの山神正義社長(宮武和多哉撮影)。

 観光産業が重要な柱である小豆島へのメリットが大きかった坂手港への寄港ですが、ジャンボフェリーにとっては、リーマンショック以降続いていた旅客輸送の低迷に歯止めをかけることにもつながりました。

 ジャンボフェリーの山神社長いわく、この寄港はリーマンショックがあったからこそ実現し、「ピンチがチャンスに変わった」もの。偶然が生んだ小豆島・坂手港への寄港は、双方にとって“win-win”だったといえるでしょう。