一進一退の攻防が続くウクライナ東部でのロシア軍との戦い。秋雨の時期が始まると、肥沃な大地は泥濘の海と化します。その後にはかつて仏ナポレオン軍やナチス・ドイツ軍を苦しめた「冬将軍」も。戦いは新たな段階に入りそうです。

冬将軍の前に現れる「ラスプーチツァ」

 2022年10月も下旬に入り、いよいよウクライナとロシア西部は秋雨の時期を迎えます。そして、この秋雨は肥沃な大地を「泥の海」に変える要因となります。泥の海はロシア語で「ラスプーチツァ」と称されますが、正確には春の雪解けで生じた泥濘を呼ぶ言葉。しかし、降雨により生じた大規模な泥濘全般も、時にこう呼ばれるようです。

 短い秋が終わってやがて冬になりさらに気温が下がると、水分含有量が多い泥の海は凍結した大地となり、その上に雪が降り積もります。こうなると、いわゆる「冬将軍」が猛威を振るうようになります。その後、厳寒の冬が終わって気温が上昇すると、凍結した泥も積雪も溶けて、再びラスプーチツァが生じ、肥沃な大地が姿を現すというサイクルが繰り返されます。


ウクライナ陸軍の2S3「アカ―ツィヤ」152mm自走榴弾砲(画像:ウクライナ国防省)。

 国内にこのような自然環境を抱えるロシア(旧ソ連)では、第2次世界大戦勃発の直前に開発されたT-34戦車以降、履帯を幅広にして接地面の長さも長くとり接地圧を減少させ、重い泥濘や深い積雪でも行動できる戦車を設計するようになっています。もちろんロシア軍が2022年現在運用しているT-62、T-72、T-90などもその例に漏れませんし、かつてソ連邦の一員だったウクライナ軍の戦車も同様です。

 しかし、ロシア軍がウクライナに侵攻した今年(2022年)春のラスプーチツァでは、ロシアとウクライナ両軍とも泥濘に苦労させられました。まだ、地の利があるウクライナ軍はマシだったようですが、土地に詳しくないロシア軍はかなり苦戦したといわれています。

装輪車両が軒並み動けなくなる泥濘や積雪

 2022年10月現在、このラスプーチツァと積雪の冬を目前にして、ウクライナ軍は攻勢を継続する一方、ロシア軍は守勢に回り、場合によっては後退しているようです。これまではウクライナ軍が守りに就き、ロシア軍が攻勢を仕掛けていましたが、現状、一部の戦線でロシア軍が劣勢なのは間違いないといえるでしょう。

 実は本格的な冬になると、攻める側も守る側も積雪と寒さで行動が制限されてしまいます。正確には、兵器などの「機械」は大丈夫でも「生身の人間」である将兵が寒さに耐えられず、陣地にこもるようになります。


ロシア侵攻前、雪中で訓練中の2S5「ギアツィント」152mm自走カノン砲(画像:ウクライナ国防省)。

 加えて泥濘と積雪は、補給にも重大な影響を及ぼします。最前線の戦闘車両の多くは戦車のような装軌式ですが、補給部隊は装輪式のトラックやトレーラーがメインのため、泥濘や積雪がそのスピードを削ぐうえ、行動範囲を制限してしまうでしょう。

 こうなると、「補給の源」が戦線に近いほうがより円滑な補給体制を構築できます。つまり、母国のある東方に撤退中のロシア軍は、後退すればするほど補給線が短くなって補給が容易になり、それを追って東進するウクライナ軍は、西方の自国国境を越えて外国から供給される補給物資の輸送距離が東に向けて延びるため、補給業務がより大変になる可能性を含んでいます。

 最前線での戦い方もまた、泥濘と積雪の下では条件が悪くなります。いくら全輪駆動車(AWD)であっても、接地圧の高い装輪式車両では機動力に限界があります。たとえばフランスから提供された「カエサル」自走砲のようなトラックタイプの装輪式自走砲ではなく、ドイツから提供されたPzH2000のような装軌式、いわゆるキャタピラ駆動の自走砲でないと行動に制限が生じる心配があるのです。

力で押せなくなるため、エリート部隊の出番か?

 しかも酷寒の環境下では、赤外線暗視装置に代表される歩兵が携行できる軽便な視察機材で、車両類のエンジン熱やその排気、陣地内の暖房器具や焚火、はては人間の体温や煙草の火といった熱源を容易に見つけ出すことが可能です。

 そのため、「ジャベリン」対戦車ミサイルのような歩兵携行型火器を用いてのピンポイント攻撃を、車両だけでなく陣地などまで含め実施しやすくなるほか、スナイパーによる目標確認と狙撃も行いやすくなるでしょう。


フランスからウクライナに提供されたトラックタイプの「カエサル」装輪155mm自走榴弾砲(画像:ウクライナ国防省)。

 もちろん、戦車も戦闘に参加するでしょうが、酷寒の積雪中では「攻める戦車」よりも「守る戦車」のほうが圧倒的に有利です。

 ゆえに、もしかしたら積雪後の凍結したウクライナの大地での戦いは、従来の戦車をはじめとする戦闘車両主体ではなく、雪中を音もなく浸透して戦うハイテク装備を携行したエリート歩兵部隊の活躍の場となる可能性もあると筆者(白石 光:戦史研究家)は考えます。このような「人間力」主体の戦いがメインになると、個々の兵士の戦意が高い側が有利なのは当然といえるでしょう。

 とはいえ、大きな懸念もあります。将兵が防寒のため脆弱な仮設陣地にこもり、積雪の影響で車両部隊などが集中した状態になっていると、戦術核兵器がより効果的に使えるのです。ただ、筆者のこのような推察が杞憂で終わってくれることを祈っています。