「高校横綱」と「感謝状」2つのタイトルが証明した埼玉栄相撲部・名将の指導
今年7月、第100回となる「全国高校相撲選手権大会」で埼玉栄高校3年の高山瞬佑が優勝し、高校横綱に輝いた。同月、高山はさいたま市内で行方不明届が出ていた小5男児を他の部員と共に保護し、県警から表彰されている。「高校横綱」と「社会貢献」。その2つの功績の裏には、埼玉栄・山田道紀監督(56歳)の“指導”があったと高山は明かす。全国屈指の強豪相撲部の指導とは!? 山田監督と高山を取材した。
寮での共同生活で学んだこと
全国から生徒たちが入寮する埼玉栄の相撲部では山田監督が夫妻で部員と同居し、日々の生活の世話をしている。現在、寮では同校の中学生から高校生まで27人が共同で生活し、掃除、洗濯など部員が家事を分担して暮らす。滋賀県近江八幡市から単身で上京し、高1から寮生活を始めた高山は、まず両親への「感謝」を学んだという。
「中学までは実家で洗濯とか皿洗いとかしたこともなかったです。高校へ入学してから寮でやるようになって、毎日、お母さんは大変なことをしてくれていたんだなとありがたみが分かりました。今は実家に帰った時はお母さんには休んでもらって、自分が皿洗いや洗濯をしています」
毎日の食事は、山田監督自らが作っている。1988年に同校の監督に就任して以来、学校で食べる昼の弁当も含めて3食欠かすことはない。
「毎日、毎日、先生が食事を作ってくださって、その姿を見ていると本当にありがたいことだなと思っています」
寮生活で両親や監督へ「感謝」を自然と育んできた高山だが、部活の練習はどんな日々だったのだろうか?
「選手の自主性を尊重してくれています。練習は嫌々やらされていたら強くなるものも強くならないと思います。なので、基本的には練習は自分で追い込む形です」
高山は、入学して間もなく山田監督から「鉄砲(相撲の伝統的な稽古方法の1つ)をやれば強くなるよ」とアドバイスされたという。ただ、その言葉を聞いても「本当かな?」と半信半疑だった。
「1年生の時は、先生に『強くなるよ』と言われても素直さがなくて『本当にこれで強くなるのかな?」って思っていました。それで鉄砲をあまりやらなかったんですけど、2年になって大会で負けて『なんで負けたんだろう?』と思うようになって。先生のアドバイスを素直に聞いてみようと考え直して鉄砲を真剣に打ち込みました。そうすると、どんどん力がついて目標だった高校横綱になることができました。自分でも『こんなに変わるんだ』ってびっくりしています」
「これをやれ」ではなく「これをやったら…」
鉄砲柱と呼ばれる柱に向かって左右の突っ張りを繰り返す「鉄砲」の稽古を1年時は毎日300回こなしていた。しかし、自分自身で考えを改め直し、真剣に打ち込んでからは毎日1000回を自らに課したという。結果、押す力が鍛えられ高校相撲の頂点に立った。さらに、入学当初は体重110キロだったが、山田監督から「お前はあと20キロ増えれば高校横綱になれる」と断言されていた。
「その言葉を信じて体重を増やして3年で130キロになりました」
監督に「嫌々やらされる」指導ではなく生徒自らが気づき、努力した道のりが結果となった。こうした生徒の自主性に委ねる指導法を山田監督はこう説明する。
「私は生徒に『これをやれ』とは言いません。『これをやったら強くなるよ』と声をかけます。その練習をやれば、すぐに結果が出る子もいれば、時間がかかる子もいます。だけど、必ず形になって出てきます。そうすると『俺もできる』と思うんですね。いわば、生徒にいい意味での勘違いをさせるんです。
みんな勝ちたい、強くなりたいと思っているんです。それなのに『ダメだ』なんて言ったらやる気をなくしますよ。大切なのは生徒をその気にさせることです。そうすれば生徒は自分で考えて努力します。それが何よりも大切なことなんです」
この自主性を育む教えの結果は土俵以外でも、小5男児の迷子保護という形で発揮された。
7月16日夜、高山は午後8時過ぎに後輩の伊賀慎之助と日課のランニングのために寮を出た。走るコースは寮から学校までの往復4キロ。途中の公園で腕立て伏せなどの練習をしていた時、男の子が1人で公園へ歩いてきたという。
「こんな時間に子供が1人で来たので『どうしたのかな?』と思って、放っておけなくなって学校の道場へ連れていきました」
不測の事態に出てきた2つの「思いやり」
迷子になったのは10歳の男児だった。高山は男児を保護すると、道場へ向かった。
そこには自主練習を行うため同級生の根岸康介と鶴叶翔がいた。この時、2人は高山が10日後に全国大会を控えていたことから「俺たちが警察に届けていくから、高山は寮に戻った方がいい」と気遣った。その言葉通り高山は寮へ戻り、根岸、鶴、伊賀の3人と男児は激しい雨が降る中、徒歩で大宮西署へ向かった。
道場に傘は1つしかなく、警察署までの約2キロの道のりは、男児に傘を差させて3人の部員は濡れて警察まで歩いた。さらに「お腹がすいた」という男児のために、根岸は道場にあったお小遣いで途中のコンビニに寄り、おにぎりなどを買って食べさせた。
大宮西署に送り届けると、男児には家族から行方不明届が出されていたことがわかった。警察は捜索したが見つからず安否を心配していた。そんな渦中での相撲部員の保護に警察署員から感謝の言葉をかけられたという。そして、同署は4人の相撲部員へ感謝状を贈呈し表彰した。
高山はこの出来事をこう振り返る。
「あの日は夜で時間も遅かったので、迷子の子を警察に送り届けると寮に帰る時間が遅くなって、もしかすると怒られるかもしれないと思いました。でも、もし子供が危険な目にあったら、取り返しがつかないと思って警察に連れて行くことを決めました。
いつも山田先生から『大切なのは“感謝”の気持ちと“思いやり”だぞ』と指導されてきましたから、あの時も『思いやり』という言葉を思い出して行動しました。感謝状を頂いたのは嬉しかったんですけど、自分たちにとっては当たり前のことをやっただけという気持ちなので何か気恥しい気持ちもあります」
そして、何よりも嬉しかったのが他の部員の自分への「思いやり」だった。
「仲間が全国大会を控えていた自分の体を心配してくれて『先に帰って』と思いやってくれたことがとても嬉しかったです。そんな仲間の気持ちに感謝して大会に臨みました」
迎えた全国大会は2日間の日程で行われ、初日に予選を戦い、成績上位の32名が2日目のトーナメントで優勝を争う方式となっている。高山は、初日の予選第1試合で敗れてしまった。
高校3年間の中で気づいたこと
「いきなり初戦で負けて、『俺はこんなに弱くなったんだ』と絶望した時にタオルを持ってくれる後輩がずっと『勝てます。大丈夫です』って励ましてくれたんです。その言葉に『そうだな。これで最後だし悔いの残さず頑張ろう』と思って何とか第2試合以降をふんばり、予選を勝ち残ることができました」
さらに迷子の男児を保護したことも支えになっていたという。
「これは山田先生からずっと言われてきたことなんですが、悪いことをしたら悪いことが返って来る。だけど、いいことをしたらいいことが返って来るって思っているんです。なので今回、人を助けたことは『いいことだよな』と思っていたので、それを自分に言い聞かせていました」
その言葉と後輩の励ましを心の支えに高山は勝ち進み、決勝戦では鳥取城北高校の松井奏凪人をすくい投げで破り、高校横綱に輝いた。頂点に立った今、思うことは支えてくれた人々への感謝だという。
「先生の指導、仲間の励ましと助け合い。それと保護者からも応援と差し入れをくださいました。そうした周りの人のおかげで、自分は勝てたと思っています。中学時代は自分1人の力で勝てると思っていましたが、高校へ来てそれは間違いだと気づかされました。先生、トレーナー、両親…いろんな人たちが支えてくれたから自分は強くなれたと思っています」
今回、男児を保護した時、雨でずぶ濡れになった生徒の姿に山田監督は体調を心配し叱ったという。それでも日々の生活の中で「感謝と思いやり」を指導してきたことが形となって表れたことに山田監督はこう明かす。
「私は生徒には『人に優しく』、『人をばかにするな』、『人を傷つけたら必ず自分に返って来る』。常にそういうことを言っています。今回、そういう思いやりを持った行動をしてくれたことが嬉しかったですね」
埼玉栄は、角界に元大関・豪栄道の武隈親方、現役では大関・貴景勝ら数多くの人材を輩出している。高山の夢も同じく、先輩たちが活躍する大相撲だ。
「プロに行って早く上へ上がって親孝行したいと思っています」
高校横綱の中にはどこまでも「感謝」と「思いやり」の教えが貫かれていた。
取材・文/中井浩一