橋田壽賀子さんに田中邦衛さん…続々と消えていく映画やドラマの功労者 - 毒蝮三太夫
※この記事は2021年04月26日にBLOGOSで公開されたものです
映画やドラマの世界から功績のあった方々が次々と亡くなられているね。4月は脚本家の橋田壽賀子さんが95歳で旅立たれた。橋田さんが書かれた「おしん」も「渡る世間は鬼ばかり」も、日本人の家族の在り方を徹底的に見つめた作品だった。
橋田さんの脚本は、奇抜な人物とか設定ではなく、実際にあった人の暮らし、人と人の関係、とくに家族の姿に根差していたから、日本だけでなくアジアや中東や世界でも大きな共感を得る普遍性があった。
「セリフを言い換えることは許さない」
俺も「渡る世間は鬼ばかり」にちょっと出たことがあったっけ。魚河岸にいる人って役。なんだ編集部、適役ですねだって? アハハハハ、魚河岸でも酒屋でも八百屋でも、俺は街のどこかで地に足つけて商売してる人物ならなんでも適役なんだ(笑)。だから、銀行マンとか商社マンとか証券マンとかそういう役は来ない。ウルトラマンからは役が来たけど(笑)。
「渡る世間」の話が来たときは、こっちも橋田さんの脚本ってやたらとセリフが長いって知ってたからさ、最初に「もし出るならセリフ長いのはイヤだよ、それでもいいなら・・・」って言っといた。おかげさまでセリフ覚えで苦しまずに済んだよ。橋田さんも鬼じゃなかったね(笑)。
橋田さんが言ってたことで、「脚本に書いたセリフを役者が言い換えることは許さない」っていうのがあった。考えに考え抜いて書きあげた一言一句に、脚本家としてのプライドがあった。だけど、そのあとにこう言ってる。「ただし、放送時間内に収まらないセリフならカットしてもいい」と。
テレビドラマの時間は決まっているわけだから、その中に入らない長さだったら切ってもいいと。橋田さんはドラマ作りが共同作業であり、脚本家がどんなにひとりで気張ったってドラマは完成しないことがわかっていたってことだ。
橋田壽賀子さんの盟友だったのが石井ふく子さん。TBSのドラマプロデューサーだ。いま、お幾つ? 94歳か。石井さんは昭和のドラマ史に残る作品を何本も世に送り出してきた方だ。京塚昌子さんの「肝っ玉かあさん」、水前寺清子さんの「ありがとう」、泉ピン子さんの「渡る世間は鬼ばかり」・・・。
同じTBSのドラマプロデューサーで名を馳せたのが鴨下信一さん。今年2月に亡くなられた。「岸辺のアルバム」に「ふぞろいの林檎たち」。脚本家の山田太一さんと組んだ作品が大ヒットしたな。俺は年も近かったし、彼はずいぶんと演芸が好きだったから話もよく合って、鴨ちゃん鴨ちゃんって呼んで親しくさせてもらったよ。鴨ちゃんからドラマの仕事2~3本もらったっけ。世話になったんだ。
この、石井ふく子さんと鴨下信一さんがいたからTBSは「ドラマのTBS」って呼ばれるようになった。多くの名物ドラマ、話題のドラマが生まれて高視聴率を獲得した。テレビが今よりも元気だった時代の話だな。
「情けない顔」で主役を勝ち取った田中邦衛さん
3月に88歳で亡くなられた田中邦衛さんも、名ドラマの立役者だった。有名なのはやはり「北の国から」だな。倉本聰さんの脚本でフジテレビが生んだ名作だ。あのドラマの主役に選ばれたのは候補に挙がった役者の中でいちばん「情けない顔」だったからって明かされてたな。
田中邦衛さんは俳優座出身。役者になろうと俳優座を受験して2回落ちて2浪して3年目でやっと受かった。これは褒め言葉でもあるけど、ああいう貧相な顔を合格にした俳優座が偉いよ。なになに、調べたら当時の試験官が東山千栄子さんだったって? 東山さんは小津安二郎監督の『東京物語』とかで知られる名女優だよ。きっと田中邦衛さんのあの顔に、他の人にはない個性を見出したんだろうね。
田中邦衛さんが俳優座に入った時の同期生が、井川比佐志さん、露口茂さん、山本學さん、故・藤岡重慶さん・・・。あと、先に俳優座に入っててキャリアは先輩だけど田中邦衛さんと同い年なのが仲代達矢さん。こうして名前を並べると、俳優座ってそうそうたる個性を輩出してきたんだなって感じるね。
今年2月には森山周一郎さんも向こうに行っちゃった。森山周ちゃん、俺より2年先輩だった。昭和9年生まれで、石原裕次郎さん、愛川欽也さん、長門裕之さん等々多くの芸能人が集った「昭和9年会」のメンバーだった。
劇団東芸で役者になって、彼を世に出したのはあの渋くていい声だった。洋画の吹き替えで活躍したんだ。声優の走りだったな。フランスの映画スター、ジャン・ギャバンの声がハマったんだ。1960年代かな、テレビで吹き替えを入れた外国映画が流れるようになるんだけど、まだお茶の間に「吹き替え」が浸透していなかった頃は、「ジャン・ギャバンって外国人なのに、どうしてあんなに日本語がうまいんだ?」って勘違いする視聴者が山ほどいた時代だ。
その頃、役者で吹き替えの仕事がハマったのが、若山弦蔵さん(「007」ショーン・コネリー)、近石真介さん(ジェリー・ルイス、ジェームズ・キャグニー)、熊倉一雄さん(「ヒッチコック劇場」)、愛川欽也さん(ジャック・レモン)とかね。
当時から洋画や外国ドラマを輸入して、吹き替えを付けた日本版を制作して大きくなっていったのが、総務省接待で何かと問題なった東北新社だよ。なんだか歴史を感じるね。
森山さんはあとチャールズ・ブロンソンを担当して、ドラマが日本でも大ヒットになったのが『刑事コジャック』(日本版1975~1979年)のテリー・サバラス。もう少し最近になると宮崎駿さんのアニメ映画「紅の豚」で主人公の声をやってたんだよな。
三度のメシより野球が好きな人で、会っても野球の話ばかりだったな。高校時代は愛知の犬山高校でプロを目指すレベルだった。大のドラゴンズファンで知られてて、役者になっても仲間集めてよく草野球してた。俺なんか森山周ちゃんとバッテリー組んでたんだよ。あっちはピッチャーで俺キャッチャー。懐かしいね。
トム・クルーズとも共演した「5万回斬られた男」
東映京都の斬られ役だった福本清三さん、1月に亡くなられて77歳だった。「5万回斬られた男」の異名がついた方だ。ハリウッド映画でトム・クルーズとも共演したんだよね。斬られた時にいかに目立たずに目立つか。のけぞり方や倒れ方を自分で工夫して、名もないポジションで名を馳せた。斬られ方、殺され方でひとつの道を極めた立派な方だよね。
斬られたり殺されたりっていうと頭に浮かぶ役者が悪役商会・八名信夫さん。元プロ野球選手で東映フライヤーズのピッチャーだった。八名さんが言ってたのが「出たらすぐ斬られて殺されたい」って話。すぐ死ぬと、それでその撮影現場の仕事は終わりで、次の現場に行けるから効率がいいんだって。斬られ役のギャラなんか一本いくらで安いから、早く終わって掛け持ちできるのが一番なんだって。だからすぐ斬られると「ウウウーッ」って唸りながらも、内心は「ヨシヨシ」って喜んでたわけ(笑)。
斬った斬られたで言うと、俺も時代劇に出たのを思い出すね。大河ドラマ「峠の群像」(1982年)。堺屋太一さん原作で忠臣蔵を描いた作品。俺は赤穂浪士のひとり奥田孫大夫役だった。ドラマの終盤、クライマックスの吉良邸で、炭小屋に隠れている吉良上野介を見つける役だったんだよ。吉良役は伊丹十三さんだ。台本読んだ時に、こりゃあ目立っていいシーンだぞって喜んだんだ。
ところがその撮影、設定が深夜で炭小屋の中だから照明が薄暗くて、俺の顔も明かりがなくってよくわからない、まいったね、ぬか喜びだった(苦笑)。
あの現場で思い出すのは、主役の大石内蔵助が緒形拳さんで、吉良を斬り殺すから「俺はキラーズキラーだよ」ってシャレ言ってたな。俺も余計なこと覚えてるね。
コロナが終わるまではしぶとく生きたい
思うに、誰もが年をとればいつかお迎えが来るんだろうけど、身近だった同輩や年上の方の訃報を聞くのはやはりショックだし寂しいもんだよ。そのぶん、年をとっても張り合いを持って人生を楽しんでいる人を見ると元気になるよ。
西荻窪に時計修理の名人でスダさんって人がいて、大正生まれで95歳かな。若い頃から山登りが好きで各地の名峰を登ってきて、高齢になってからはさすがにアルプスとかは登れなくなったけど、「近い山にいい山があるんだよ」って高尾山とか行ったりして、95歳なりの登山を楽しんでるんだ。
このスダさんから先日電話があってね、最近のお気に入りは鎌倉山だって。標高も100メートルで低い山だけど、瑞泉寺のほうから上がっていって、上まで行くと海が見渡せて、鳥がさえずって、季節の花が咲いてて実にいいんだって。登山って自分の体力に見合った山登りをして、程よく体力を出し切った処に「山頂」というご褒美が待っているのがいいんだろうね。100メートルなら遭難もしないしな(笑)。
鎌倉山に登ったあとに若宮大路で一杯飲むのが極上の楽しみだってさ。鎌倉って近くに牧場もあって肉も美味いし、鎌倉野菜って味がしっかりした野菜も採れて、海も目の前だから魚も美味い。
「誰と行くの?」って聞いたら「ひとりだよ」って。同じひとりでも家に閉じこもっていたら何も楽しくない、外に出て山登って降りてきて一杯。そこで誰かと触れ合ったりもある。そのほうが断然楽しいって。
スダさん95歳、健康そうでなによりだ。俺は今85歳。うちは親父が79歳、おふくろが75歳で逝ったから俺はすっかり両親の年齢を越しちゃった。自分がこんなに長生きするとは思ってなかったよ。
俺は少なくともコロナが終わるまではしぶとく生きてさ、戦争からコロナまでを語り通せるジジイになろうと思ってる。どっちがどれだけ大変だったかとか、両方経験して言えることがあると思うんだ。そのためにもスダさん見習って、こんな時代でも日々の楽しみを見つけてきちんと人生を謳歌していかないとな。
(取材構成:松田健次)