「俺はそういう人間だ」オンライン生活についていけないミドル男性は罪なのか - 土屋礼央
※この記事は2021年04月19日にBLOGOSで公開されたものです
どうも土屋礼央です。
こんな記事を目にしました。
「40代男性の6割「オンライン会議についていけない」飲み会が「減って悲しい」も6割」 - キャリコネニュース
マンダムが実施した「コロナ禍で変わる40代ミドル男性の価値観」40代ミドル男性の理想像に対するアンケートを受けての記事です。是非、ご一読ください。
できればリンクされている「40代ミドル男性白書2021」も併せて是非。
“ミドル男性”上手い事言いましたね。“中年”というよりも角が立たない。
自分自身の事を「中年」「おじさん」と言う事はありますし、その方が自虐も含めありだと思いますが、様々な価値観の人がいる中、他人の事を表現する時は、中年よりもミドル世代。良いワードです。
僕もラジオで歳をとる事を「年齢を重ねる」と表現しますが、今後は40代の事もミドル世代と呼ぼうかな。これが主流になってくると、その次は、より細かくなって、ローミドル世代、ハイミドル世代とかに細分化されていく事でしょう。ミディアムレアみたいなもんですな。
新しい働き方についていけない事は罪なのか
アンケートをざっくりまとめると、40代ミドル男性と20代の若者を比べると、新しい働き方、オンラインの生活に徐々についていけなくなっていますよ!という結果でした。
白書には「新しい働き方についていけるヤング男性とついていけないミドル男性の世代間でギャップが存在」というちょっと刺激的なタイトルがついています。
BLOGOSの読者にはミドル男性世代ユーザーが多いと思われますが、どう思います?
正直、ついていけないなら、それはそれで良いじゃない。と思います。
育ってきた環境が違うからしょうがない。
山崎まさよしさんの「セロリ」、ここにきて凄く響きます。
無理なもんはムリ。で良いと思います。
餅は餅屋です。
以前日本画家の父に「Apple Pencilが素晴らしい。もう紙に書いているのと一緒だ!」と、画家の視点でApple Pencilの意見を聞かせてほしいと試してもらった事があるのですが、
「確かにこれは素晴らしいね。ただやはり鉛筆の真似事でしかないな。これを使った新しい芸術としては可能性を感じるけど、鉛筆の代わりになるかと言われると、それはない」と言われました。カッコ良いなと。
やはりリアルの会議にはリアルの会議ならではの良さがあるし、オンライン会議にはオンラインならではの利点がある。でもきっとこれからはどんどんオンライン◯◯が増えるでしょう。
僕自身オンライン◯◯についていけないと、社会に置いていかれるという恐怖心があります。
であるならオンライン会議で、この議題に必要な事はなんなのか、経験を元に理解して、オンラインより不足している事を他の手段で補填すれば良いですし、それこそがミドル男性の責任な気がします。
なので、無理やり「オンライン会議最高だよね!」と嘘をつく必要はないと思います。
あるとするなら、ミドル世代の財力を活かして、配信環境をフルスペックにするぐらいでしょうか。
それを楽しめるなら、オンライン会議も最高ですね。
ちなみにLED電球の光は疲れると思う事がありますが、これも白熱電球で育った人がそう感じやすいのであって、元々LED電球の時代に生まれた人はLEDでは疲れにくいそうです。
だから生まれた時からネットがある世代と、大人になってからネットができた世代では、適応能力が違うのはしょうがない。そういうもんなんです。
オンラインが向いていないなら、他の事で社会に貢献していきましょう。それを受けて「おじさんですねぇ」と若い人に言われたとします。
実際おじさんなので、それで良いのです。
おっさんはもうおっさんなのです。
おっさんらしく生きましょう。
ミドル男性って良いワードですねとか言っておきながら、自分自身をごまかす為に「自分はミドル世代」と言っちゃうのは、悪い意味での「おっさん」化な気がして仕方がありません。
ただ、若い人に悪い意味での“おじさん”に思われたくないのも本音ではあります。カッコ良い人間でいられるならその方が良い。では悪い意味での“おじさん”と言われないおじさんになるにはどうすれば良いのか?
成長をあきらめた時、人は「残念なおじさん」になる
我々おじさんの武器は、若者に比べて持ち合わせている経験です。この経験をどう活かすかが大事です。
経験が荷物になるか、土台になるかがとても大切だと思います。諦めたらそこで試合終了なのはおじさんも変わりません。
過去の経験を元に、俺はこれで良いんだ。俺はそういう人間だ。と成長を止めてしまっては残念なおじさんになりかねません。
おじさんもおじさんらしく成長し続ける事が必要で、経験があるからこその発想で次のやりがいを見つけられる事が大事な気がします。
だから土台がない、無関心な事を無理やり実施する必要はありません。オンライン飲み会もついていけなければ参加しなくて良いのです。リアル飲み会が恋しいなら、そう思う人たちとマナーを守って行えば良い。
ちなみに「リアル飲み会こそ飲みニケーションだ!」とそれを嫌がる若い人達に強要するのは最悪なおじさんです。
それは教育ではありません、排除される側になる第一歩です。
お互い関心のある事には関心を持ち続け、関心のない事は無関心で良いのです。
関心のない事は関心のある人に委ねれば良い。委ねる人が若い人であるなら、それは素晴らしいバトンパスだと思います。興味のある事をより深く探求していく心を「縦の糸」、人に委ねる心を「横の糸」としましょう。
僕の思う素敵なおじさんは、一人中島みゆき「糸」状態。
その糸から生まれた布の上で新しい世代が育っていく。
最高のサイクルですな。
ミドル世代は内面も外見も磨かなければいけない
その中で言うと40代ミドル男性白書の中で、40代ミドル男性の理想像のアンケートでは、「仲間を大事にする」「周囲に気遣いや配慮ができる」男性をカッコ良いと捉える意識が高まっています。
人生観も外見を磨く事よりも内面を磨く事が重要だと思う意識がかなり上昇しており、読書などで教養を深める、芸術鑑賞により感性を磨きたいという人が増えている結果でした。
なんとなくそんなミドル男性の方がモテそうな気がしてきましたよね。
しかし、そこで「男は外見じゃない!中身だ!」と、外見の努力の部分を急に内面にシフトチェンジするだけでは危険も伴います。
これは絶対、外見がちゃんとしていて、かつ中身も求められているという事です。
サッカーのフォワードも以前は攻撃さえすれば良いポジションでしたが、現代サッカーではそれだけではスタメン11人には選ばれないでしょう。
守備にも奔走した上で、攻撃もしっかりできる人でないと通用しません。ディフェンダーもその逆で、両方が求められます。
やはり、世の中は相当進化しているんですね。人が進化し続ける事は不変のテーマなのかも知れません。
身体も健康的、内面も豊か。これこそがミドル世代に求められる成長な気がします。
「こんなに頑張ってきたのに、まだ頑張んないといけないの?」
そうぼやいてしまう、今までもずっと頑張ってきた人は多いと思いますが、 答えは「はい」です。
だって若者は優秀なんですよ。そこに経験が加わったら、我々ミドル世代は太刀打ちできません。
社会の一員としては、若かろうが、おじさんだろうが、おじいちゃんだろうが、常にゆっくりでも成長していく事が求められております。まだまだ成長してかないといけません。疲れるなぁ。でも頑張りましょう!
著者プロフィール
土屋礼央(つちや れお)
1976年生まれ、東京都国分寺市出身。RAG FAIRとして2001年にメジャーデビュー。 2011年よりソロプロジェクト「TTRE」をスタート。FM NACK5「カメレオンパーティー」TBSラジオ「たまむすび(木曜パートナー)」NHKラジオ第一「鉄旅・音旅 出発進行!~音で楽しむ鉄道旅~」などに出演中。主な著書に「ボクは食器洗いをやっていただけで、家事をやっていなかった。」「FC東京のために200兆円で味スタを満員にしてみた」「なんだ礼央化―ダ・ヴィンチ版」など。
・Twitter - 土屋礼央 @reo_tsuchiya