※この記事は2020年08月14日にBLOGOSで公開されたものです

コロナ禍でサーカス業界が苦境に立たされている。世界最大級のサーカス「シルク・ドゥ・ソレイユ」倒産のニュースはまたたく間に世界を駆け巡った。

日本にも「世界三大サーカス」のひとつと称されるサーカスが存在する。

今年で創業118年を迎える「木下大サーカス」だ。

全国で都道府県をまたぐ移動の自粛が解除されてから一週間後の6月21日、私はその木下大サーカスが滞在中の金沢市に足を運んだ。「公演中」ではなく「滞在中」と表現したのは、本来、予定されていた公演が中止されていたからである。

老舗サーカスに訪れたコロナ禍という未曾有の危機。余儀なくされたのは118年で初めての長期休演だった。

4代目社長である木下唯志氏に、危機を乗り越えた先にあるウィズコロナ時代のエンターテインメントについて話を聞いた。

戦時中も休まず公演 118年の歴史で初めての長期休演

木下大サーカスのルーツは1902年(明治35年)、初代社長である木下唯助氏が中国の大連で始めた曲馬団だ。現在は日本全国で年間120万人を動員する世界最大級のサーカスにまで成長。ハワイや香港、マニラ、バンコクなどで数多くの海外公演も成功させている。

これまで台風などを理由に3日程度、テントを下ろしたことはある。しかし、若い男性が兵役にとられた太平洋戦争中も、女性パフォーマーを主として興行を続けるなど、長期休演に陥ることはなかった。

新型コロナウイルスの感染が国内で徐々に広まっていった2月、木下大サーカスは福岡市で興行していた。公演に穴を開けないよう奮闘したが、同月29日、木下社長は休演の判断を下す。

この日を境に、木下大サーカスのテントから歓声が聞こえない日々が続くことになる。

118年の歴史の中で異例の事態だった。

劇団などが次々に休演 市民の声、政府の方針が休演の決め手に

2月27日、政府の対策本部で安倍晋三首相が全国すべての小中高、特別支援学校を春休みまで臨時休校とするよう要請する考えを示した。

その前後で劇団四季などのエンタメ団体や、東京ディズニーリゾートをはじめとしたテーマパークが次々と臨時休業を発表。特に木下社長が注目したのが、普段から付き合いの多い宝塚歌劇団の休演決定だった。

政府方針やエンタメ業界の動向を受け、木下大サーカスも休演の方針を取らざるを得なかった。

3月下旬、福岡から移動した木下大サーカスは金沢での公演を3日間計5公演だけ行った。しかし、地元市民から「クラスターが起こるのではないか」「対策はどのようなことをしているのか」といった不安の声が上がった。

世界中から木下社長がスカウトしたパフォーマーたちは皆、代わりのきかないプロフェッショナルたち。もしひとりが感染したら、より長期の休業を余儀なくされる。

席を減らしたり、アルコールを設置したりしてなんとか公演できないかと議論があがったものの、木下社長は観客と団員の安全を考えて再び休演を決断した。

4月16日、「緊急事態宣言」が全国に拡大。

私が訪れた6月下旬も木下大サーカスは金沢市から移動ができず、団員や動物たちは会場敷地内のコンテナハウスで「ステイホーム」を続けていた。

襲う経済的大打撃 コロナで収入が9割減

サーカスの醍醐味はなんといってもその臨場感だ。空中ブランコや大車輪など、水平方向だけでなく空中までも含めた舞台全体を使った演目によって観客は興奮の渦に巻き込まれる。

そのため、音楽ライブやスポーツなどの他のエンターテインメントに比べ、会場での体験をテレビ中継やオンライン配信に置き換えることが難しく、休演してしまうとほとんどすべての収入源が途絶えてしまう。

休演中も設備の維持費や約100人の団員への給与を守らなければならない。さらにゾウやライオンといった動物たち計15頭のエサ代として月約150万円が必要だった。

コロナ禍真っ只中の3~7月の収入は前年比90%減。休演は存続生命に関わる事態だった。

休演中も2日に1度続けたリハーサル コロナ禍でデビュー目指す女性ブランコ乗り

公演がないからといって、練習を休むわけにはいかない。木下社長は「休演中も練習を毎日行い、さらに2日に1回はリハーサルを行ってすべての演目を本番どおりに通している」と話す。

私が最初にこの話を聞いた時、「この状況で2日に1回リハーサルをする必要があるのか?」と疑問を抱いた。しかし、実際のリハーサルの光景を見てその考えが間違えだったことをすぐに悟った。

生身の人間が立った鉄球の中を縦横に走る3台のオートバイク。ゾウ、ライオンたちとのパフォーマンスや息のぴったりとあった空中ブランコ。どれも一歩間違えば大事故に繋がってしまう難易度の高いものばかりだ。

休演中に感覚や技術が鈍ってしまえば取り戻すことは簡単ではないだろう。

会場裏では若手の女性パフォーマーが空中ブランコの練習を行っていた。練習スペースはテントやコンテナの裏側の空きスペース。狭い空間に仮設のブランコを組み立て、地面にマットを敷いて練習場にしていた。

炎天下で練習に励む彼女は入社4年目の新人で、今年本番デビューを予定している。舞台監督の指導を受けながら何度もジャンプを繰り返し、空中での姿勢を確認していた。新型コロナウイルスの影響でデビューのタイミングが定まらない状況が続いている。しかし、そんな中でもプロのパフォーマーとして舞台に立つ日を見つめる眼差しは真剣そのものだった。

失速するウィズコロナのエンタメ業界で生き残るのは内部留保のある会社

8月1日、長期の休演を経て木下大サーカスは東京・立川での公演を再開した。入り口にはサーモグラフィーを導入し、テント内の換気設備を増設した。観客にはマスク着用やアルコール消毒の徹底を呼びかけている。

ソーシャルディスタンス確保のため座席数は2000席から900席に制限。緊急事態宣言明けの感染拡大を受け、再び休演を迫られる事態も考えられる。

厳しい状況は続くが、木下社長は「常にポジティブ。新しいものができる予感がします」と未来への希望を語ってくれた。

「1年後、2年後と同じ演目を続けるのではなく、常に新しい挑戦を続けていきたい。大切なのはイメージです」

木下社長が4代目社長に就任した時、サーカスのロゴに「The Greatest Circus in the World = 世界最高のサーカス」という言葉を入れた。それから30年以上が経ち、いまはそれが手に届くところにある。

「世界中のサーカス、エンターテインメントが新型コロナウイルスの影響で失速してしまうことがあるでしょう。その時はやはり内部留保がある会社が継続していきます」

木下社長は「“人”や“香り”をいかに残すかが大切」と力を込める。「私たちの限られた100年という寿命の中で、なにが残せるかと言うと“人”だ。初代の香り、2代目の香り、その伝統をいかに継承できるか。これからの時代の中で、技を磨いていくと同時に、さらに大切なことはいかに人の心を育めるかだと思います」

ウィズコロナ時代の新しいエンターテインメントの形

木下社長は「みんなが幸せになる力がエンターテインメントにある」と語る。

その思いが如実に現れているのが、7月15日から開始したクラウドファンディングだ。動物のエサ代や設備の維持費といった活動継続の支援を呼びかけるとともに、一部を医療従事者の支援にも充てる。

「医療現場では寝る時間も取れずに毎日命がけで仕事に取り組んでいる人たちがいます。エンターテインメントはお互いを支え合える世界です。

私たちは118年の歴史の中で色々な人から応援してもらって、今日この日までやってきました。同時にサーカスを観に来てくれた人たちに元気を与え続けてこられたと思っています。これからのウィズコロナの世界では他者に対する思いやりを高めて、片隅を照らす存在になるという気概が大切です。

業界で生き残るだけでなく、エンターテインメントを通して困っている人の助けに繋がるような活動をしていきたいです」

世界が傷つき疲弊しているいまだからこそ、エンターテインメントを盛り上げたい

私はエンターテインメントには観る人を幸せにし、活力を与える力があると信じている。その存続には観客の存在が必要だが、エンターテインメントが元気になることは世の中が活気を取り戻す大きなきっかけとなるだろう。

世界中が傷つき疲弊している中で、そんな時だからこそ我々自身がエンターテインメントを盛り上げていきたいと思う。そうすることでエンターテインメントが観る人に感動を与え、その心の動きがお互いに助け合う気持ちに繋がっていくという好循環が生まれるはずだ。

ウィズコロナの世界において、エンターテインメントの役割は観る人に感動を与えるその先まで拡がっていく。