ハリウッドで再び過熱するマイノリティ問題 「正しい」配役はどこまで徹底すべきか - 田近昌也
※この記事は2020年07月29日にBLOGOSで公開されたものです
ハリウッド映画などで白人以外のキャラクターに白人俳優をキャストすることは、非難を込めて「ホワイトウォッシュ」と呼ばれるが、最近のハリウッドではその議論が、実写作品でのキャストの人種の問題だけにとどまらず、より広いカテゴリーでの「当事者以外がそのマイノリティの役を務めること」全般へと広がっていることは、注目に値する。
「当事者でない」という理由で相次ぐ作品降板
7月上旬には新作映画(タイトルは明かされず)でトランスジェンダー男性を演じるとソーシャルメディアで語った女優ハル・ベリーが、多くの批判を受けてその役を降板する事態になったり、さらには人気アニメ作品『ファミリー・ガイ』の黒人キャラクター役を約20年にわたって務め続けた白人声優マイク・ヘンリーが、黒人キャラクターは黒人の声優が担当すべきであるとして、自主的に番組を降板をした。
現在全米に広がっているブラック・ライヴズ・マター(BLM)ムーブメントとともに、ハリウッドのエンタメ業界でも改めてこうした議論が過熱する中、その背景が完全には伝わってこない日本では、こうした動きはともすればやりすぎとも思えるものではないだろうか?
実際日本の制作現場では、マイノリティの起用について、アメリカほど議論が熟していないのが現状である。日本の実写の商業映画やドラマでは、人種という点でいうと、いわゆる日本人以外が主要な役柄で登場すること自体が多くはないし、LGBTQの役においては、そもそも当事者であることを公にしている人気俳優がほぼおらず、こういった問題をハリウッドと同列に論じることは難しいが、いかに演じるかも演技の腕という考え方がまだまだ強く、当事者の起用を意図的に優先するのは非常に稀といえる。
たが例えば、アイヌ民族が、または日本に帰化した元外国籍の人が主人公の映画が作られ、主人公役を日本人俳優がメイクアップでそれらしく見せて演じたとしたら、当事者たちは、あるいはそれを見る観客たちはどう感じるだろう?今ハリウッドでさかんに議論されているのは、そういう感覚に近いのではないかと筆者は考えている。
一方で、アメリカでの世論の変化の速さには、驚きを禁じ得ない。2005年には故ヒース・レジャーとジェイク・ギレンホールが映画『ブロークバック・マウンテン』では男性同士の恋愛を演じ、2015年にはイギリス映画『リリーのすべて』で、世界で初めて性別適合手術を受けた人物をエディ・レッドメインが演じ、それぞれがアカデミー賞の各男優部門にノミネートを果たした。だがかつてないほどのスピードで変化するハリウッドにおいて、作品が現在の2020年に公開されていたら、彼らが当時ほどの賞賛を集めただろうかと、考えてしまう。
リアルさ?雇用の機会?問題の背景にある複雑な背景
これらの動きは単に、多数派対少数派という構造ではなく、その裏にオーセンティシティ(本物らしさ)や長年の差別の歴史、マイノリティたちの雇用機会などの要素が多層的に重なった、複雑な問題である。
オーセンティシティは、現実味溢れる作品を作る上で必要不可欠な、様々な裏付けであるが、これが欠けるとキャラクターや世界観を支えるリアリティが担保されず、作品のハリボテ感が増す。前述のハル・ベリーのケースでは「本物のトランスジェンダーの俳優がいるのに」という批判が多く見られた。それはトランスジェンダー役をそうではないハル・ベリーが演じることに対するオーセンティシティの問題がひとつであった。しかしそれに加え、ただでさえ今のハリウッド映画で描かれることの少ないトランスジェンダーの役が当事者以外の役者に持っていかれることで、これらのマイノリティの俳優が世に出る機会が削がれ、結果的に彼らの声の届く可能性が失われるとの批判も多くあった。
映画は作品それ自体から受け取れる情報だけでなく、キャストによるプロモーション活動も、作品について観る側に知ってもらう、またとない機会である。その折に俳優たちが自分の実体験に基づいた厚みのある話ができるのと、「いろいろ学べました」というコメントを出すのが精一杯なのでは、その役を務める意味合いがまったく変わってくる。
一方で、作品を配給・配信しているスタジオの重役クラスは、現在も白人男性が多数を占めており、莫大な製作費を回収するために、黒人やアジア系の俳優よりも、知名度で上回る白人の俳優を起用する傾向にある。一見合理的なロジックのようであるが、その知名度さえも、今まで長年にわたってマイノリティたちが抑圧されてきた結果であり、そんな理由で自分たちの機会を奪い続けるのか、という憤りがマイノリティの間には存在しているのである。
「稼げないから」では通用しなくなったマイノリティキャストの起用
だが最近『クレイジー・リッチ!』や『ブラックパンサー』の大ヒットが証明したように、この論理が必ずしも真実ではない。また現在Netflixで配信中のドラマシリーズ『POSE/ポーズ』も、マイノリティのリアルな描写で大きな成功をおさめている。1980年代のニューヨークを舞台に、LGBTQたちの生き様を描いた本作は、有色人種でしかも実生活でもトランスジェンダーである俳優を多数起用したことで話題になった。『glee/グリー』で知られるライアン・マーフィーもプロデューサーを務める本作は、その感動的な内容と合わせてエミー賞ほか、数多くの賞でノミネートや受賞を果たした。
今後、こういった形でより多くのマイノリティのタレントにも花開く機会が与えられることを願うばかりである。そうすることで初めて、マイノリティのタレントたちが、そうでないタレントたちと、本当の意味で公平に評価される機会を得たと言えるのではないか。
さて、近年ハリウッドデビューを果たす日本人俳優も増えているが、やはりハリウッドでは日本人も同じようにマイノリティの一員である。日本原作のハリウッド映画・シリーズ化も増え続ける今の時代にあって、それらの中でマイノリティをめぐる「正しい」配役というのは、可能なのだろうか?
日本原作作品も増える中で、正解はあるのか?
結論からいうと、刻々と変化を続ける現在のハリウッドの状況では、ケースバイケースとしか言いようがないだろう。漫画については、例えば『進撃の巨人』や2018年に日本でアニメ化された『バナナフィッシュ』に代表されるように、欧米的な世界観を持った作品も多い。もちろん、そんな中で存在する日本人キャラクターを白人キャラクターに変更するという手は、今では限りなくアウトに近いのは誰もが理解しているはずだ。
たが、これをお読みいただいている方の中には、実のところ『ゴースト・イン・ザ・シェル』にスカーレット・ヨハンソンがキャストされることよりも、日本人役に中国系の俳優がキャストされていたりすることの方が気になるという方も多いのではないだろうか。
現在ハリウッドでの人種についての議論の主流は「白人」「アジア系」「黒人」などといった大きい括りでの話であるが、興味深いことに、ハリウッドでも流れは「人種」から徐々に「民族」への細分化に向けて進んでいると感じられる。つまりアジア系の中でも中国系、韓国系、日系といった具合で、少数派対少数派の構造になりつつある、ということだ。2019年の映画『ザ・フォーリナー/復讐者』で香港出身のジャッキー・チェンがベトナム系男性の役を演じた際に、アジアの中での歴史や国同士の力関係もあり、海外のオーディエンスを中心に物議を醸していた。今後は知名度にかかわらず、できる限り、現実でも役に近い立場の俳優を当てるケースが、今よりもずっと増えていくと思われる。
混沌とした状況にあるハリウッドでのマイノリティの問題は、今まで良しとされていたものが、ある日批判の対象になるなど、明確な答えが出ていない。ただ根底に存在しているのは実写、アニメに限らず、「マイノリティである役は、そのマイノリティの当事者が演じるべき」という線であり、当事者の声が重視される流れは変わらないだろう。これは多数派の声が大きい日本との最大の違いかもしれない。ともあれ、BLMムーブメントとともに大きく動くエンタメ業界の中にあって、敏感に感覚をチューニングしていくことが求められるだろう。
【参照】
https://variety.com/2020/film/news/halle-berry-trans-role-apology-transgender-film-1234699605/
https://deadline.com/2020/06/family-guy-voice-actor-mike-henry-stepping-down-from-cleveland-role-1202971407/
https://www.refinery29.com/en-us/2017/06/161534/jackie-chan-the-foreigner-criticism-chinese-vietnamese