ジブリ鈴木敏夫氏の新著「新・映画道楽」とたどる映画の記憶 - 吉川圭三

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※この記事は2020年07月10日にBLOGOSで公開されたものです

6月27日~28日の日本での映画興行収入はスタジオジブリの「千と千尋の神隠し」(1位)「もののけ姫」(2位)「風の谷のナウシカ」(3位)となっていた。コロナ禍で新作がかけられない現在「大スクリーンでジブリ作品」を見たいという観客層がいたにしても、観客はほぼ何度目かの観覧でありこれだけ複数回の観賞に耐える作品も珍しいと思う。

「面白くてためになる」ジブリ映画が目指したもの

そんなスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが珍しい本を書いた。この本ではアニメーション会社のプロデューサーなのにほとんどアニメには触れず、1960年代~70年代の日本映画の事をひたすら偏愛的に書いているのである。キネマ旬報連載のものに手を加えて「新・映画道楽~ちょい町哀歌・エレジー」(角川文庫)と題した本である。鈴木さんから献本頂いた時に「コロナ後の映画製作のヒントになれば」との紙片が添えてあった。

確かに、鈴木さんはスタジオジブリの小冊子「熱風」の6月号の「コロナと映画」特集を読んでみるとこんな事を言っている。(以下概略)

「(今回のコロナ禍によって)日本映画史上最大の事態を迎えた。この事で映画が変わるかも知れません。大量消費社会と資本主義の中で、映画はほぼ単なる娯楽としてのエンターテイメントになってしまった。僕がジブリを始めるとき宮さん(宮崎駿監督)とそういう話をしたんですが、日本映画はもうダメと言われていた時期だったんです。高畑勲さんと宮崎駿さん。この2人って昔の映画の作り方をどこかで知っている人たちなんです。つまり、見てスカッと楽しいだけというエンターテイメント一辺倒ではなくて、面白くてためになる、この要素が大事なんです。要するに(今までジブリでやったのは)昔の映画なんですよね」

この一文を読むと、鈴木さんがどうしてこんな本を書いたかが理解出来る様な気がする。

時は60年代~70年代。日本の名だたる東宝・松竹・東映・日活・大映などの映画会社がテレビという新しいメディアによって奈落の底へ突き落ちる直前、そしてそれは最後のもがきの様な傑作映画群が生まれた時代でもあった。二本立てで上映される添え物的なプログラムピクチャーと呼ばれる映画の中にも、映画屋達の手を抜かぬ仕事と矜恃が見られる。それはまさに単なる「娯楽」を超えた、主義主張も美意識も哲学も職人芸もギッシリ盛り込んだ映画群であった。

映画に対して「偏執狂的」だった鈴木敏夫氏

鈴木敏夫は父母が映画好きだったので、名古屋の実家時代から浴びる様にそれらの作品をリアルタイムで見ている。父は日本映画で母は外国映画。だから、この時代の日本映画の証言者として映画評論家の金澤誠氏より依頼を受けてこの連載を始めた。

映画は奥の深い映像表現だ。そのため、「映画本」は出版の世界でも読者をある程度見込めるジャンルである。その中には、映画評論家や映画研究家の本もあり、それらももちろん良いのだが、私は映画プロデューサーや映画監督が自分の製作に関わっていない映画について書いた本を読むのが好きだ。黒澤明、押井守、フランソワ・トリュフォーほか色んな作り手達が「映画本」を出している。

中でも今回の「新・映画道楽」を読むと鈴木さんがいかに映画に対して“偏執狂的“に向き合って来たかがよくわかる。特にクレジットされている監督・脚本家・俳優、もしかするとカメラマンや照明マンでさえも腑分けし、全ての作品を何回も見直して縦から斜めから映画を分析しているのが面白い。「なぜこの作品はオレの胸に突き刺さったのだ?」と問いながら。これはおそらく作り手でないと出来ない技だと思う。

いくつか例を挙げてみよう。

勝新太郎の「座頭市」の面白さを追求するために映画26本、テレビシリーズ100本を文章を書くために見直している。ある作品についてはおそらく何十回も見ている。 日本映画史上ダークヒーロー中のダークヒーロー、内田吐夢監督の「大菩薩峠」の主人公の机龍之介が「もののけ姫」に与えた影響と宮崎駿監督がベスト1に選んだ内田監督の映画とは?そして内田吐夢監督と高畑勲監督との浅からぬ因縁とは? 新時代を切り開いたヤクザ映画「仁義なき戦い」の脚本家・笠原和夫が同時代と呼吸しヒット作を連発出来たのは何故か? 大スター市川雷蔵vs石原裕次郎。それは古い日本を守ったスターと新しい型のスターとの闘いだったのか? 樹木希林との鈴木敏夫との忘れ得ぬ思い出。

読み終わって思ったのは「やはり普通の映画本ではなかった」という事だった。そして鈴木さんの目論み通り、60年代~70年代に至る映画の奥行きの深さを知る事が出来た。しかも、この本は描かれている映画をたとえ見た事がなくても楽しめる様に書いてある。どこかで探し出して対象の映画を見たくなる。若い人も日本映画の多様性と深さを感じられるはずなので、ぜひ読んで欲しい。

ビートたけし、明石家さんま……名優・勝新太郎とのエピソード

こんな事を書くのは私にとって初めてだが、私もテレビ界に長くいたのでこんな思い出を持っている。名優・勝新太郎さんはビートたけしさんと明石家さんまさんと生前親しかった。

たけしさんの最初の作品「その男、凶暴につき」を勝さんが褒め、その後2人は会ったそうである。「たけちゃん。オイラこんな映画の企画を考えたんだけどやらない?2人のヤクザのロードムービー」私は楽しそうに勝新太郎さんについて話すたけしさんから、そのあらすじを聞いた。「いつかやらないとなぁ」と言っていた。もちろん、北野武監督の「座頭市」を見ずに勝さんは他界してしまったのだが。

明石家さんまさんは「座頭市」と「兵隊やくざ」と「悪名」の大ファン。すなわち勝新太郎の大ファンだった。ある日楽屋で聞いた事がある。勝さんが亡くなる前に、さんまさんは赤坂の蕎麦屋に呼びだされこう言われたそうだ。「なんか、ウチの(中村)玉緒がトーク番組でお世話になったそうだけど大丈夫だった?」「いやこちらこそあんな大女優さんに笑いを取って頂いて」「さんまちゃん、何かあなたのお役に立てるんだったら玉緒を頼むよ」と言って頭を下げたそうである。さんまさんは憧れの人の前で恐縮した。その言葉を受け勝さん亡き後もさんまさんは中村玉緒さんと義理堅く12年間自分の番組で毎週共演する事となった。

私の思い出話が続いてしまったが、この本「新・映画道楽」はそんな私の記憶を芋づる式に引き出してしまったのである。

黒澤明監督はある人にこう聞かれた。
「創造とは何か?」

黒澤監督はこう答えたという。
「創造とは記憶である。」

そう、この本にはそうした映画愛に満ちた重要な記憶がギッシリと詰まっているのである。