「毒親」登場の背景に核家族化 コロナ禍で家族時間が増えたからこそ大切にしたいこと - 後藤早紀
※この記事は2020年07月03日にBLOGOSで公開されたものです
「毒親」という言葉を知っているだろうか。親が子どもに価値観を押し付け支配したり、過干渉したりすることで子どもに悪影響を及ぼす、文字通り「毒」になる親を指す言葉だ。
新型コロナウイルスによる自粛生活で家族と過ごす時間が増えたこの数ヶ月は、「毒親」に悩む子どもにとっては辛さが増した期間であったかもしれない。
「毒親」という言葉はいつ生まれ、なぜそのような親子関係になってしまうのか。どうすれば苦しさを乗り越えて、自分らしく生きていけるのか。「毒親」問題に直面する親子が回復に向かう方法について、精神科医の水島広子さんに話を聞いた。
親が良かれと思ってしたことが「毒」になる
――そもそも「毒親」というのはどういう親のことをいうのでしょうか
私は、「子どもに安定した愛着を与えられない人」という風に定義しています。別の言葉で定義している人もいますが、「『毒親』の正体」を執筆するにあたって定義する必要があったので、「愛着」に注目して、そういった親を大まかに「毒親」と呼んでいます。
「毒親」の中には、真面目な人も含まれています。突き詰めれば、子どものために良いと思っていないことでも平気でする人というのが本当の毒親です。しかし、多くの鍵カッコが付くような「毒親」は、子どもにとって良いだろうと思って、いろいろなことをしているんですよね。
――子どものためを思ってしたことが、「毒」になっているということでしょうか
はい。親が良かれと思ってやっていることが、過剰なしつけや教育虐待になってしまう人が多いです。
あとは、著書でも指摘したように、「毒親」になる人は発達障害と診断できる人も多く、子どものために良かれと思ってやっているのですが、その発想があまりにも一面的であるということがあります。
「毒親」という言葉が誕生した背景に核家族化の拡大
――「毒親」という言葉は、1989年にスーザン・フォワード著『毒になる親』の出版を機に登場したといわれていますが、この時期に登場した理由や背景はあるのでしょうか
それまで親というのは、子どもに対して「良いことをする存在」という前提で社会が動いていました。しかし、その中で「あれ?」と違和感を持つ人たちもいて、それを概念化したのがスーザン・フォワードだったということだと思います。
なぜその時期かというと、戦後から家族構成が変化し、核家族化してきたことがあると思います。それ以前の農業をやっていた時代や戦時下では、親は忙しかったですから、子ども同士で助けあって暮らしていました。その後、会社勤めをするのが一般的になり、核家族化が進んだことで、親と子どもの距離がとても近いものになりました。
――アメリカで最初に名前が付いた概念ですが、核家族化が進む日本も同じ状況だといえますか
アメリカで最初に「毒親」という問題が注目を集めた背景には、土地柄もあったのだと思います。国土が広く、どこかへ出かけるときは車で長い距離を移動することになります。徒歩で慣れ合える近所づきあいみたいなものは少ないのです。
私も一時期アメリカに住んでいたのですが、子どもを遊ばせるときは親同士でアポイントを取り合い「何月何日に遊びましょう」と約束をして、当日に車で送っていくんです。つまり、子どもが小さいうちは、基本的に親中心の人生なんです。
そういう意味で、アメリカで最初に「毒親」という問題が目についてきたのではないかと思います。また、当時のアメリカは精神分析がさかんで、メンタルな問題に注目する土台ができたとも言えます。
日本はアメリカよりも移動距離が短いですが、かつて機能していた地域社会がなくなってきたことで、子どもが地域でいろいろな人から守られることがなくなってきたと言えますね。
――それまでも存在はしていたけど呼び方がなかった問題が、「毒親」という言葉で知られるようになったのですね
そうですね。問題のある親はどの時代にもいますし、アルコール依存症や暴力的な親などがゼロになることはないでしょう。けれども、核家族化がここまで進む前は、親せきや地域社会など他の大人の存在が、そういった親の影響を薄めていたんです。
共働きが増えると「毒親」は少なくなるか
――最近は、核家族でも共働きをする人が増えています。子どもと接する時間が減ると、「毒親」の影響は弱くなりますか
もちろん、親が共働きだと子どもは保育園に通ったり、学童に行ったりするので、親以外の大人と接点ができます。それはとても良いことだと思います。
ただ、共働きだから「毒親」が減って大丈夫になるかというとそういう訳でもなくて、発達障害を持つ親の場合は、基本的にマルチタスクが苦手な人が多いです。育児と仕事を両立させなければならず、パニックになってしまうことも考えられます。
仕事で手一杯になってしまうと、子どもに気を配ってあげられなくなり、子どもが泣いていても気が付かないということも起きてしまいます。
――共働き家庭で子どもと接する時間が減ると、その時間の中ですべてやろうとして、逆に追い込まれる親も出てきてしまうんですね
そうなんです。ただ、どんなときも「毒親」の影響を薄められるのは他の大人たちの力なので、親せきや地域社会、最近でいえば「子ども食堂」などを活用して、ひとりで負担を抱え込まないことが大切です。
夜ご飯を家でお母さんが作ろうとすると回らない場合は、子ども食堂で一緒に食べて、家に帰ればあとは宿題だけ見ればいいようにするとかですね。
私自身、働きながら二人の子どもを育てましたが、保育園の先生には本当に感謝しています。しつけや公園デビューはすべて保育園任せでしたが、子育てを手伝ってもらったことで、「自分はだめなんじゃないか」とあまり思わずに来られたんですよね。
反抗期があるのは親に安心感を持っている証拠
――最近は、反抗期がない子どもが増えているというのを目にしますが、反抗期は親子関係にどのような意味がありますか
増えているかどうかはわからないですが、臨床の場でみていると反抗期がなかった子どもが多いです。
その患者さんに、なぜ反抗期がなかったかということを突き詰めていくと、「自分が家族をまとめていないと、一家がバラバラになってしまうと思っていた」と振り返る人を多く目にします。両親が不仲で、離婚でもしたら居場所を失うのではないかと不安になるのです。
そして、子どもは親を見て反抗します。親を罵ったり、無視しても見捨てられたりせず、「絶対に大丈夫だ」という気持ちが持てないと反抗はできません。
両親のどちらかが精神的に脆く、子どもが少しでも自律的なことをすると、親が具合を悪くするというような家庭では、子どもは反抗期には入れないのです。
なので、反抗期が来た親たちには、「それだけ子どもを安心させられたんだから、良かったね」ということにしています。
親が「毒親」化した原因を知ることは回復への指針となる
―― 一方で、親全員がそういった心持ちで子どもに向き合えないということもありますよね。そういう場合に子どもは、どのように対処すれば良いでしょうか
「毒親」問題が現在進行形であれば、精神科医やカウンセラーなど、しかるべき人が介入して関係性を改善していくべきだと思います。終わってしまった問題であっても、その原因が自分のせいではなかったんだという答えをしっかり出さないと、自己肯定感の低い人になってしまいます。
つまり、それは親の問題だったのか、自分の問題だったのかというのをはっきりさせるということと、悪い人ではないのに「毒親」になってしまう人もいるということを知ることが大切です。
――苦しい時期を乗り越えて理解するまでは、かなり年月がかかりそうですね
やはり、本当に理解するまでは、年単位の時間がかかります。ただ、闇雲に原因を考えるよりも、例えば「あなたの親は発達障害を持っている」という知識がひとつ入っているのといないのではだいぶ変わってきます。
本当に心が癒されていくには年単位の時間がかかりますが、指針があるのとないのとでは全然期間が違ってくるのです。
――水島先生の著書では、親以外の「安定型」(※)といわれる性格の人と関わることでも、心を改善していくことができると書かれています
そうですね。そういった関わりがあると、かなり回復が早まります。話をしっかり聞いてくれる人と接することで、「人にこんなことを言っても大丈夫なんだ」と発見し、そのような人と結婚したことで、子ども時代に「毒親」に苦しんだ心が回復していくパターンも多いです。
※「安定型」の人とは、気分のむらがなく一貫性がある人。距離を急に近づけたり遠ざかったりしない人。何を言っても受け入れてくれる人を指す。(「『毒親』の正体」より)
コロナ禍で家族時間が増加した状態は非日常
――新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛中は、親子で過ごす時間が増えました。長時間家で過ごす際に、親子関係を良く保つためにアドバイスをお願いします
子どもの年齢にもよりますが、家族は家族でもそれぞれが独立した「個人」だという認識を忘れないようにすることが大事だと思います。
普段は学校や職場に行き、それぞれ別々にいるのが普通で、コロナで長時間一緒に過ごすという期間は、いくら我が家であっても「非日常」なんだという意識を忘れないようにということですね。どれほど仲が良くても、ストレスフルな状態だというのをわかっておいた方がいいです。
家の広さなどもあるかと思いますが、ひとりでいる時間や空間を持つことを忘れずに、無理に仲良し家庭を演じる必要は全くないということです。
「毒親」の正体―精神科医の診察室から―(新潮新書) Kindle版
プロフィール
水島広子(みずしま ひろこ)
精神科医。対人関係療法専門クリニック院長。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院修了。同大医学部精神神経科勤務を経て、2005年まで衆議院議員として児童虐待防止法改正などに携わる。著書に「女子の人間関係」(サンクチュアリ出版)、「怒らないですむ子育て~そのイライラは手放せます~」(小学館)、「『つい感情的になってしまう』あなたへ」(河出書房新社)など多数。