※この記事は2020年06月26日にBLOGOSで公開されたものです

ソニーが久しぶりに前向きな注目すべきニュースを発表しました。同社は2021年4月から持株会社化して社名をソニーグループに変更、銀行業および保険業を担当する関連上場企業ソニーフィナンシャルホールディングス(以下SFH)を完全子会社化して傘下に収めるというものです。

同社の社名変更は、創業時の東京通信工業からソニーへの変更以来、63年ぶりのことです。今回の社名変更について吉田憲一郎CEOは、「多岐にわたる事業をまとめていく会社としてソニーを再定義する必要がある」としています。

ソニーの創業の精神と「失われた20年」に鑑みて、この時期に持株会社化し社名変更を決断した真意はどこにあるのか。また同社はこれからどこを目指していくのか、その展望を探ってみます。

「ソニーの失われた20年」の始まりはいつ?

ソニーは創業以来、トランジスタラジオ、ウォークマン、ハンディカム、AIBO、プレイステーション等々画期的な製品を世に送り出し、当時の松下、東芝などの家電他社とは企業イメージで一線を画してきました。いわゆる「ソニーらしさ」です。

同時にそれは東京通信工業からソニーへの社名変更時に、「我々が世界に伸びるために」あえてエレキのイメージを排除した二人の創業者井深大、盛田昭夫の創業の精神でもありました。それこそが、松下「電器」産業、東京芝浦「電気」との大きな相違点でもあったのです。

そんなソニーがいつからか普通の企業になってしまい、「ソニーらしさ」が無くなってしまったと言われるようになります。表面化の契機は2003年4月の同社が発表した赤字決算を引き金とした株式市場大暴落、いわゆるソニーショックでしょう。

この市場を揺さぶった赤字決算の原因をつくったのは、当時のCEO出井伸之氏です。出井氏は社長の座についた1995年以降米国企業を真似て、ストックオプション制度、執行役員制、ネットワークカンパニー制の導入や委員会等設置会社への移行等々、組織運営のイメージ戦略に腐心。

結果、一時的な世間の注目と株価上昇はあったものの、創業の精神を忘れ本業をおざなりにしたツケがまわって構造的な赤字を生み、ソニーを長期低迷に陥れたのです。

その前任CEO大賀典雄氏までは創業者の井深・盛田が指名し後継を任されたリーダーであったのですが、出井氏の社長就任時には創業の両名は既に病床にあり、出井氏は創業者の魂を直接受け継いでいない初めてのトップでありました。

氏は企業イメージ戦略に勤しむ一方で、創業来のポリシー「技術のソニー」の象徴であった中央研究所の閉鎖、ソニーらしさを製品の形にしてきたデザイン会議の廃止等を敢行します。

すなわち、愚策をもってソニーから「ソニーらしさ」を奪ったのが出井氏であることは疑う余地がなく、その愚策に導かれるように業績は低迷してソニーの「失われた20年」が始まったのです。

前CEOを反面教師に”長いトンネル”から脱出

2005年出井氏がエレキ部門大幅赤字の責任を取って退任した際に、後継に指名したのは米国放送ジャーナリスト出身のハワード・ストリンガー氏でした。これがソニー凋落の傷を一層深くした完全なミスキャストであり、ここにも出井氏の「失われた20年」に対する責任の大きさがみて取れます。

ストリンガー氏は当時の最重要再建対象であった家電部門に関しては門外漢であり、その在任期間は有効な新戦略を打てず人員カット等コスト削減ばかりに執心し、高額報酬を得つつ赤字幅を広げただけの7年でした。

それだけでなく、対コンシューマービジネス拡大を狙って保険、銀行と業務を拡大してきた金融部門SFHを、グループの非中核事業と位置づけ分離上場させたのも彼でした。ストリンガー氏は、コングロマリット企業ソニーの指導者にふさわしい器に満たない経営者だったのです。

出井、ストリンガー時代の長期低迷からの脱却を委ねられ2012年に社長就任した平井一夫氏も、音楽とゲーム分野出身でソニーのトップとして力不足との下馬評でした。

しかし、関連会社社長として功のあった現CEOの吉田氏を本社に戻しCFOに据えたことで、道が開けました。お荷物化していたパソコン部門を切り離し、エレキ部門の縮小で止血をはかりつつ画像センサーという新たな食い扶持をつくることで、2018年3月期には20年ぶりに営業利益過去最高を記録しました。

平井氏は前任を反面教師に素人の独断で事を進めず自身の弱点を補う優秀な右腕を重用したことで、ようやく長いトンネルを抜け出たのです。

「ソニーらしさ」復活を感じるEV開発事業

平井氏がこの最高益を置き土産として2018年に勇退し、後釜に吉田氏を指名したのは意外でした。吉田氏は有能なCFOではありましたが、参謀役のイメージが強く組織を牽引するCEOタイプではないと見えていたからなのですが、程なくその懸念は払拭されました。

CEO就任後の中期経営計画発表の場で、「過去10年ソニーは仕込みが足りなかった。私の在任期間に成果が出ないことをやるのは経営の重要な規範であり、長期的視野で取り組めるよう目標数字は置かない」とあえて営業利益目標を設定せず、目先の利益にとらわれない環境下での研究開発の重要性を強調した姿勢に、ソニー復活の種火を感じることができたからです。

創業の精神に立ち返り研究開発重視を明確化した吉田ソニーの具体的な息吹は、手始めとしてCFO時代に直接指示を下した犬型ロボットAIBO開発の復活、さらに今年1月のデジタル見本市CESで世界をアッと言わせたソニー初の自動運転EV(電気自動車)披露にハッキリと感じとることができます。

しかもこのEV開発、ソニーとしての販売を前提としない条件下で進められた点がふるっています。これこそ、技術者の趣味を社会貢献ビジネスへ育ててきた「ソニーらしさ」の復権を感じさせる動きに他ならないのです。

コロナ禍での社名変更を発表した狙い

このようにソニー復活が徐々に実像を伴って見えてきた今の時期に、社名変更を決断したことには大きな狙いが込められていると言えるでしょう。

社名変更に伴う最大の変更点である金融事業SFHを含めた持株会社形式によるグループ化には、長らくソニー発展の精神的支柱であった盛田氏が重んじていた「多様性」への回帰という意味合いが確実に感じとれます(吉田CEOは「盛田さんこそ多様性の原点である」と話しています)。

またそれはエレキ、半導体、光学、ゲーム、音楽、映画、金融等々を含めた多様な事業が織り成す収益構造がまさに今、新型コロナ危機に対する耐性をも示すものであり、この時期に発表する狙いはその点にもあったと読み取れます。

さらに、物言う株主サード・ポイントがソニーにおけるコングロマリット・ディスカウント(複合企業が複合ゆえに時価総額が事業合算企業価値を下回るという現象)を指摘し、一部部門の切り離しを求めていることに対する、複合事業化の有効性を主張する明確な拒否表明でもあるのでしょう。

個人的には、2007年にストリンガー氏によって分離独立された金融事業の再取り込みが、単なるグループ収益のかさ上げ目的ではないと思える点に最も注目しています。

具体的には、目先では自社開発技術でSuicaなどで活躍中のフェリカ技術を活用したキャッシュレスビジネス、フィンテックビジネスへの積極展開などが挙げられますが、究極は中国のアリババ集団が実践しているような金融事業の顧客データを活用した、複合情報テクノロジービジネスへの展開でしょう。

吉田CEOが「金融事業は当社の技術を活用できる長期視点の成長事業」と語っている事業展開の真意は、そのあたりにあるのだろうと思われます。

ソニー創業精神への回帰で今後に高まる期待

また同時にこの複合情報テクノロジービジネスは、並み居る海外勢を迎え撃つ我らがメイド・イン・ジャパンの対抗軸役をも期待される重要の領域でもあります。もちろん、その前途は決して平易なものではありません。

ソニーが「失われた20年」を過ごしている間に、世界の最先端ビジネス界で生活文化・環境の変化を牽引するプレイヤーたちは大きく顔ぶれを変えました。

かつて井深、盛田の時代にトランジスタラジオやウォークマンの開発を通じて世界のライフスタイル多様化をリードしてきたそのポジションは、今やGAFAと言われる海外勢に席巻され、後塵を拝する日本企業との間には大きな隔たりが生じてしまっているのです。

ソニーにおける「失われた20年」は、あまりに長すぎました。それでもソニーには自ら新しいものを生み出す歴史と文化があり、吉田ソニーがそれを今再び呼び起こす流れに持ち込めるのならば、GAFAに正面から対抗できる数少ない日本企業にもなりうるはずなのです。

しかしそのためには、2年連続最高益を記録した現状でもまだまだ物足りません。現状は普通の企業であれば及第点が与えられる状況なのかもしれませんが、ソニーは長年眠っていた「ソニーらしさ」が戻らないことには未だ及第点に至らずなのです。だからこその持株会社化であり、社名変更であるわけなのでしょう。

創業精神への回帰を旗印に吉田CEOの下でようやく実現した、研究開発重視と傘下グループ化による多様性の相乗効果を活かし、「ソニーらしさ」を体現する唯一無二の新規事業がいつ立ち上がるのか。

63年ぶりのソニーの社名変更が真に意義あるものになるのか否かの判断は、そこに委ねられるのではないかと思います。今本当に久々に、ソニーの行く手に期待感が高まります。