薬物担当の刑事が風俗嬢と覚醒剤漬けの3カ月 「おれはサツだぞ、一緒なら捕まらない」 - 小笠原淳
※この記事は2020年06月26日にBLOGOSで公開されたものです
記者クラブに属さないながらも、独自の取材で北海道警の不祥事を追っているフリーライター・小笠原淳氏。今回取り上げるのは、薬物捜査を担当する刑事でありながら自ら覚醒剤を使用し、札幌随一の繁華街・ススキノの風俗嬢と覚醒剤漬けの日々を送っていた男性巡査部長(当時46、懲戒免職)の姿だ。
決めゼリフは「俺はサツだ」。今回のレポートからは、強い使命感を持って警察官を志したはずの元巡査部長が、覚醒剤漬けの日々へと堕落していった姿が浮かぶ。
元巡査部長は2018年10月10日、覚醒剤を所持していたとして、覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕。11月1日に同法違反(所持、使用)の罪で起訴され、翌日に保釈された。
ところが、保釈中の12月上旬に覚醒剤を使用したとして、同法違反(使用)容疑で再逮捕される事態に。札幌地裁は19年2月7日、懲役2年6月、うち懲役6月を保護観察付き執行猶予2年(求刑懲役3年)とする判決を言い渡した。
元巡査部長は約10年半にわたり、薬物捜査を担当していた。元巡査部長の起訴段階になって、風俗店従業員の女(当時23)が共犯である事実が判明した。
忘れようもない“シャブ中”の件
久しぶりの電話の相手が不意に話題を変えたのは、私が“警察不祥事マニア”と知ってのことだったろう。
「そういえばサツ、最近でっかいのやらかしてないですね」
札幌市内で警察取材を経験し、現在は地方の支局に勤めるその若手記者が、電話の向こうで首を傾げる。彼の言う通り、北海道警察の不祥事はこのところ不作続きだ。
「一昨年の後半はすごかったですよねー。連続わいせつ、ひき逃げと来て、シャブ中でアガリ、みたいな」
声を受け、2018年下半期の記憶を手繰り始めた私は、もともとの電話の用件を忘れてしまうほど当時の状況を生々しく思い出した。とりわけ「シャブ中」の件は、忘れようにも忘れ難い。
「あの2人、まだ出所してないですよね。出たらまたやりそうな感じですか」
訊かれた私は、反射的に「やるでしょう」と答えていた。家族や自助団体などの支援で薬物依存を克服する人がいることは、もちろん知っている。だが当事者に立ち直りの意志がみられないとなれば、話は別だ。
事件の主役は、薬物捜査担当の警察官とススキノの風俗嬢。2人は覚醒剤を通じて出会い、短くも濃い蜜月を経て獄に堕ちた。
逮捕後に再犯、常習の可能性が
道警では何年かに一度、大きな不祥事が連続する時期がある。2018年の後半は、まさにそんな季節だった。
同年7月、機動隊の巡査長が重傷ひき逃げ事件で逮捕(停職3カ月)、翌8月には苫小牧署の巡査部長が連続わいせつ事件で逮捕された(免職)。ひき逃げの巡査長が事故後に偶然を装って現場対応にあたっていたことや、わいせつ巡査部長が子供相手に29回もの露出事件を繰り返していたことで、当時はともにその悪質性が話題となった。後者については当事者が幹部職員の息子だったため、地元メディアのみならず東京の週刊誌なども事件を報じるに至っている。
それらを一瞬忘れさせるほどの衝撃的な不祥事が発覚したのは、先の2件の裁判が続くさなかの10月10日夜。道警の『報道メモ』は、事件を次のように簡潔に伝えている。
《被疑者は、みだりに、平成30年10月10日、札幌市東区北6条東1丁目先において、覚醒剤を所持したものである》
当時、容疑者の職業は「地方公務員(警察官)」としか記されていなかった。だがすぐに、記者クラブ加盟社の記者からの情報で、その職場が札幌中央署の薬物銃器対策課であることが知れる。薬物捜査にあたる現職警察官が、自ら薬物事件で捕まったわけだ。容疑者は当時46歳。階級は、下から数えて2番目の巡査部長だった。
この前年、同じく薬物担当の警察官が売人への情報漏洩で逮捕され、免職となっていた。同事件の取材で知り合ったその元警察官に連絡をとったところ、今回の容疑者を知っているという。電話の主は、札幌市内の警察署で同僚だったことがあるというその人を「一匹狼のような感じ」と評した。
「ほかの人間とあんまりツルまないんで、何やってるのかよくわからないところがありましたね。一見、チンピラみたいな風貌で悪そうだけど、ほんとに悪いことするようには見えなかった。芯の通ったところもあって、上司に噛みついたりもしてました。ただ、その割には仕事の実績が上がらないんで、みんな『よくやるよねー』『頑張るねー』なんて冷ややかに見てましたね。昇任試験もなかなか受からず、ずーっと巡査部長」
なるほど、出世と無縁の一匹狼。人知れずストレスが積み重なり、つい薬に手を出してしまった。そんなところだろうか。と思っていたら、それどころではなかった。
逮捕1カ月後の11月初旬、札幌地方検察庁が巡査部長を起訴した。その起訴状に「甲と共謀の上」との記述。共犯者がいたということだ。
さらに1カ月を経た12月中旬、道警が彼の再逮捕を伝えた。巡査部長は最初の逮捕後に保釈され、再び覚醒剤に手を出していたのだ。
これは常習だ。捕まってもやめられなかったところをみると、すでに依存症と言ってよい。それもかなり重度の。
かぶりを振りながら警察発表に眼を落とすと、あることに気がついた。最初に逮捕されたときと2度目に逮捕されたときとで、自宅住所が違う。
巡査部長は10月の逮捕当時、妻子とともに札幌市北区の戸建てに住んでいた。この5年ほど前には同手稲区の住宅街に家を持っていたことがわかっているが、再逮捕時の住所はそこでもなく、同豊平区のマンションになっている。妻は仕事を持っており経済的に自立していたというから、本人は別宅でも構えていたのだろうか。
結論を言えば、そのマンションは巡査部長の実家だった。妻は事件直後に愛想を尽かし、事実上家庭が破綻していたのだ。
ここで、月額1000円で契約している「ゼンリン住宅地図」のアプリを開いてみる。道警の『報道メモ』に記された豊平区の一画に、巡査部長と同姓の世帯は5軒ほど。おそらくはこのいずれかが薬物再使用の現場だ。さほど広い地域ではないため、一度現場を歩けばある程度は絞り込めるだろう。そう思いつつ、念のため地元の警察OB団体「警友会」の名簿を手繰ってみる。その手が「豊平支部」のページでぴたりと止まった。
再使用現場と同じ住所に、巡査部長と同じ苗字――。
また二世かよ、と天を仰いだ。
父親も警察官 縁故採用の弊害、最悪の形で
同じ年の夏に幹部職員の息子が連続わいせつ事件を起こしたことは、すでに述べた。それから半年も経ないうちに“不肖の息子”がもう1人現われるとは、北海道警はいったいどういう組織なのか。かつてその組織の「裏金問題」を実名告発した元釧路方面本部長の原田宏二さん(82)は、当時の取材にこう答えている。
「職員を採用するときに最も神経を使うのが、警察官としてふさわしい人物かどうかの見極めです。暴力団などとのつきあいはないか、犯罪を起こしそうな資質はないか、左翼的な思想を持っていないか…。これらを、警備・公安も使って徹底的に調べる。親が警察官だとそれがほとんど必要なくなるので、人事担当としては安心なんですよ」
これを聴く限り、警察では自ずと二世の採用が多くなりがちであることが予想される。原田さんは「幹部枠の拡大による資質の低下」なども指摘し「個々の不祥事を個人の問題として片づけず、縁故採用が孕む問題と真剣に向き合うべき」と警鐘を鳴らしていた。
それにしても、保釈された息子の身柄を預かっておきながら同じ屋根の下で薬物の再犯を見逃がすとは、もはや「資質」どころの問題ではない。
巡査部長再逮捕後の12月から翌19年1月にかけ、何度かそのマンションを訪ねた。元警察官たる父親とは2度ほど接触できたが、事件に関して意味のある話は聞けていない。最後に追い出された際、金属のドアに指を挟まれかけ、慌てて手を引っ込めた。そのドアの真ん中にぶら下がっていたのは、しめ飾り。いや、たしかに今は正月だけど、今年はそれどころではないんじゃないのか…。
父親と同期の元警察官5人ほどをそれぞれの自宅に訪ねると、親子2代で同じ職に就いていた事実を知る同僚は一人もいなかった。息子がいることさえ知らなかったという人もいた。息子の元同僚もまた、事件後初めて父親が警察官だったことを知ったという。
悪びれず「おれはサツだぞ」
かの二世の共犯者を目のあたりにしたのは、最後に彼の実家を訪ねた1週間後、松の内も明けない1月9日のこと。札幌地方裁判所の証言台で、その小柄な女性(当時23)は不自然に歯切れのよい口調で人定質問に答え続けた。
少し泣き顔の童顔。薄紫のジャージ上下に身を包み、一部が茶に染まった髪を束ねて背に垂らしている。住所を問われ「不定です!」と即答した彼女は、続く職業確認の問いにひときわ大きく「風俗店従業員をやっておりました!」と答えた。裁判官が「現在は」と問い直すと、きっぱり「無職です!」。この前年に弁護士登録したばかりの若い女性弁護士が、なんとも言えない表情でその様子を見守る。
検察官質問では、共犯の巡査部長との関係が語られた。否、正しくは「元巡査部長」。この時点で彼はすでに懲戒免職となっている。
検察官「彼とはどこで知り合ったんですか」
被告女性「ネットの『裏2ちゃんねる』という掲示板です!」
検察官「どれぐらいの頻度で会っていたの」
被告女性「ほぼ毎日のように会ってました!」
検察官「そのたびに薬を」
被告女性「3日に1回とか2日に1回とかのペースでした!」
検察官「使う量は」
被告女性「0.02gから0.04gぐらいです!」
薬物は元巡査部長が手配し、その代金をもっぱら女性が支払っていたという。逮捕当日は、元巡査部長が覚醒剤入りのレターパックを郵便局留めで受け取り、事後に合流してホテルに泊まる約束だった。逢瀬は叶わず、1人は郵便局の前で、もう1人は少し離れた駅の構内で、ほぼときを同じくして警察に身柄を拘束されている。
坂田正史裁判官の質問では、多くの傍聴人の記憶に残ることになるやり取りがあった。
裁判官「警察官と2人で覚醒剤を続けることに、躊躇や後ろめたさみたいなものは」
被告女性「はい。後ろめたさは、とてもありました!」
裁判官「彼のほうは」
被告女性「なさそうでした! 『おれと一緒にいたら捕まらない』と、私を安心させようとしていました!」
裁判官「なぜ捕まらないと」
被告女性「何度も『おれはサツだぞ』と。『サツだからこそ、調査が入ったらすぐわかる。だから安心しろ』って!」
面会でも天真爛漫な彼女 「名前、記事に書いて」
歳の離れた刑事とともに薬物に浸っていた日々を、元風俗嬢は天真爛漫な語り口で振り返る。その姿は、小学校のホームルームで発表に立つ学級委員長のようだ。
初公判の翌日、その人が勾留されている女性専用の拘置施設を訪ねた。面会を申し込めば、意外とあっさり会えるのではないか――。予感は的中し、彼女は見知らぬライターの訪問を屈託なく受け入れた。透明な遮蔽版の奥、小窓のついたドアを開けるなり「おはようございます!」の挨拶。少し気圧されながら用件を告げると、まっすぐこちらを見て言った。
「名前、記事に書いてください!」虚を突かれた、とはこのことだ。
眼の前でにこにこ笑うその人は、まだ23歳。実刑判決を受けたとしても、遠からず社会復帰してどこかで生活していかなければならない。実名報道はその際、大きな妨げとなる可能性がある。
名前の公表は、控えたほうがよい。その考えを伝えると、いかにも残念そうな声が返ってくるのだった。
「そうですかあ…。あ、本名が無理なら※※でも! それか、**はどうですか! 私、自分の仕事に誇りを持っているので!」
訊けば、※※は逮捕前に勤務していたススキノの性風俗店での源氏名、**は一度だけ主役を張ったアダルトDVDでの芸名だという。
「検索してみてください、すぐわかります! あ、でも彼は嫌がるんですよねー、AVとかソープの話。会ったときから、なんかお父さんみたいな感じの人で…。裁判では『もう会わない』って言ったけど、また会いたいです!」
おいおい。まったく反省してないぞ。「また会ったら、また薬やっちゃうでしょう」と諌めると「ですよねー!」と飽くまで屈託がない。
「キメた状態でエッチするのがいいんですよ! あの人の奥さんと子供が留守のとき、自宅に呼ばれてやっちゃったこともありますよ!」
立ち会う女性刑務官の無表情には、感心するばかり。こちらは終始クラクラしっ放しだ。瞬く間に規定の30分間が過ぎ、席を立つ間際に彼女は言った。
「また来てください! なんでも話します! …できれば名前、発表してください」
それから彼女の刑が確定するまで、さらに8回の面会を重ねた。ぎこちない筆跡の書簡も、計4通届いた。
その声と筆とを借り、再現してみたい。刑事と風俗嬢との逢瀬の日々を。
元巡査部長は「お父さんのような存在」だった
当人は「早くススキノに戻りたかった」と言う。
AV撮影で東京を訪れたときに覚醒剤を知った風俗嬢は、最初の薬物使用で執行猶予判決を受け、札幌に戻って依存症回復施設に入所した。禁欲的な生活は長く続かず、わずか1カ月で施設を脱走、古巣のススキノで再び性風俗店に職を得て、その3日後に覚醒剤使用を再開するに到る。インターネットの掲示板で売買の情報を集め、海外サーバーを経由したメールサービスで売り手と連絡をとりさえすれば、薬は簡単に入手できた。
その1年ほど前から薬物依存となっていた刑事は、自身で覚醒剤を使うのみならず「余った物」をネット販売していた。常習者が知る隠語をまじえて「札幌アイス」「武器なし特価」「街中来れる方」などと記した書き込みが、ススキノ復帰直後の風俗嬢の眼に止まる。
まだ見知らぬ同士だった2人は、札幌中心部の大通公園での待ち合わせを約束した。大手企業が入居するビルの陰で初めて顔を合わせ、小さなビニール袋と現金を交換。刑事は1万円紙幣を受け取り、風俗嬢に0.4gの白い粉を手渡した。一昨年の7月12日、午前9時ごろ。空は雲に覆われていたが、湿気がなく夏らしい陽気だったという。
二回りも歳下の風俗嬢に、刑事は「かわいいね」と声をかけた。また会おうと持ちかけたのも、彼のほうだ。初対面の翌日、ススキノ西部の大きなラブホテルに投宿した。大量の薬を持ち込み、丸一日以上の滞在。刑事は一度にだいたい5目盛り(0.05g)、依存度の強い風俗嬢は致死量に近い20目盛りほどを「キメた」という。ホテル代は風俗嬢が負担し、以後もそれが2人のルールとなった。筆者に宛てた手紙で、彼女は刑事を「SEXが大好き」と評している。
《ある時、私に「オレは刑事」って身分を明かしてきました(8月中旬)。その後ペペサーレ(編集部注・イタリアンレストラン)で2人で食事をしましたが、照れくさくて、顔を合わすこともできない位で、そのあとも、ホテルにとまり、SEX時に「刑事さんとのHはどぉ?」って言って、私をイジメてきました。幸せでした(照)》(2019年1月25日消印)
《本モノの「手じょう」を使ったりして、はげしくSEXしました。覚せい剤は何度も打ちました》(同上)
回復施設を出てから札幌の友人宅に身を寄せていた風俗嬢は、ほどなくススキノ周辺のホテルを転々とする暮らしを始める。自ら「ナンバーワン」と称するだけあり、勤務先のソープランドではかなりの稼ぎを得ていたようだ。少なくとも、毎日のように覚醒剤を入手し、ホテルを泊まり歩くことができる程度には。
別の日に届いた手紙には、こんなくだりがある。
《私のツラかった過去を告げた時、すごく共感してくれて、そして抱いてくれ、一緒に泣いてくれたこと。これは1番うれしかったんです》(2019年1月26日消印)
筆の主いわく、刑事は「お父さんのような存在」だった。
風俗嬢には実の両親がおり、きょうだいもいる。だが生まれ育った人口1万人ほどの町に今も暮らす“元彼”に言わせると、父母の愛情はもっぱら歳の近い兄のみに注がれ、彼女は幼いころから強い疎外感を抱えていたようだ。15歳で援助交際を始め、18歳で風俗業に飛び込み、以後は文字通り身体ひとつで生きてきた。職場で孤立し、おそらくは家庭にも居場所がなかった刑事は、ひたむきな風俗嬢に自分と同じ匂いを嗅ぎとったのかもしれない。
背徳の日々は、3カ月間ほど続いた。
一蓮托生、堕ち続けた短い夏
「覚醒剤は、眼鏡ケースに入れて車の中に置いてました! 駐車場に車を入れて、その場でキメることもありました!」
拘置施設の面会室に響く、無邪気な声。刑事との思い出を語る彼女は、常に嬉しそうだ。
ホテル暮らしが2カ月を超えるころには、風俗嬢ほどではないにせよ刑事の依存症も加速、自暴自棄になりがちな時間が増えたという。張り込み中の捜査車両に彼女を同乗させたり、守秘義務を侵していくつもの事件情報を漏らしたり…。危険ドラッグ事件の取り調べ中にスマートフォンで容疑者を撮影し、その写真を彼女に送信したこともあったという。
逢瀬も大胆さを増し、泊まりがけで登別温泉を訪ねた夜には柔道の絞め技を行為に採り入れた。刑事はそのころから出勤が遅れがちになり、3度目の遅刻で上司に叱責された電話の後、「おれ、刑事を下りる」と漏らした。その思いは、結果として懲戒免職という形で実現することになるわけだが。
出会いから3カ月が経とうとしていた10月8日、2人は札幌市手稲区の量販店駐車場で「最後の薬」を入手、ススキノのホテルでそれを使用しながら情事に耽った。一夜明けた9日午前にはそれぞれの職場へ出勤、夜になってから市内の公園で落ち合ったものの、些細な口論が思いのほか熱を帯びて喧嘩別れとなり、別々の夜を過ごすことに。そして、それが最後のやりとりとなった。
あくる日の夕方、再び顔を合わせることなく身柄を拘束されたのは、すでに述べた通り。冬の足音が近づいていた札幌で、スキーが得意な刑事とともに雪山を訪ねたかったという風俗嬢の願いは、ついに叶っていない。
饒舌な彼女とは対照的に、刑事のほうは言葉少なだ。複数回の面会申し込みには黙殺をもって応え、弁護人を通じた取材依頼にも拒否回答。被告人として沙汰に臨んだ法廷では、表情を欠いた顔で気怠そうに振る舞い続けた。
なるほど、「お父さん」か。肩幅の広い長身。厚めのフリースの上からでも、筋肉の質感がよく想像できる。短い黒髪は、頭頂部が少し薄くなっていた。「警察官の立場で彼女に薬を勧めるとは無茶苦茶な」と検事に指摘された彼は、心持ち憤然として「そのときは彼女を助けてあげるつもりだった」と言い返している。
硬い声音が一瞬だけ歪んだのは、自身の薬漬けの日々を振り返ったときだ。
「救われたくて…、自分の背中を押すのが、自分しかいなくて…、歯止めが利かず、誰かに助けて欲しくて…」
2019年1月、元風俗嬢は懲役1年8カ月の実刑判決を、2月には元刑事が同じく2年6カ月の実刑判決を受けた(ともに一定期間服役後の一部執行猶予つき)。
無口な元刑事の現在の収監先は、わかっていない。元風俗嬢のほうは刑確定後、北海道外の刑務所へ移送されたことが確認できている。判決では元刑事よりも刑期が短かったが、執行猶予中の再犯だったため前刑ぶんを加えて2年9カ月間の拘束に。出所後は再び依存症回復施設に身を寄せるよう弁護人に諭されていたが、実際にそうするかどうかは定かでない。
判決後に届いた手紙には「本音を書きました」と綴られている。
《風俗業界は、本音を言うと、やめたくありません。ダルクにも、内心、行きたくありません》(2019年2月2日消印)
なぜか元刑事が登場しない最後の手紙。その不自然さが、断ち難い繋がりをむしろ雄弁に語っているようだ。地上にはいろいろな形の幸福がある。その3カ月間、彼らはそれなりに幸福だったのだろう。それはまあ、それでいい。
久しぶりの電話で2人の事件を思い出させてくれた若手記者には、もう一度訊かれても同じように答えると思う。
「たぶん、またやるでしょう」