※この記事は2020年06月22日にBLOGOSで公開されたものです

年齢も性別も職業もバラバラな約75人が、“拡張家族”という概念をもとに共同生活している集団がある。

コミュニティの名前は「Cift」。

血の繋がりも戸籍も関係なく、住む場所や資金、子育てをともにして暮らす彼らは「普通の」家族観とは違う新しい家族観を持っているのではないか。そんな疑問をもとにメンバー5人にインタビューを申し込んだ。

「家族ってなんですか?」

※本記事では一般的に定義される家族を「実家族」、Ciftのコミュニティやメンバーを「拡張家族」として表記します。

0歳~60代まで約75人が2拠点で共同生活 「拡張家族」Ciftとは

2017年5月から始まった「意識でつながる拡張家族」をコンセプトとしたコミュニティ。「ともに働きともに暮らす」を合言葉に、家族とは何かを追求している。

スタート時は38人。現在は、東急電鉄などが開発した複合施設「渋谷キャスト」(東京都渋谷区)と松濤ハウス(同区)の2拠点で0歳~60代までの約75人のメンバーが共同生活などを送っている。

資金に関しては組合費としてメンバー自身が0円、3000円、1万円以上など自己申告制で支払い、会議を通して使用方法を決定している。

「家族」を定義した瞬間に分断が生まれてしまう

--Ciftでは「意識でつながる」として“拡張家族”という概念を唱えられていますが、どういった定義なのでしょうか。

石山:まず、「家族」を定義しないというのが基本的なスタンスです。

ミュージシャンや画家、お坊さんや政治家など多様な職種、価値観を持つ人が一堂に集まっているので、ひとつに定義するというのは非常に難しい。

定義した瞬間に分断が生まれてしまうので、「家族とはなにか」という対話を続けています。

「拡張」という言葉にはひとりひとりが「他人を自分ごと化」することで、世界平和を目指すという目的が込められています。

家族的な存在が広がれば、世界が平和になる。だから意図的に人数を増やすというのが拡張家族のコンセプトです。

血縁にこだわる必要あるの? 知らない大人が立ち代り訪れた子ども時代

--70人以上がひとつの家族として暮らすというのは非常に珍しい試みだと思います。どうして参加しようと思ったのですか?

石山:私がCiftに入った理由はふたつあります。

ひとつは生い立ち。12歳の時に両親が離婚しましたが、世界を旅した父の友人が日々家に立ち代わり訪れ、朝起きたら知らない人が寝ているという家庭で育ちました。

血の繋がらない大人たちに愛情を持って育てられた一方、学校では親の離婚が今ほどマジョリティじゃなかった時代でもありました。

そのギャップの中で、家族とはなにか、血縁にこだわる必要があるのかを考えながら生きてきました。だから、Ciftの「血の繋がらない家族」というコンセプトに共感し、参加しました。

もうひとつはCiftが掲げている「世界平和」という目標に、学生時代から持っていた自分の理念が合致したことです。

結婚して子どもがいるなかで「家族」を問う壮大な社会実験に関わりたい

神薗:Ciftのメンバーと渋谷区で子育て支援活動を一緒にやるなかで、「拡張家族」の考えに興味を持ちました。

私自身、結婚して実家族がいますが、それとは違う精神的な拠り所を形成するという壮大な社会実験に関わりたいなと。

丹羽:Ciftでは問題があった時に自分が変わることで解決していく「自己変容」を掲げています。それは自分がこれまでの人生や仕事の上で大切にしていたことで、このメンバーだったら分かち合えると思って参加を決めました。実際にはおっかなびっくりでしたが。

山倉:都会のクリエイターコミュニティと聞いてなんだかキラキラした自分と違う世界という印象でした。仕事でご一緒したことのある尊敬するメンバーの一人から誘われて、その違和感を含めて自分に必要な気がして直感で参加を決めました。

田浦:僕は昔から寂しがりで、「ただいま」が言えるというコンセプトのバーを、大分で5年ほど経営しています。そこから常連を超えて共に暮らすという試みなどを行っていました。そのとき、Ciftの発起人と出会い、話すなかで拡張家族こそ自分が求めていた家族のあり方なのだと思いました。

資金繰り問題で問われる「自分たちがどう生きていきたいのか」

--実家族であれば血縁や戸籍、夫婦、親子などさまざまな要素で定義されます。Ciftではそれら共通の概念がないなかでどうやってコミュニケーションをとりながら生活しているのでしょうか

丹羽: Ciftの拡張家族がどうともにあるかはまだまだ探求中です。人によっていろんなグラデーションがあるでしょうし、言うことにも違いがあります。

Cift開始から3年間、いろんな問題がありました。

松濤拠点に関して言えば、東急電鉄が大家である渋谷シフトとはちがって自主運営なので、通帳を気にしながら生活しないといけない。そこで自分たちがどう生きていきたいのか意見をぶつけて紛争状態になりながらも結束を強めることで「一族」になっている感覚はあります。

配偶者の死や親の介護… 友人や知人関係ではどこか他人事

山倉: 配偶者の死や親の介護、自身が病気になったなど実家族の中で当たり前に出てくる問題も、友人知人の関係のなかではどこか他人事です。

Ciftは参加時に面接があり、「メンバー=家族」という前提を受け入れた上で入るので自分ごととして捉えざるを得ません。

あげた例は実際に起きたことですが、それぞれが実家族ならどうするかと向き合い続けてきました。

--そういった問題が上がった時、Ciftメンバーの実家族も「拡張家族」と捉えるのでしょうか

山倉:新型コロナの影響を踏まえて、ガイドラインを作ろうという話が最近ありました。

そのなかで出てきたのが「家族の家族は家族」という言葉。もし拡張家族の実家族が新型コロナにかかっても、なにかあったときは自分ごととして捉えようと。

まるで修行 「家族」になるには努力がいる

--他人の問題を自分のこととして考えるというのは、実家族であっても大変なことだと思います。お話を聞く中で「家族」になろうとするのは努力を要するのかなと

丹羽:そう思います。

田浦:努力はめちゃくちゃいると思います。

山倉:修行みたいですね。問題の自分ごと化は正直、実家族だったら逃げられると思う。

石山:友人や恋愛関係であれば、共通体験を重ねていくごとにつながりが増えていきます。血縁関係に関しても、自分が生まれた場や時間を共有して関係が深くなっていきます。

しかし、Ciftの場合は最初から自分たちは繋がっているという関係性を約束した上で始まるので、最初の地点が他の人間関係とは異なります。

一方、私がいま感じている課題は、どれだけ長期スパンでお互いの人生を背負えるかということです。

世代的に30代が多いのでいまは自立していますが、自分が70歳になってリタイアした時にどれだけ他のメンバーを頼れるのだろうかと。

「家族」としてお互いをどう感じ、今後どう支えあっていくかという議論はまだまだ足りないのじゃないかなと思っています。

Ciftではどのように子育てをしているのか

--家族を考えるうえで「子育て」も重要なことがらの一つかと思います。Ciftではどのように子どもや教育と関わっていますか

石山:子育てに関しては拡張家族のなかで3年のうちに子どもが4人生まれ、出産に立ち会ったり、教育について考えたりということを通してうまく回っているような気がしています。

山倉:私はメンバーの出産に立ち会いました。Ciftは子どもがいない人も、社会全体による子どもという存在を強く再認識できる環境ですよね。

当初、娘は「全然理解できない」 いろんな大人がいることを徐々に理解

--地域やコミュニティで子どもを育てるというのは理想的な教育の形のひとつではないかと思いますが、実践してみてどのように感じていますか

山倉:私の娘は長期休暇のときだけCiftを訪れることがあるのですが、最初は全然理解ができないと話していました。

しかし、何回か過ごすことで、肉親以外にも何かあったら相談できる大人がこの世の中にたくさん存在するという感覚を持ったようです。

神薗:私は小学校2年生の娘と一緒にCiftを活用していますが、両親や先生以外にもいろんな大人が世の中にはいて、どのように日々暮らしているかを目にできるのはとてもいいことだと思っています。

Ciftのなかには10人ほどのメンバーを集めて、タイムスケジュールを組んで子育てを行うというやり方に挑戦している人もいます。

実家族や夫婦間でも1対1などの関係で助けを求め続けるとどうしてもお互いが辛くなってくる。拡張家族であればそういった悩みがだんだん手放されてくるのではないでしょうか。

お菓子ひとつにも親の考えや事情が メンバーはどこまで教育に関与する?

--子育てや教育には褒めたり叱ったりといったことが必要ですが、メンバーはどこまでそれぞれの親子に関わるのでしょうか

山倉:それに関してはすごく大変です。お菓子ひとつにしても親の考えや事情がありますから。

うちの子どもはアレルギーがあるので、下手なものを口にすると命に関わる。多くの人とコミュニケーションをとりながら子育てするのは簡単ではありませんが、そういうことから信頼関係とは何かを考えるきっかけをもらっています。

新型コロナの影響 「誰かが感染して命に関わるかも…」を実感できた

--新型コロナの影響による外出自粛では、家族を含む人々が分断されました。この状況下で共同生活を送るCiftのみなさんは「家族」をどう捉えましたか

石山:物理的に繋がれない状況で人間関係を見直したときに、Ciftのように利害関係で繋がっていない人間関係というのは特別だと感じました。ありのままの自分を受け入れ、肯定してくれる安心感がある。

おばあちゃんを思い出すような時と同じような感覚です。一緒にいなくても、おばあちゃんはきっと私のことを心配してくれているし、何かあったら自分ごととして喜んでくれるだろうなという感覚。それを感じられるメンバーがいるのはすごく豊かなことですね。

丹羽:リアルで会えないけれど気にかけてしまう自分に気づいたことで、初めてCiftを本当の家族だと感じたと口にするメンバーもいます。

山倉:誰かが新型コロナに感染して命に関わるかもしれない。実家族も含めてですが、そういう時にちゃんとお別れできるかどうかを考えるきっかけになりました。

拡張家族と実家族は同じもの?

--拡張家族と実家族はみなさんのなかでは同じものとして捉えられていますか

丹羽:違うんじゃないかしら。

私には愛知県に住んでいる母親がいます。介護や彼女が亡くなったあとの財産といった問題には当たり前に向き合うべきことだと思っています。

一方、私の中でCiftはそういうものとは関係なく大切にしあえるもの。フラットな土台があって、そこから協力関係などを積み上げている存在です。

山倉:私は全く逆です。実家族もCiftの家族と同じようにフラットに考えられたらいいのにと思っています。

個々が一緒にいることで繋がりや新しい関係が生まれてくるという感覚でいられたら、血の繋がりがあるという理由だけで特定の誰かが責任を負うようなこともなく、世の中がもっと平等で、個人個人でいられる世界ができるのじゃないでしょうか。

あなたにとって「家族」とは何ですか?

--いま「家族って何?」と質問されたら何と答えますか

山倉:難しいですね…。「一般的に見て」という意味ですか?

--家族と言われたらみなさんは何を思い浮かべるか。「家族になるには努力がいる」という意見がありましたが、「何を求めて努力をするのか」という質問にも代えられるかなと思います

神薗:私は参加した時から変わっていません。心身の安心安全の基地ということと、人生や日常的にやりたいことをお互い支え合ってより良い状態にしていくチームという想いは、実家族に対してもCiftの拡張家族に対しても持っています。

丹羽:実家族も拡張家族も人生をともにしていくことを約束しているチームなのかなと思います。

山倉:すごく熱い想いでいうと、物体という身体がこの世からなくなっても離れることのない関係性。客観的にいうとケーススタディーです。この先の未来になにかきっかけになるようなひとつの単位や考え方というような感覚です。

石山:普遍的で利害関係もないありのままの存在自体を受け止め、愛しいと肯定できることをお互いが認め合うものでしょうか。

自分が信じたい相手とそれに共感してくれる他者との感情の結束というものが家族というものなのかなと感じています。

いま出てきたなかで共通しているのは形という枠組みではないということですね。

世の中で家族に関する議論がされると、枠組みの話になりがちです。最初に述べた通りCiftでは定義をした瞬間に分断が生まれ排除される人がいるからこそ、家族というものを定義するのではなく、その問いを分かち合い対話をし続けるということを大事にしています。

--最後に「地域社会」や「サークル」などといった「集団」ではなく、みなさんがあえて「家族」という言葉を使用するのはなぜか教えて下さい。

石山:地域社会やサークルのような集団は利害関係や社会的な枠組みの境界線がある、つながりであるのに対して、私たちが実践する拡張家族のつながりは、第一に「愛」があり、利害や目的を超越した関係性であります。

ともに暮らす中で、家族間の相手に対する意識は「あなたもわたし」であり、そこに境界線はなくお互いが溶け合います。

そこには安心感があり共依存関係がある。それは、居場所がある家族的な関係と呼べると考えています。