※この記事は2020年03月31日にBLOGOSで公開されたものです

新型コロナウイルスによって、数ヶ月前には予想だにしなかった状況に置かれてしまった。現実ではないような現実。まるで映画のような世界。そこでいま、世界に何が起きているのか、自分はどこに置かれているのか、それらを俯瞰して、全体像を捉え、把握の一助として、浮き足立ち気味な足を地につける・・・ために、「映画のような現実を、映画で捉え直す」ことをしてみた。

振り返ると「ウイルス、感染、パンデミック」、そういうジャンルの映画をことごとく見逃してきていた。「映画とは人生の予行演習だ」という言葉がある。映画評論家の町山智浩氏が頻用しているのを水道橋博士が紹介していて目にした言葉だ。この言葉に照らすと、少なくとも自分はウイルス関連の予行演習がずいぶんとおろそかだったわけだ。

最近では、謎のウイルスによって超活発なゾンビが増殖する「新感染ファイナル・エクスプレス」(2017年)とかが大ハマりだったが、その手の非現実的な「ゾンビ系ウイルス」ではなく、基本的に感染した際にゾンビ化はしない、生死の問題にとどまる、現実方面のウイルスが登場する映画をセレクトして立て続けに観た。

立て続けに観たことでわかったのは、どの映画に登場するウイルスもそれぞれに始まりから終わりに至る基本プロセスがあるということ。これをシンプルに要約すれば――、

ウイルスの発生(と理由) → ヒト感染 → 感染拡大 → 医療崩壊 → 社会パニック → 治療法及びワクチン開発 → 終息

となる。この基本展開の中で描かれることは、すでに起きたことであったり、これから起きうることとして、地に足を付けるためのさまざまな参考となり、幾つもの予行演習になった。

ということで、「ウイルス、感染、パンデミック」を描いた映画を「人生の予行演習」の教材として捉え、未見の方が今後観賞する際には参考となるよう、「観るならこの順」的な順番をつけてみた。なのでこれは、映画のクオリティに順番をつけているわけではなく、あくまでどういう順番で観ると、より入ってきやすいか、というご参考であります。

『コンテイジョン』(2011年 スティーブン・ソダーバーグ監督)

いまこの映画を観る意義は大きいぞと、感じ入った。パンデミックを描いた映画の中では新しい作品であり、専門家の最新の監修が映画の隅々(脚本、セット、アイテム)に行き届いているのだろう。

自分自身、ウイルスにまつわる情報や知識ににわかな素人ながらも、登場するワードやビジュアルに近さを感じる。全編を通してリアルを積み重ねた世界を描こうという気概が伝わってきて、見えているようで見えきれてないパンデミック世界の全体像を見る思いだった。

ストーリー展開を支えるリアルが「怖さ」を醸す。劇中に手からのルートでウイルスが感染するというくだりから、「人は1日に顔を2千~3千回さわる」という台詞が登場してハッとさせられた。昨今まさしく感染症予防の対策として「手洗いをする」「むやみに顔をさわらない」という基本的なことを叩き込まれている最中だが、いやいや、いくら何でも1日に2千~3千回も顔をさわるか? それは盛ってるだろうよ、と、すかさず計算してみる。例えば、習慣的に1分間に2回ほど顔にさわるとして、2回×60分×18時間(起きている時間)→2160回・・・。

「R(=再生産数)」というワードの登場にもうなずく。ウイルスの増殖率に関した情報から最近にわか覚えしたのだが、それがこの映画内に登場し、やっぱり専門家が使うワードは全世界で共通なんだな、と。

新型コロナの影響で、アメリカ国内では2月下旬から銃の「弾薬」の売上が急増しているというニュースが聴こえてきたのは3月上旬だった。それを聞いて「アメリカ、そこまでする?」と対岸の出来事のような印象を抱いたりした。

しかし「コンテイジョン」で、人々が追い詰められて限界を超え、暴徒化して薬局やマーケットを襲ったり、治安が維持しきれず無秩序になり、悪が表面化して住宅街が荒らされる・・・という場面は大げさではなく、当然の推移として描かれていた。「安全」「防衛」が自己責任となるアメリカ的な状況に納得がいく。なるほど弾薬買い込むな、と。

「コンテイジョン」は、いま置かれている状況の答え合わせのような世界を見せてくれる。もしこの機会に観るならば、まずはこの作品だろう。

※「コンテイジョン」 Amazon Prime Video、Netflix、等で配信中

『感染列島』(2009年 瀬々敬久監督)

正体不明のウイルスが地方都市を発端に日本全土を襲う。感染患者の吐血ドバッと多めを始めとする見映えの誇張や、感染拡大が日本国内のみで国境を越えない(非現実的な)設定など素直に受け止めきれない処もある。また核心であるウイルスの名称が「ブレイム(BLAME)」 =「神の責め苦」「罰」という意味の言葉になる情緒感も、リアリズムからの距離を抱いてしまう。

・・・のだが、リアリズムに即して描く場面もしっかりとあって、一概に「あれはちょっと」と片付けるのは早計だ。むしろもったいない。究極の状況に置かれた男女や家族のウェットなヒューマニズムへの軸足、感染症拡大というドライなリアリズムへの軸足、両者の配分を飲み込んだうえで、描き出される「実」に視点を置けば、この時期に刻々と重く伝わる力がある。

主演は妻夫木聡で、役柄は救急救命医。ヒロインは檀れいで、役柄はWHOから派遣された感染症対策の専門家。映画前半で病院に患者が押し寄せ医療崩壊へと追い詰められていく場面、二人の間でこんな会話が交わされる――、

< 映画「感染列島」より >

妻夫木聡「小林先生、トリアージ(※)ですが何とかならないですか?自宅療養では済まない患者が多いんです」

檀れい「全員の入院は無理よ。そんなことをすればこの病院のキャパシティーを一気に超える。まともな治療もできなくなるのよ」

妻夫木「だったらせめてタミフルを患者全員に投与してください。患者の中で優先順位がひかれて いるのが問題になっているんです」

壇「足りないのよすべてが!医薬品を運ぶ運転手までが感染してるのよ!まずは、感染した医師と 社会機能維持者を優先する。それに君は大事なことを見落としてるわ」

妻夫木「どういうことだ」

壇「わからない? もっと現実を見てよ」

医療者として患者ファーストに立とうとする妻夫木と、感染症対策のプロとして全体をコントロールしようとする壇の立場を描き分けた場面だ。

(※ちなみに「トリアージ」という聞き慣れない言葉は調べてみると「患者の重症度に基づいて、治療の優先度を決定して選別を行うこと」とあった。)

映画中盤になると医療現場はさらに過酷さを増し、人工呼吸器の数に限りが生じる。ここで医療者が患者の命に具体的に優先順位をつけなければならない場面が訪れる。子どもにつけている人工呼吸器を別の患者に付け替えるという医師から指示を看護師が拒む。「できません、呼吸器を外せばすぐに死んでしまいます」と。公開当時は映画の中の非現実だった場面。それがいまはスペインやイタリアで現実の医療現場として現れていると伝わってくる。

「感染列島」はリアリズムと非リアリズムが混沌と併存しているが、その区分を現実世界が刻々と更新している。それを意識したうえで観ることを薦めたい。

※「感染列島」 Amazon Prime Video等で配信中

『アウトブレイク』(1995年 ウォルフガング・ペーターゼン監督)

アフリカ・ザイールから持ち込まれたウイルスがアメリカの小さな町に蔓延する。そのウイルスの裏には米軍による細菌兵器開発が隠されていたという、バイオハザード・エンターテインメント。

ウイルスがいかにして拡散していくか、「密輸ザル→若者→ペットショップ店長→血液検査技師→映画館→町中→医師・・・」という感染プロセスの描写が克明で、そこに恐怖が粟立つ。

また、パンデミックを封じるために、ひとつの町(2千人規模)を封鎖するために動く圧倒的な物量(歩兵部隊、軍車両、軍用ヘリ)や、ウイルスを殲滅するために発令される作戦の容赦無さなど、非常時における米軍のマッチョさからも、別種の恐ろしさが伝わってくる。

主演はダスティン・ホフマン。ウイルスの宿主を突き止めるため、上司の命令に逆らい、圧倒的な行動力を発揮し、映画後半は空へ海へテレビ局へ、さらには宿主捕獲へと、かなりの短時間に縦横無尽に飛び回る。「24」のジャックバウアー的活躍で全体OKなエンディングにもなるので、あまり気詰まりせずに観られる一作だ。

※「アウトブレイク」 Amazon Prime Videoのレンタル配信あり

< 番外 >

『復活の日』(1980年 深作欣二監督)

懐かしい映画だ。公開当時、角川映画ならではのCMキャンペーンで、夕陽をバックにボロボロの姿で歩く草刈正雄のシルエットや、メインテーマのメロディを刷り込まれたっけ。その後、テレビ放映になったのをざっくりと見た程度で、かろうじて記憶に残っているシーンは、終盤で孤独な放浪を続ける草刈正雄が波打ち際でマグロ的な魚を棒で必死に引っぱたいて魚をつかまえる、そのシーンだけだった。魚叩いてつかまえたぞ、と。

今回観なおして感じたのは、ロケ撮影の凄さ。南極の画が凄い。撮影は木村大作。物語のメイン舞台は南極で、当初は予算の都合で北海道ロケで済ませる案もあったらしいが、妥協せずに南極ロケを敢行。それが大赤字の要因だったとか。

また、チリ海軍の協力で実物の潜水艦を登場させ、迫力の浮沈を実写で捉えている。ウイルス蔓延によって巻き起こる各国の暴動シーンも強烈すぎる。阿鼻叫喚。監督は深作欣二。納得だ。CGの無い時代に角川映画が実現した、当時の映画人たちの尋常ならざる気概にしびれた。

さておき、「復活の日」は人類が作った細菌兵器ウイルスで南極以外の全人類が滅亡、その数年後、地震が引き鉄でアメリカの核ミサイルが全世界に発射されもう一度世界が破滅、という壮大すぎる終末世界のサバイバルを描く。展開の過激さはあるが、「ウイルスの拡散→感染症拡大→医療崩壊→社会秩序崩壊→封じ込め」というウイルス映画の基本軸は貫かれている。懐かしさを感じる世代には別枠で薦めたい。

※「復活の日」 Amazon Prime Video、等で配信中

「映画は人生の予行演習である」という言葉に立ち戻る。映画を通して人生で起こりうるかもしれない世界にふれる――、その疑似体験から、現実と、まだ見ぬ現実への、耐性とか免疫が少しでも生じたなら意義のある時間になる。もし、気持ちや時間に余裕があるなら、各作品をいまこの時期に。