生まれつき耳が聞こえない31歳のワーママが有名企業を辞めて目指す難聴児の学習支援 - 石川奈津美
※この記事は2020年03月18日にBLOGOSで公開されたものです
難聴児のうち92%は「聞こえる親」から生まれる――。
生まれつき聴覚障がいを持つ子どもは1000人に1~2人の割合で誕生するといわれています。一方、遺伝によるものは少なく両親が難聴ではないケースは9割以上にのぼります。以前は2歳ごろになるまで気づかないことも多かったそうですが、現在は新生児スクリーニングによって生後3日で判明することも。医師から突然我が子の障がいを告げられ戸惑う両親が多いのも現実です。
そんな難聴児や親の教育支援に取り組む女性がいます。株式会社「デフサポ」(東京都)の代表・牧野友香子さん(31)です。自身も生まれつきほとんど耳が聞こえず、また現在は難病で片耳難聴の娘を育てる母親でもあります。今月には、小学生向けの教材開発に向けたクラウドファンディングもスタートしました。活動に向けた思いを牧野さんに聞きました。
幼稚園から大学まで、聞こえる人だけの一般校で過ごす
牧野さんは大阪府出身。2歳のときに先天性の重度聴覚障がいが発覚しました。今でもほとんど耳が聞こえず、補聴器をつけても人の声は聞こえません。
一方、母親のサポートや口語での言語訓練を受けたこともあり、幼稚園から高校までろう学校といった特別支援学校ではなく地元の公立校に通いました。
大学受験でも難関国立大学である神戸大学に現役合格。就職活動の際もリーマンショックの余波で厳しい採用が続く最中、大手電機メーカーのソニーに一般採用枠で内定し、2011年に入社後は人事部門で研修などを担当していました。
「幼稚園から大学まで、そして会社に就職した後も、健聴者だけの中に交ざって生活をしていたこともあり、必然的にコミュニケーションのコツを学んでいきました。もちろん聞こえないことで苦労したことは数え切れないほどありますが、事前の対処もできるようになり、日々楽しく過ごしてきました」と牧野さんは話します。
耳が聞こえない中での育児、娘の難病が発覚
しかし、25歳のときに改めて難聴に対する課題を感じるきっかけが訪れます。それは、2014年に長女を出産したことでした。
長女が50万人に1人が発症する骨の難病を持っていることがわかったのです。そして、片耳の聴覚に障がいがあることも判明しました。
「生まれたばかりの娘の泣き声に気づくことができないので、夫が家にいないときは一睡もできませんでした。ただでさえ耳が聞こえない中での育児は大変なのに、なんで障がいがある子どもが生まれたんだろう…と絶望し、初めのころは毎日泣き続けていました。それでも我が子は一日一日どんどん大きくなっていく。この子の将来のためにもできることをやろうと思うようになりました」
何かできないかと模索し始めた牧野さん。情報を集めたり実際に行政に話を聞きにいったりするうちに、教育の選択肢が限られていることや、育児に関する情報が少ないことに気が付きました。「難聴の当事者として、そして障がいを持つ子どもの親として自分の経験や知識が役に立つのかもしれない」。牧野さんはブログで発信をすることにしました。
発信を始めてほどなく、難聴児の親から「経験談を知ることができて参考になった」「子どもが何に困るのかが具体的にわかった」と連絡がきたり、また「不安で先が見えない」と子育てに関する相談が寄せられたりするようになりました。2016年に東京と大阪の2ヶ所で対面のワークショップを行ったところ、ブログだけでの告知にも関わらず約40人が参加。悩む親たちの姿を目の当たりにしました。
「特に、病院等の医療機関では人工内耳の手術など「聴覚」を活用する方法が中心になり、学校や療育などの公的機関では、手話を中心とした「視覚」を活用する方法が中心です。
同じ悩みに対してもそれぞれの機関から受けるアドバイスが全く異なることもあります。どうしたらいいのかわからず右往左往してしまっている親御さんがたくさんいることがわかりました」
活動当初は仕事の傍ら、就業後や休日の時間を使い相談を受けていましたが、その件数も徐々に増加。次女を2016年に出産したこともあり、仕事と2人の子どもの育児、そしてデフサポと3つの活動を同時に続けることには難しさがありました。
「入社後、2回産休・育休を取り、ようやく仕事に集中して取り組めるタイミングでした。でも、これまで相談に乗ってきている方たちに対して、中途半端なことをしたくない。最後までかなり悩みましたが、退職することに決めました」
2018年3月、7年間勤めたソニーを退社し、デフサポの事業に専念することにしました。
小学校入学でつまずくことが多い難聴児
デフサポは難聴児やその親を対象に、ことばに関する教材の提供や子育てカウンセリングなどを行っています。
通信教育で提供する教材は1~6歳の乳児・幼児期向け。言語聴覚士や特別支援学校の元教員、また難聴児の子育てを経験した親などの協力を得ながら独自に開発しました。月齢ではなく子ども一人ひとりの言語レベルに合わせたセミオーダーメイドの教材を提供するほか、適時個別カウンセリングを実施し言語取得のサポートを行っています。
牧野さんは「難聴の子どもは小学生になり、初めて様々な言葉が抜け落ちていることに気づくことが多い」と話します。
「たとえば『コップ』といっても、『湯呑み』や『グラス』、『コーヒーカップ』など様々な言い方があります。こうした言葉は、通常、耳で聞いて覚えていくんですね。ただ、家の中での会話では『コップ取ってきて』などと言うことが多いので、親はそうした言葉が我が子から抜け落ちていることに気づかないんです。
幼稚園や保育園では会話もそこまで難しくないので『少し言葉が出てくるのが遅いかな』と周囲が思う程度で過ごせてしまいますが、小学校に入学した途端、会話と違い一方的に授業を受ける機会が増えます。そうすると、『授業で知らない言葉が多すぎて付いていけない』とつまずいてしまうケースがとても多いのです」
難聴という障がいは周囲にわかりづらくなってきている
近年では、人工内耳など医療技術の発達などにより、牧野さんのように重度難聴の子どもも地元の公立小学校や中学校に進学することが多くなっているそうです。一方、牧野さんは「地方と都心部で、難聴児の教育体制に格差が広がってきています」と危惧しています。
たとえば、東京都ではろう学校が公立・私立合わせて5校あり、「ことばの教室」(通級指導教室)なども複数運営されるなど支援体制が整っています。
しかし、ろう学校が未設置の都道府県は国内で3県、設置1校にとどまるのは36県にのぼっています。
「たとえろう学校はあっても同級生がいなかったり、自宅から遠方のため小学校1年生から寮生活を余儀なくされたりするケースもあります。こうした教育環境からも地域の学校への進学を希望する親が増えていますが、そうした場合は、ことばのホームトレーニングもより重要になってきます」
全国的に少子化が進む中、各地でのろう学校の統廃合など、難聴児が受けられるサポートの選択肢もさらに限られてくることが懸念されています。
そんな中「住んでいる場所にかかわらず手厚いサポートが得られるようにしたい」と牧野さんは聴覚障がいを持つ小学生とその親を対象にした教材の開発を行うことを決意。今月には初のクラウドファンディングに挑戦し、開発費用への支援を募ることにしました。
募集開始から約10日であっという間に目標金額の100万円が集まり、現在は「ネクストゴール」として200万円の支援を募っています。
牧野さんは、「医療やテクノロジーの進歩もあり、難聴という障がいは一見すると周りの人にわかりづらくなっています」と話します。
「今の難聴児は、幼少期から歌を歌うことだって可能ですし、発音も以前に比べてずっと自然に話せるようになっています。そうした意味で、本人にとっても周囲にとっても『障がい』という感覚は薄れてきているのかもしれません。
ただ、一方で、ぱっと見ではわからない分『無視している』などと誤解を生みやすいのも確かです。そうした点では聴覚障がいについて社会に理解を進めることと同時に、聴覚障がいの当事者も周囲の人たちに自分のことをしっかりと伝えていく必要が今後もっと増えていくと思います。
そのためにも、健聴者も遠慮せず気軽に聴覚障がいについて聞くことができ、また当事者も自分が困っていることを臆することなく伝えることができるようなフラットな社会を作っていきたいです」