VERY1月号「“きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ”と将来息子が言わないために今からできること」を振り返る - 紫原 明子
※この記事は2019年01月29日にBLOGOSで公開されたものです
30~40代の既婚女性をメインターゲットとした雑誌『VERY』、2019年1月号には、こんなタイトルの企画ページが掲載されていました。
「“きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ”と将来息子が言わないために今からできること」
目の付け所といい切り口といい、さすが『VERY』と唸らされ、下記のようなツイートをしたんです。
VERY1月号より“「きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ」と将来息子がパートナーに言わないために今からできること”
- 紫原明子 (@akitect) 2018年12月8日
企画力ってこういうことだよなと唸らされれる今一番知りたい切り口。さすがVERYです!! pic.twitter.com/0cvoXDoYHX
すると、ツイート直後からものすごい勢いでリツイートされだし、2日ほどで1万リツイート、2万以上のお気に入りがつけられました。「『VERY』がこういう企画をやるとは思わなかった」というコメントも多くありましたが、『VERY』は実はそういうことをやる雑誌なんです。
何しろ、読み物ページの連載陣には小島慶子さんや武田砂鉄さん、宮台真司さんなんかもいらっしゃるくらいで社会派コンテンツが毎号欠かさず掲載されています。私も過去に何度か取材していただいたのですが、そのうち一度は“家に帰りたくないと訴える帰宅困難症の夫”に関する有識者としての登場でした。何分、知見を持っておりますんで。
「妻が家事をしなくなる」は結婚の契約違反か
そんな『VERY』の企画「“きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ”~」は、既存のジェンダー観や家族観といったものが今まさに新しく生まれ変わろうとしている過渡期にあって、特に男児を育てる母親たちが日々抱えている漠然とした不安に対して、巧みにアプローチするものでした。私のツイートに対して、引用RTでさまざまなコメントが寄せられました。
“フルで働きだした頃、洗濯カゴに取り込んだ洗濯物を入れたままウトウトしてたら、「あーあ、ずっとこの中から着るものをさがす生活かー」と言われました。次の朝、洗濯カゴから洗濯物が全部出されているという地獄の朝を何度も経験しました。 なんだかドキドキしてまだ読めない。”
“いいと思う。息子を将来「差別主義者」「ミソジニスト」にしないためにどうするべきか。こういう企画は応援したい。素晴らしい!”
“待って。このセリフまさしく私が旦那と姑から言われてるやつやんー”
“なにこれ…。画像に書いてる言葉を夫に全部いわれたことある。 very買わなきゃ。 自分の子供にはこんな目に遭わないで欲しいな。”
“まさにこの通りのことを夫と息子に言われ、でも決意して仕事スタートした女性が職場にいるけど、仕事っぷり素晴らしい。夫と息子を連れてきて見せて「これだけやってる人に、家のことも全部やらせてるのどう思う?仕事とや勉強、あなたたちはここまでやってる?」と問いたい。”
“時代背景を考えると不満を持つ女性が多いの理解できるんだけど、モラハラするのが「息子」だけって、これはこれで一種の決めつけで多様性からは離れている様に思う。夫婦でよく話し合って納得して役割分担すれば良いだけなのにね。”
“この誌面のセリフ超ささる!優しそうに見せかけてうちの夫も過去には言っていたこれらのクサレ発言。アナタの給料だけでやってアナタが浮気をして仮に私が捨てられたとしたらスーパーハイリスクなその状況、私が読めてないとでも? 5年経ち、私の仕事が社会的に評価され始めると全く言わなくなった。”
“要するに妻たちは夫にそういうこと言われてるけど、夫は諦めてるから息子に期待かけるわけだよね。そもそもそんなクソ夫とは別れろよと思う。。。”
“母親に幼い時から『あなたの時代は共働きが普通になるし実家も頼れない場合も多いから家事はできるようにね』って教えられた.母親が楽しそうに家事をやってたので手伝ってたら覚えたし父親も協力的だったからね.あと僕が完璧な夫じゃないのに求めるなんてできる訳ないし.”
“何か現実味ないなー。 「働いてもいいよ」だなんて、そんな事言うなれば男、今時いる? 「働いて欲しい」ってタイプが圧倒的に多いと思うし、必要なのは 「稼ぎが少ない妻が家事担当」とか言わない事でしょ。 まあ、VERY妻の息子は高給取りが多いから妻を専業主婦に出来る余裕のある人が多いのかな?”
“これほんま、自分の親の世代くらいの話かと思っていたら、今の30~40代でも「外に出るなら家のこと完璧にやれ」等と夫に言われたという話を聞いたばかりで。 それでもなお、外に出て社会とつながりたいと頑張っている女性が身近にいて、ふぉぉー!となっていたところです。”
“うちは妊活の時点で共働き前提での話し合いだった。 ただ問題は旦那が残業気質寄りの職場のため私が保育園入れて復帰できても 日中はお世話してくれないだろうな…ってとこ。 働き方改革ww”
また、この企画に登場されている小説家の白岩玄さんからもこんなコメントがありました。
この企画、男の子を持つ父親の1人としてインタビューしていただいたのだけど、正解はわからない。ただ夫婦で協力するにしても、男性の側が「これは自分の問題だぞ」と多めに背負うくらいでもいいのではないかと思ってはいる。穿かされる下駄の厚さって、やっぱり同性の方がわかる部分もあるだろうし。 https://t.co/5BfCDZqEnS
- 白岩玄 (@gegenno_gen) 2018年12月8日
未だにこんなセリフを言う夫が実在するのか、といったコメントもありましたが、実際に言われているという妻からの声や、また反響の大きさそのものを鑑みても「家事をちゃんとやるなら働いてもいいよ」に代表される夫からのセリフは、少なくとも未だ、過去の遺物になりきったとは言えないのでしょう。
夫婦のどちらかが外でお金を稼いできて、どちらかは子育てや家事を担当する、いわば分業制も、夫婦が同意の上であれば選択の一つとしてあって良いと私は思うんです。実際、今の日本の社会には保育園さえ十分に用意されていないし、病児保育や医療的ケア児の託児所だって全然足りていません。
子どもを持ってから、夫婦どちらもキャリアを止めないでいることは、決して簡単なことではありません。そういう状況をふまえた上で分業制を選ぶ夫婦がいるのも、ある意味当然のことだろうとも思います。
ただ、その上で私は、考えておかねばならないことが2つあると思っています。一つは、稼ぎ手を担っていた方が何らかの事情で働けなくなったり、あるいは離婚するということになったときのリスクです。これはまさに私自身が陥った落とし穴で、高校を卒業してすぐに専業主婦になってしまったので学歴もキャリアもなく、これから子どもを抱えて生きていかなくてはならない、養育費はろくに払われるかわからないという状況に直面した際、すっかり途方に暮れてしまいました。
幸い、色々な幸運が重なって今のところはかろうじて仕事をさせてもらえたり、東京で暮らしたりできているけれど、そうでなければ子どもたちを転校させて、福岡の実家に住まわせてもらうしかないと思っていました。
そしてもう一つ、最初は分業制でいこうというお互いの同意があっても、時間が経つ中で、どちらかの気持ちが変化する可能性も当然あるということです。
「ちゃんと家事するなら働いてもいいよ」と夫が何の躊躇もなく言う。この背景には、もちろん無自覚に植え付けられてきた男女の役割意識もあるのでしょうが、もう少し自覚的なところでは恐らく“最初は専業主婦でいいって言ったじゃん”というような、契約違反を指摘したい気持ちが少なからず横たわっているのでしょう。
何しろ結婚って恋愛関係に契約を持ち込んだものなので、言った、言わないとか、話が違うとか、契約違反は夫・妻の双方にとって大問題です。しかし当然ながら、人の気持ちって変わります。にんげんだもの、です。家事を担うことになっていた方が、働かないでいることのリスクを痛感する日がくるかもしれません。
また稼ぎ手の方も、いつ仕事をやめたくなったり、転職したくなったり、働けなくなったりするか分かりません。そういうとき、契約違反だからと相手の主張に聞く耳を持たないのはあまりに思いやりがありません。ジェンダー意識とか家族観、夫婦観を考える前に、結婚を決めるほど大事な人の切実な気持ちには耳を傾けること、また相手の思いやりを利用しないことといった、本来あるべき人間関係を、忘れたくないものだと私は思います。
男女観は家庭だけで考えればいい問題ではない
ところで、色々なコメントの中でも、こちらのコメントには特に強く同意しました。
“「それは親だけの責任ではない」という結論であってほしい。”
子どもは年齢を重ねるうちに、学校やインターネットの中で、どんどん親の知らない自分だけの世界を広げていきます。先日、13歳の娘が「これ時代錯誤もいいとこじゃない?」と憤りながら、LINEのタイムラインでシェアされていたというポエムを見せてきたんですが、そこには「男は女を守るもの、女は子どもを守るもの」というようなフレーズを皮切りに、マッチョイズムが格好良いものとしてつらつらと並べられていました。
そして男の子も女の子も、それに「いいね!」を押したり、「感動した」「泣けた」とコメントしたり、コピーしてリポストしたりしているのです。
強くて頼りがいがある男の子が格好良く、女の子はそんな男の子に守られることで価値を認められる、というような男女観は、少なからず子どもたちの間に今もなおあって、であればこそ、家庭でどう教えられていようと、思春期の男の子たちが、モテるためにマッチョイズムを強めようと考えることも当然ありえるはず。そして実際にその施策が機能することも、十分にあり得るのです。
けれども“家事は女がするもの”とか“女が働いていいかどうかを決めるのは男”とかいうような意識とは、紛れもなくこういった関係性の延長線上にあるもので、つまるところ今回VERYが取り上げた問題は、決して男子を持つ親だけが考えればいいということでもなく、家庭だけで考えればいいということでもないのだろうと思うのです。