※この記事は2019年01月03日にBLOGOSで公開されたものです

平成という時代が間もなく終わりを遂げようとしている。

平成は、1989年から2019年までのわずか31年間に過ぎない。現代人の一生が約80年とすれば、平成という時代は人生の半分にも満たない短さだ。

この決して長いとは言えない平成は、人や社会にとって大きな変革が起きた時代でもある。

平成時代をふりかえると、

・公共交通機関などでのマナートラブル
・インターネットでの炎上
・SNSでの個人批判やバッシング
・企業内でのハラスメント

など、人間関係に関わるトラブルが増加した。

スマートフォンやインターネットなどの普及で、多くの人同士が繋がれる時代になったにも関わらずだ。

人や社会はインターネットという人と繋がるツールを手に入れた反面、日々の生活で一緒にいる人、SNSなどでよく話す人など、身近な人との繋がりの中で、お互いの考えや意識がわからなくなってしまったというケースも少なくない。

SNS疲れ、認められたい症候群など、承認欲求が満たされないことからのトラブルも増えた。

これまで、こうした人間同士の意見や考えのすれ違い、意思の疎通は、老害や世代間のギャップという形で片付けられてきた。はたして、それは正しいのだろうか?

平成という時代の中で、人はいつから他人をわからなくなったのだろうか。

それを紐解くのに、平成で著しく進歩し、社会に定着したガジェットがある。平成ガジェット史を振り返りつつ、人と社会を変えてきたキーワードを紐解いていこう。

平成元年~昭和を継承していた時代

1989年。パソコンは、現在の主流であるWindowsもまだ登場していない時代だ。デスクトップパソコンは、NECのPC-98が全盛で、シャープのX68000、富士通のFM TOWNSなどの国産パソコンが群雄割拠していた。

モバイルは、小型の携帯電話がようやく登場しはじめた時期。

DDIセルラー(現au)が「モトローラ・マイクロタック」を発売し、1991年にはNTTドコモが小型携帯電話機「mova(ムーバ)」のサービスを開始する。現在のスマートフォン時代の前身となる携帯電話の時代がスタートした。

ゲームに目をむけると、任天堂のゲームボーイが発売。1990年にはスーパーファミコンが登場する。また、メガドライブ、メガCD、PCエンジンなど小型ゲーム機が登場しはじめた頃でもある。

昭和という時代からのスタート

この時期は、まだ昭和という時代を色濃く反映している。

人と人が繋がりにくい、近隣同士のコミュニケーション社会という色合いを濃く引きずっていた。地域やモノなどに囲われた狭い社会では、リアルでの人同士の関わり合いも強く、人同士の意識は共有されていたともいえる。

反面、地域やモノなど、多くのタブーや制限に縛られていた時代ともいえるだろう。

そんな時代から脱却すべく、携帯電話や小型ゲーム機など、まだ非力ではあったが、狭い村社会から広い社会へと抜けだすムーブメントも台頭し始めていた。

1995年~昭和という時代の呪縛

パソコンにとって大きな変革が訪れたのが、この時期だ。Windows 95が登場したのである。

これまでの国産PC-98時代のCUI(character user interface)から、Windows 95のGUI(Graphical User Interface)への移行と共に、国内でも本格的なPC/AT時代の幕が開けた。

モバイルでは、1996年にPalmが小型情報端末のPalm Pilotを発売。現在のスマートフォンにも繋がるPDA(Personal Digital Assistant)時代の始まりである。

特にPalmは、山田達司氏のJ-OSによる日本語化で、国内でも多くのユーザーやコミュニティーが生まれた。こうしたPalmの登場にともない、マイクロソフトのPocket PC(Windows CE)、シャープのZaurus、Psion社のPsionなど、多彩なPDAがモバイル機器として登場した。

一方ゲームでは、セガからセガサターン、ソニー・コンピュータエンタテインメントからPlayStationが発売される。現在AR対応の位置情報スマートフォンゲームPokemon GOで人気が再燃しているポケットモンスター 赤・緑も1996年に発売されている。

WindowsやPDAなど、GUIの登場と、通信機能への対応は、誰でもガジェットが使える時代、誰でも通信やインターネットを利用できる社会へと大きく舵を切り始めたことを意味する。

当時のPDAは、本来PCコンパニオン的な機器。パソコンと連携し、予定表やToDo、連絡先、住所録、ファイルなどのデータを外出先でも利用できるようにするガジェットだった。

そしてウィルコム(現ソフトバンク)のAirH"や、NTTドコモの@FreeDなどのカード型通信機器の登場が、PDAを時代を飛び越えた存在に大きく進化させ、現在のスマートフォンのような通信と利用環境を具現化させた。

PDAには、多くのメーカーが参入し、さしずめモバイルガジェットのカンブリア紀とも言われるほどの多様性が華開いた。

現在の2つ折りの手帳型、ペンスタイル、タブレット、2in1ノートスタイルなども、この時期にすでに生まれている。

しかしこの時代には、通信できるPDAを活かせる、現在のスマートフォン向けインターネットサービスは登場していなかった。誰もが通信やインターネットを使える環境ではなかったのだ。

そしてPDAは、サービスなき早すぎたハードウェアとして、終焉をむかえることになる。

とはいえPDA時代に生み出されたガジェットのアイデアや思想は、モバイルガジェットのDNAとして、このあと登場するスマートフォンに少なからず受け継がれていく。

2005年~昭和と決別した時代

パソコンは2000年問題をクリアし、成熟期を迎える。動作やUIが安定し、本格的なマルチタスク環境への対応、インターネット利用の時代に入った。2007年頃には低価格なネットブックが大流行し、パソコンはデスクトップから本格的なノートPC時代への移行が始まった。

モバイルでは2007年にiPhoneが発売。続いてAndroidが登場し、スマートフォン時代が幕を開ける。

ゲームでは2005年に、マイクロソフトのXbox 360。2006年にPlayStation 3、任天堂のWiiと、通信を利用するゲームへの本格的な移行が進む。

ここが平成における、人と社会の認識の分岐点となる。

通信、インターネット環境が確立し、スマートフォンが登場しはじめたことで、パソコンやゲームも、インターネットの利用を前提とする時代への大きな変化が始まったからだ。

とはいえパソコンもゲーム機もまだスタンドアロン環境にオプションで通信を組み合わせた形態がほとんどだった。

こうした環境を大きく変えたのが、通信やインターネット利用が前提のスマートフォンの登場だ。

スマートフォンの登場は、Webサービスの確立、発展を促し、インターネット利用を社会の中心へと変えていった。ネット通販、ネットニュース、ネット広告の台頭は、社会の情報取得のリーダーシップを大きく変えることになる。

ネットワーク前提のガジェット、Webサービス前提の社会の幕開けである。

iPhoneは以前のPDAに比べ、指で操作できることで、誰もが気軽に使える印象を強くアピールすることに成功した。また標準で通信機能に対応しており、利用者に面倒な設定なしに、インターネットや通話ができることで、携帯電話の置きかえというポジションも手にいれた。

PDAを経験していたユーザーからは、新しくはないが、通信キャリアから販売されるスマートフォンの利便性はよく理解されていた。

2010年~昭和の亡霊を消せない時代

2010年台に入り、パソコンは長らく続いたスタンドアロン環境とようやく決別する。2012年、マイクロソフトがWindows 8を発表、2015年にはその後続としてWindow 10が登場した。

ここで本格的にネットIDが連結したOSへの転換が始まった。ノートPC全盛となり、タブレットPC、2in1タブレットまで登場し、パソコンも移動して使える、使う時代へと移行する。

モバイルは、iPhone、Androidが世界中で普及し、いつでも、どこでも、誰でもが、通信・インターネットを利用できる時代になり、世界中でスマートフォンは必要不可欠なツールとなる。

スマートフォンの利用は成人だけでなく、10代や小学生など若年層にも広がり、歩きスマホなどの依存性も社会問題化しはじめた。

ゲームは2012年にWii U、2013年にPlayStation 4、Xbox One。2017年にはNintendo Switchなど、インターネット、通信前提の環境が進み、ゲーム機以外にも、スマートフォンゲーム市場が大きく発展する。

通信分野では2011年にLINEがスタート。Twitter、Facebook、Instagramなどと共に、SNSがコミュニケーションの中心となる。

また、ネット通販、音楽や動画配信も定着し、外出先、移動中、在宅など、場所を選ばずにインターネットを介してのサービス利用が当たり前となる。

そんなインターネットやスマートフォンの普及が、ネット依存の人を増やす結果となった。パソコン、スマートフォン、ゲーム機など、日常で使うガジェットのネットワーク化により、SNSやネット通販も毎日利用されるようになっていく。

ネット通販の定着は、クレジットカード決済の普及にも貢献し、その後の電子決済の広がりにも影響を与えている。

人の知識や情報のよりどころ、買い物などの日常生活がインターネットに依存する時代となったのだ。

その一方で、消費の中心がインターネットへ移行していくことで、ネット詐欺やネット出会い系での売春など、インターネットを利用した犯罪も増加している。

また、ネットでの個人や企業のバッシング、炎上も活発化し、フェイクニュースなどでの情報誘導や、誤情報でだまされるケースも社会問題化した。

個人の認識、情報処理のギャップが格差とトラブルを生み出す時代

平成という時代は、昭和という時代から完全に卒業できなかった時代とも言える。

スマートフォンやノートPC、ネットゲーム機などの普及により、約30年という短い時間で、リアル中心の社会は急速にインターネット社会へと移行した。

このため、個人レベルで意識や認識に大きな格差、ズレが起きていることは間違いない。

昭和な旧意識であるスタンドアロン型は、繋がらない独立した機器が多く、基本ハード依存の単機能なため、機能別に多数の亜種が存在し、製品のバリエーションが多くなる。

平成の意識はネットワーク型で、インターネットですべてが繋がり、連動、連結して利用するため、基本ソフトにより機能を強化、変化させることができる。それゆえ同系のハードとなり、基本スタイルは同型でバリエーションは少ない。

前者は機器に依存し、モノにこだわるが、後者はネットに依存し、機能や使い勝手にこだわる傾向が強い。

これらは、昭和生まれが前者、平成生まれは後者とは、必ずしも固定されていない。育った環境、生活環境、個人の興味などによって、個々で異なる。

平成という時代は、インターネットをはじめ技術が進歩し、社会インフラも昭和とは比べものにならないほど整備されている。またガジェットの進歩により、日常より情報過多な生活を送っている。

こうした社会の変化、環境に追随、適応しきれない人は、年齢性別に限らず顕著になっており、環境適応の不揃いが、人間関係でのブレを生んでいる。

多様な認識のゆらぎとブレは、他人への理解の不確実性と意識の共有を妨げており、こうした影響は、個人、知識、企業、社会、国家をも浸食しているのかもしれない。

昭和というスタンドアロンな意識から平成というネットワークな意識に移行するには、平成という時代は短すぎたのだろう。

平成という時代にまかれたタネは次の時代に華開くことを期待する。

庄司恒雄