※この記事は2019年01月01日にBLOGOSで公開されたものです

現代でも富士山は日本最大のパワースポットですが、江戸末期には富士山信仰が大ブームとなって江戸八百八町にそれぞれ富士山ツアーを組む講『富士講』が組織されるくらい盛り上がったそうです。  

主に関東を中心としたムーブメントで、富士講のメンバーはお金を積み立てて、クジを引いて富士登山のメンバーを選びます。選ばれたひとは年に一度の富士山の山開きの日に合わせて白装束に身を包み、先達と呼ばれるリーダーの先導でテクテク歩いて富士山まで行って、心身ともに浄めて帰ってきたそうです。

その様子は落語『富士詣り』で語られ、葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景』の『諸人登山』にも描かれました。

でも当時の富士山は女人禁制の聖なる山でした。体力のない子供やお年寄りにあの登山はちょっと無理。そこで江戸時代の人は考えました。

地元に作ればいい。

そこで誕生したのがミニチュア富士=富士塚でした。

富士塚に込めた庶民の思い

富士山に見立てた築山を作り、山頂に富士山をご神体とする浅間神社の祠を置いて神様をお祀りします。富士登山と同じように欲や迷いを断ち切り、心が清らかになるよう、家族の健康と長寿を願いながらお参りすれば、富士山に登ったのと同じご利益が得られると信じられてきました。

また老若男女等しく富士登山できることがウケて、富士塚詣も大流行しました。富士塚詣も浮世絵になっていまして、有名なところは安藤広重の『目黒元不二』。今の代官山から中目黒にかけてのお山=目黒崖線の上に築かれた目黒富士に登ってお参りするひとびとが描かれています。

このミニチュア富士は、現在でも行くところに行けば残っていることをご存知でしょうか。多くは明治期以降の土地整理などで壊されてしまいましたが、神社やお寺の片隅に移築されて今でも大切にされているものや、神社そのものが富士塚という場合もあるんです。

去年もBLOGOSさんで富士塚を紹介しまして、去年は初詣のついでに、こんなんどうですか?というノリで文化財指定を受けている富士塚を中心にご紹介しましたが、今年はテーマを絞りました。

本家・富士山が拝める富士塚!

こちらで行かせていただきます。

江戸末期に富士塚があっちこっちに作られた頃、東京のゼロメートル地帯・下町からでも、江戸なら大抵のところから富士山を拝むことができたのだそうです。その証拠に、浮世絵にも富士山が描かれている!

富士塚に登って山頂の祠でお参りして、顔を上げるとはるか彼方に本家富士山。そんな格好だったようです。

今ではそんなことができる場所も少なくなりましたが、探せばあるんです。今日は富士塚もしくは富士塚のほど近くから本家富士山が見える、オススメの富士塚を2つご紹介します。

シン・ゴジラでもロケ地に「多摩川浅間神社」

まずは東急東横線・東急目黒線・東急多摩川線が乗り入れする多摩川駅下車、キョロキョロしながら歩いて5分のところにある多摩川浅間神社。

多摩川沿いに点在する古墳群のひとつといわれているお山そのものが境内で、その境内をまるごと富士塚とみなして『多摩川富士』ともいわれています。

急な坂道を登り、階段を上りきった先に浅間神社があって、こちらには子宝・子孫繁栄にご利益のあるコノハナサクヤヒメが祀られています。

また、都内唯一の浅間作りという拝殿・本殿をはじめ、境内のいたるところにコノハナサクヤヒメを象徴する桜の紋があしらわれていて、かなり華やいだ印象の神社です。

その境内には展望台が設けられていまして、こちらは国分寺崖線の終点、崖の終わりの部分になるので、かなり見晴らしがいいのです。目の前の多摩川の上流をのぞめば多摩川沿いの荏原台古墳群の列を眺められ、その手前には多摩川の鉄橋を渡る東急線がひっきりなしに行き交います。対岸にはセレブタウン・武蔵小杉が広がり、その先に富士山のシルエットを拝むことができます。 

日没時ともなると、多摩川をランニング・ウォーキング中のオトナ達から、富士山をバックに駆け抜ける列車を撮る撮り鉄さんにデート中のカップル、そして私のような単なる富士山好き。たくさんのひとが展望台を訪れ、景色にうっとりしていました。

かなりいいロケーションなので、近年では映像作品にもひっぱりだこです。映画『シン・ゴジラ』では自衛隊がゴジラを迎え撃つ前線基地として神社の境内が使われました。戦争つながりでいうと、鎌倉時代のファーストレディ北条政子もこの地から夫・源頼朝の戦勝祈願を行ったとの伝承も残っています。

富士山ファンのみならず歴史ファンから鉄道ファン、シン・ゴジラファンまで魅了する多摩川浅間神社=多摩川富士。来るひとを退屈させない懐の深さも魅力です。

本物の富士山も見られる「大泉富士」

そしてもうひとつは練馬区大泉町にある中里の富士塚。

駅からは遠いです。でも東武東上線成増駅・西武池袋線の保谷駅もしくは石神井公園駅・都営地下鉄大江戸線光が丘駅からそれぞれバスが出ていまして、白子川沿いの別荘橋というバス停までたどりついたら、こっちのもんです。5分とかかりません。古道の名残・庚申塔の分岐点を北に折れ、春にはかたくりの花が咲く清水山を右手に見ながら歩いていると、ほどなく道の左手に八坂神社が出てきます。

ひとのお宅の軒先を貫く参道を行き、鬱蒼とした森の中の入り口といった風情の鳥居の先の階段を上がると、境内があります。

江戸時代から『中里の天王様』と呼ばれて親しまれ、歴史を感じさせる渋~い佇まいの神社です。

その境内のお隣に富士浅間神社の鳥居があって、目の前にドーンとそびえる12メートル級の富士塚。地名から『中里の富士塚』と呼ばれたり、清瀬市の中里富士との混同をさけるために『大泉富士』とも呼ばれています。

10メートルを超えてくると木でも迫力がありますが、それが築山ともなると。こんなデカイのを、よく江戸時代に人力で作ったなと感動します。

そして本物の富士登山をする人が目にする烏帽子岩などをモチーフにした36点にもおよぶ石碑があり、1合目から頂きまで号名石を刻みながら九十九折の山道を登って山頂へ。山頂は少し平らで剣ヶ峰・駒ヶ岳の碑もあって芸が細かい。ミニチュアと軽んじることなどできない、練馬のひとびとの本意気の富士塚を是非ご堪能頂きたいです。

そして見晴らしはといいますと、ここは気がいいのか、よく木が育って八坂神社と大泉富士を取り囲む木々の背が高くって、富士塚から富士山を拝むのは木々の間から。チラッと、チラリズムがお好みなら大泉富士からでもいいですが、もうすこしじっくり見てみたい。

そこで練馬の人は考えました。

富士山の展望台を作ろう!

八坂神社の境内の西側に風の丘公園がありまして、そこのウッドデッキテラスの展望台からは富士山がスッキリ見えます。送電線が気になる方もいらっしゃるかもしれませんが、脳内で消してください。

夕刻ともなると照らし出される稜線の美しさに見物にくる地元の方々も散見されます。その中のお母さんが「1月の中旬くらいに、ダイヤモンド富士が見られるのよ」と教えてくれました。

夕日が富士山山頂にドンピシャで沈む、あのダイヤモンド富士です。取材時の冬至の頃はまだ富士山の左肩に沈んでいましたので、真ん中にくるまであとちょっと。

見る人をワクワクさせる富士山と、そのベストポジションを示す富士塚。ありがたいです。

春からご利益、授かっちゃってください!

多摩川富士
東京都大田区田園調布1-55-12 多摩川浅間神社

中里の富士塚
東京都練馬区大泉町1-44 八坂神社