「タバコと同じく将来絶滅する」 暴力団を見届けるライター鈴木智彦の覚悟 - BLOGOS編集部
※この記事は2018年12月14日にBLOGOSで公開されたものです
暴力団が魚介類の流通に深く関わっている実態を暴いた『サカナとヤクザ: 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)を著したフリーライターの鈴木智彦氏(以下、敬称略)は、20年以上にわたって暴力団など組織犯罪を専門に取材している。
入居者の7割が暴力団関係者という新宿・歌舞伎町のマンションや、大阪・飛田新地に仕事場を置くなど、常に現場の最前線に身を置きながら独自の取材網を築き、市民社会からは見えにくい裏社会の実像を伝えてきた。
なぜ身の危険を伴う“暴力団ライター”の道を選んだのか。反社会的組織の今を伝える意義は。そして、弱体化と言われる暴力団は今後、どのような道をたどるのか。インタビュー2回目は、尽きることのない疑問をぶつけた。【岸慶太】
アメリカで感じた「ガチの暴力ってどんなのだ」
鈴木の暴力団ライターとしての歩みは『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)に詳しい。仕事場として借りた歌舞伎町のマンションでは、上階から暴力団員が転落して鉄柵の棒に刺さって死亡する事故に遭遇したり、ドアを開けた直後に殴られる“警告めいた”事件に遭って大阪へ逃走したりするなど波乱の日常をつづった。ヤクザを扱う実話誌の編集部での勤務については、暴力団からのクレーム処理などに追われた日々を振り返っている。
――暴力との出会いはカメラマンとして生活したアメリカにあるとのこと。
ハタチから26、27歳までアメリカにいて、(小説家の)安部譲二さんの舎弟に出会って、ヤクザの世界を知りました。で、ギャングに襲われて、「あっ。こんなガチの暴力だったら、ちょっと取材したら面白いかな」みたいに思えて。
――普通は暴力を体験したからこそ、取材対象にしようという発想に至らないのでは。
俺は逆に、そう思ったんですよ。本当のガチの暴力なら、人間の根源の話だし、テーマになるって。成人式で「わー」って盛り上がって、3年ぐらいしたら、いいお父さんとお母さんになる不良には全然興味ないですよ(笑)。
情け容赦ない悪がいるなら、取材したいと思った。暴力団が情け容赦ない悪なのかなと思っていたけど、そうでもなくて。
――それまで暴力には興味がなかったのですか。
暴力団の映画もマンガも嫌い。いわゆるヤンキーマンガとか流行っていた世代ですけど、どこが面白いのって。
ヤクザを英雄として書きたくない
――著書での暴力団員とのやり取りは人間臭いものもあります。
暴力団を書くこと、時には暴力団の側に立って発言することの意味を常に自問自答していて、それなりの覚悟を持って触ろうよって思っています。「ヤクザの話は面白ければそれでいい」という時代ではない。
だから、自問自答もなく思考に強度がない人が暴力団を面白おかしく書くのはすごく反対です。それこそ、暴力団を書くことを1年に何百回、何千回、何万回と考えてきた。
国内最大の指定暴力団「六代目山口組」が分裂した余波で、2017年2月には京都の指定暴力団「会津小鉄会」も分裂。鈴木は一方の組織から写真撮影を許可されたが、記事や写真の扱いに注文があったため、「交換条件なら飲めない」として写真掲載を見送った。
――記事からは、暴力団を扱う書き手としての立ち位置に関する思慮が感じられます。
暴力団は本当に良くないものだから。けど、俺たちの体、心の中から出ているものだから、それは人間の一つのものとして直視しようと思っています。
でも、英雄のように書いたり、面白おかしいヤクザ物語にしたりしてはいけない。そういう時代ではない。
――子供のころは、やんちゃで悪いやつが女性にモテました。悪いものへの憧れのようなものを誰しも持っている気がします。
それは俺にもありました。だから、ヤクザをテーマにする際、はみ出し者の中に、社会とは一線を画したすごい人物がいるのではないか。一般社会のものとは違うすごい道徳があって、それが真理なのかもという幻想があったのです。
けど、そんなものはまるで無かった。本当に無かった。
憧れの声優からまさかのTwitterブロック
――暴力団を描くライターということで、暴力団寄りと世間に見られることもあるのでは。
漫画の『シティーハンター』が大好きなんです。Twitterを始めたんですけど、主人公の声優さんに俺ブロックされていて(笑)。大好きで大好きなシティーハンターの声優の人にブロックされて。
暴力団を話題にするからだろうと推測してます。彼に絡んだことないし、悪口を書いたこともないけど、暴力団に関する発言が気に入らないんでしょう。正直、すっごいショックですよ(笑)。だけど、仕方ないですよね。
暴力団を扱う実話誌もジャーナリズムの一つですよね。だから、ヤクザと接触するのは当然だし、直接話を聞くことも当然。
ヤクザを取材しているのがイコールヤクザではなく、出版であり、これはジャーナリズムの一つの亜流です。このことは古い人からはそんな問題にされなかったんですよ。
連日の「殺すぞ」 命の危険を感じさせられる日々
――実話誌時代は頻繁に電話の伝言メモで「殺すぞ」と来たと。命の危険を感じることは多かったですか?
いや、“命の危険を感じさせるようなこと”は言ってくるんです。でも、実際に殴られたのは何回かしかありません。
――「殺すぞ」と言われた日はカレンダーに印をつけているそうですが?
去年はつけていたんですけど、あれ見ると具合が悪くなって(笑)。
「いってもうたろか」の意味も最初は分からなくて。で、電話来て、「え、いってもうたろかって、何です?」って聞いたら、そしたら「殺・す・ゆう・こ・と・や・!」って怒鳴られて(笑)。そういう風に命の危険を感じることはいっぱいありましたね。
記事化の依頼は断る 金も絶対に受け取らないのがルール
――暴力団を取材する上で、どんなルールを課してますか?
一番多いのは恐喝する相手のことを記事に書いてくれって頼まれごとですね。実を言うと、ネタになるのとぎりぎりの時のこともあるんです。だけど、断る。当たり前ですけど。
――お金ももらわない。
それは当たり前なんだけど、うちらの業界は同業者が金をもらいすぎてる。30、40万円とか50万円とかキャッシュでポンともらったら、受け取ってしまうんですよ。誰も見てないって言われて。
鈴木は東日本大震災から4か月後の2011年7月、原発事故が起きた東京電力福島第一原発に作業員として潜入。カメラ付き腕時計や首から提げた袋に入れたカメラを使って原発構内を記録し続け、『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫) にまとめた。
――東日本大震災の4か月後には東京電力福島第一原発に潜入しています。どんな思いからですか?
新聞記者って普段、「事件起きないかな」って言ってますよね。そういう仕事ですから。だけど、あの震災を目の当たりにすると、違うんですよ。人が亡くなっているのを見て、津波に飲み込まれるのを見て、死体を生で見てしまったら。
けど、生業として事件を書きたいというのは自分の中にあるんです。大きな出来事ほど、一番前に行って見たいというのを本能で感じます。
ジャーナリズムは会社の支援無しではできなくなった
――フリーライターとメディアの記者は境遇も大きく異なります。
現状、会社のバックアップなしに、ジャーナリズムなんてできない時代ですよ。それこそ、シリアで捕まった安田純平がもし、戦場取材の準備を怠ったというなら、フリーの人間は誰もできないですよ。
安田純平はフリーでできる限界までやっていましたよ。お金に関しても、準備にしても。それで出来ないならもうダメです。フリーは誰が行っても文句言われる。
――自己責任の議論には何を感じていましたか。
「俺たち、そういうものじゃん」って。書き屋ってそういう人種だから。ジャーナリストも、フリーライターでもルポライターでも。どこまでも前に行きたい人種だから。もちろん自己責任は受け入れてて、だから死んでもかまわないと覚悟している。安田さんもそうだったはずです。けど、それとは別に、国が国民を助けるのは当たり前のことです。
どっちみち、何かあった時に一番危険な最前線まで行くのが仕事ですよ。俺も人の不幸を仕事にしているとか、そういう自問自答は何回も済ませてきた。実名報道へのリスクとメリットも何回も何回も、考えて考え抜いてきた。
「暴力団は楽しい仕事と書け」組員減る組織から依頼も
全国の暴力団構成員(準構成員を含む)の数は、2017年末時点で約3万4500人で、13年連続で減少。統計が残る1958年以降のピークだった約18万4100人(63年)の5分の1を下回る。「みかじめ料」など不当な金銭要求行為を禁じるなどした暴力団対策法や、全国で施行された暴力団排除条例の影響が大きい。
――構成員数の減少は、暴力団に魅力がなくなったからと考えてよいですか?
うま味がないんですよ。最近は暴力団から「お前らがさんざんうま味もないし、儲からないって書き過ぎるから人材が入ってこない。逆を書いてくれ」って言われて(笑)。
「もっと楽しい仕事で、お金もいっぱい儲かりますよって書いてくれないと、若い人が来ない」って(笑)。そう言う人はちゃんと儲かっている。
確かに全体的には儲かっていないし、役目と存在価値自体が古くなったんですよね。
――暴力団対策法や暴力団排除条例はかなり効果があった。
すごいありましたね。俺も何人もネタ元飛びましたよ(笑)。ネタ元が辞めすぎてノイローゼになりました(笑)。やっていけないんじゃないかって。こんな辞めちゃったら俺やばいなって。
暴排条例は人権に抵触しかねない
――大阪の指定暴力団二次団体の事務所内を定点観測したドキュメンタリー映画「ヤクザと憲法」(製作・東海テレビ放送)では暴力団が困窮している現状が浮かび上がりました。暴排条例は行き過ぎだという指摘もあります。
その辺は実はあいまいです。でも、適用次第では人権に抵触するということ、その可能性があるということをジャーナリズムは言わないといけない。
暴力団の利益になるので嫌でしょうけど、あの理念が人権というものを侵害する可能性が多々ある危険性は新聞が訴えるべきです。俺たちもやりますけど。
2012年1月には、田原総一朗氏や西部邁氏、宮崎学氏、佐高信氏ら様々な立場の文化人が、暴排条例の廃止と暴対法への反対を唱える声明を共同で発表した。暴排条例によって個人的な交際の範疇まで規制されることなどへの違和感を指摘。マスコミ出身の田原氏は、民放連が暴排条例に賛成したことを問題視し、「警察や検察に全面的に味方しているが、NOと言うべきなのがマスコミ。もっと強くなれ」と述べた。
――暴排条例への反対は、田原さんらが直後に発表したが、今はほとんど見られない。
ああいう動きは本当に必要。特定秘密保護法が成立したのだって、新聞がもっとちゃんとやっていればって思いもあります。あれは悔しかったですね。
いっそのこと、暴力団を違法にすべきだ
――暴排条例により生命保険や銀行口座を作れない現状は、普通の生活をするなと言っているに等しい。
暴力団だって生きる権利があるんでしょ?なのに、クレジットカードも銀行口座も作れないし、ローンは組めない。ならば、暴力団をもう違法にしたらいいって思うんですよ。それが一番早い。暴力団に入ったら違法だとしてしまう。
今のまま「暴力団は生きる権利と人権があります」って言いながら、あれもこれもできないという状況だからおかしな話になるわけです。
暴力団の社会復帰は「すっごく難しい」
――暴力団員の社会復帰は難しいテーマであり続けています。
すっごく難しいですね。今まで暴力で他人との差別化をしていたわけです。「おら!」って言えば、みんなが「へへえ」となっていたのに、あれが使えない。
――力で制せられる社会は暴力団ぐらい。
「お前死ね」なんて言ったら、普通は関係断絶しますよ(笑)。暴力団の世界ではそれが挨拶なんですから。その常識から変えていくんだから、すごく大変ですよ。
――朝8時に起きて9時に会社行くのも難しい。
そうしたことも難しいんですよ。本当は垣根無しで、刺青がある指の無い人を雇ってほしい。だけど、あなたが起業した時に雇うかって聞かれたら、僕は雇わないですよ(笑)。
絶対に「面倒くさい案件」でしょ。でも、暴力団を無くしたらそういう人が社会にどっとあふれてくる。どこかが不利益も覚悟で引き受けなくてはならない。そこはみんなでリスクを取るしかないと思います。社会復帰のことを熱心にやっている人もいますし。
「暴力団は国体レベルのサイコパス(笑)」
――犯罪や暴力団にいた過去を反省して、必死で頑張る姿は日本人は好きなはず。そんな美談が増えたら受け入れの土壌も増える、というのは甘いでしょうか。
みんな好きですね。でも美談だったけど途中でダメになるというのもいっぱいあると思います。暴力団はそうした例が多いかもしれない。
言ったら、彼らはサイコパスのすごい人たちですよ。国体レベルのサイコパス(笑)。それを受け入れるということを社会でもっとちゃんと考えないと、受け入れようとしている人が死んじゃいますよ。
最近は、暴力団から「鈴木さん、暴力団はいつになったら違法になるんですかね」って聞かれるんですよ。彼らもどうしようもなくなって辞めたいんだけど、国がとどめを刺してくれたら辞めやすいって思っている。
北海道警は本当にクソで、俺なんか相手にされない
――取り締まる側の都道府県警。鈴木さんは取材などで何を感じていますか。
都道府県ごとに本当に違う。北海道警なんか本当にクソですよ(笑)。道警のクソさは本当にすごくって(笑)。当然、フリーの人間なんか相手にしてくれないですし、記者クラブメディアのコントロールも露骨です。たとえば新任記者は道警に身上書を提出しなければならない。こんな警察他にないです。
でも、「取材はしました」というアリバイ作りで所轄の警察署にも行くけど、どうせ門前払い。「ガソリン代もったいないな」とか思いながらいつも行くんですけど。
とにかく、道警は広報がなにもかも仕切ってて取材にならないんです。本当にクソ(笑)。『サカナとヤクザ』の取材でも、海上保安庁の人も「あいつら絶対10トンしか押収していないのに、時々押収量を水増ししてるんだよ。そうとしか思えない」って言うぐらい。
――他府県警はどう映りますか。
(六代目山口組本部や神戸山口組本部がある)兵庫県警とか大阪府警とかは山口組取材の本場で、雑誌記者とも持ちつ持たれつです。福岡県警も一応対応してくれる。
情報に関していえば、警視庁が一番カスですね(笑)。デマの出元はいつも警視庁。関西の山口組でやっている喧嘩を警視庁が分かるわけないのに、記者にちやほやされて言うんですよ。それで見当違いなこと言う。
高級車乗り回して肩で風切るヤクザは昔の姿
――最近は暴力団の乗る車が外車から国産大型ミニバンに変わったように思いますが、暴力団の困窮化が影響しているのですか?
単に居住性がいいから大型ミニバンになっただけです。今どきベンツだからって、見栄っ張りの道具にならないですよ。地方ならいまだにいますけど。
調べていくと、ディーラーのセールスマンと暴力団員が幼馴染で、結託して暴力団の名前で今でもローンを組んでいる例はある。
――暴排条例には抵触するけど、見過ごしている。
一時期ある車種が暴力団に人気になって、自動車会社がすごく焦った。「暴力団に使われたくない」って言って。で、調査したら、売っているのは自分のとこのセールスマンじゃないかって(笑)。
要するに暴力団員は無職じゃないといけないんですよ。暴力団との取引は暴排条例で禁止されているから。で、無職だから、1000万円の車を持っていたらおかしいじゃないですか。だから、組織から中古で250万円の車までにしておきなさいと、通達が出るとこもあるんですよ。ある有名な組織ですけど。
要するに裁判の時に、1000万の車乗っていたらあたふたするでしょ。だけど、ヤクザなんて肩で風切って歩いて「俺はヤクザだ。すげえだろ」って言いたくてなったのに、それをするなって言うんだから。高級車乗り回して、バーンって飲み屋の前に止めてやりたいのがヤクザなんだから。
ヤクザ映画ではわからない暴力団事務所が「禁煙」という現実
――一般社会が描くヤクザ像は無くなりつつある。
今、ヤクザ映画なんて本当におかしなことになっています。映画と事実がずれていても良いんですが、ズレ過ぎなんですね。暴排条例が出来て、ヤクザの現況って180度変わったのに、それを全く無視して映画が作られている。
例えば、大方の暴力団事務所って今禁煙なんですよ(笑)。これだけ禁煙社会になったから。ヤクザは社会の写し鏡だから、こんだけ社会が禁煙になったら、暴力団だって吸わないんですよ(笑)。
――歌舞伎町のマンションの関する記述では、ゴミ出しのルールをしっかり守る暴力団が登場します。
ヤクザの事務所だってホワイトボードに「燃えるゴミの日」ってあるんだもん(笑)。でも、映画だと灰皿があるでしょ。大体、そもそも事務所にピストル置くわけないじゃんって。
終焉を見届けるために、今後もヤクザを追い続ける
――暴力団とは何なのでしょうか。
基本的に面倒くさい人であることは間違いないんですよね(笑)。何か頼みごとをしたら、三つぐらい用事や調べを頼まれる。
暴力団に抱いていた幻想があったんです。暴力団には俺の知らない人生の心理があって、暴力団は世間とは違うと。社会に対し、「こんな常識を受け入れる必要はない」って俺も反抗してきたけど、暴力団の中にはその答えがある。一般の社会にはない哲学と、それを実践するすごい人物がいるんじゃないかなと思っていた。
それを探していたところはあるんですよね。でも本当に、一つも無かった。これでけりはついているんですよね。一種、暴力団の取材に対しては。
――それでも続けるのはなぜですか?
それでも続けるのは終焉を見届けたい。っていうのが一つですよね。ヤクザって言う形態がなくなることは間違いなくて。
「もうすぐ絶滅するという煙草について」(キノブックス)という本を今年の春ぐらいに読んで。面白かったけど、それと同じですよね。将来絶滅する暴力団というものがどういう風に絶滅するんだろうと。
暴力団や殺人犯に話をきき、確信したことがある。人殺しは、どこかで思考を停止させないとできない。だから俺は、決して思考停止してはならない。
- 鈴木智彦/SUZUKI TOMOHIKO (@yonakiishi) 2017年11月7日
取材後記:
遠慮なく尋ねてみた。「暴力団担当の刑事も鈴木さんもヤクザっぽい見た目なのはなぜか。少しでも相手に近づくためでしょうか」。答える鈴木氏の笑顔が印象に残る。「俺、そうなんすよね。実はそう言われるのがすごく嫌で」。
暴力団担当の刑事には暴力団に取り込まれ、“ミイラ取りがミイラになった”例も少なくない。ただ、鈴木氏にとって暴力団は社会の矛盾を描くための取材対象で、付かず離れずの距離感が重要。暴力団を追ってきたゆえの葛藤と、ライターとしての矜持を感じた。
暴力団をめぐる現況は厳しい。暴力団対策法、全国で施行された暴力団排除条例で資金獲得活動は大きく制限された。人身売買や薬物取引などの違法行為や犯罪被害者を考えれば、暴排が強化されるべきは至極当然だ。
ただ、真剣に更生を目指す元組員が拠り所に出来る環境や、子どもが幼稚園に入れなかったり銀行口座を作れなかったりするなど「暴力団員の人権」という繊細な問題に関する議論は十分だったか。警察当局の暴排の動きだけでは決して片づけられず、重要で根深い問題があるはずだ。
統計上、暴力団員の数は年々減っている。だが、暴排条例の規制を逃れるために暴力団を離脱したと装い、反社会的活動の収益を上納し続ける「偽装離脱」など、状況は複雑化しつつある。暴力団に属さない「半グレ」の問題も深刻だ。
暴力団構成員としての登録を免れた彼らはどこに向かったのか。残念ながら、全員が社会で“真っ当に”生きているとはとても思えない。暴排によって遠い存在となったはずの暴力団が、実は市民生活に入り込んで犯罪に手を染める。それは皮肉でなくなりつつあるのではないか。
「捨て去られてしまう話は俺がやる」。鈴木氏はインタビューでそう繰り返した。「サカナとヤクザ」は、深く暗く危険な現場に自ら身を置く圧倒的な取材力で、読者を密漁の現場へといざなった。そこは、「密漁禁止」という警察や海保当局の美辞麗句の表層だけを見ていては決してたどり着けず、実感も得られない現場だ。
鈴木氏は今後も衰退へ向かう暴力団に迫り続ける。「暴排」の謳い文句では決して見えてこない生々しい実情や個々人の本音を伝えてくれるはずだ。そうしたレポートでようやく暴力団の実情の全体像が見えてくる。
社会がどう暴力団を捉え、排除していくのか。合わせて、社会復帰という難しいテーマにどう取り組むべきか。そのヒントを探るには、暴力団の全体像を知ることが不可欠だと思う。それは「サカナとヤクザ」から得た実感だ。
いかつい見た目と大きな体でフットワーク軽く暴力団や刑事と接触し続ける。人権にも関わる重大な問題が解決しないままに暴力団の衰退だけが進む今こそ、鈴木氏の役割は増していく。
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