※この記事は2018年12月13日にBLOGOSで公開されたものです

柔道教室での、絞め技で意識を失わせる「絞め落とし」は違法だとして、福岡市の聡志さん(仮名、18)が指導者を相手に損害賠償を求めていた訴訟で、最高裁は今年6月、指導者側の上告を受理せず、指導者の行為は「行き過ぎ」であり、違法と認めた。これにより判決も確定、半年が経ち、聡志さんと父親・石阪正雄さん(48)が筆者の取材に応じた。

聡志さんが柔道を始めたのは中学1年のとき。小学生のときはサッカーをしていたが、「上手くならない」と思いやめてしまった。その後、中学の部活動説明会で見た柔道の顧問のかっこよさに“一目惚れ”し、鹿児島県内から福岡市に引越した際、地域の柔道教室に入った。

中学2年生だった2014年10月、柔道場で乱取り稽古をしていた。そのとき、指導者による首を絞める「片羽絞め」を受け、聡志さんは一時的に意識を失った。絞め技は頚動脈を圧迫させて、脳への血流を遮断させ、意識を失わせるもので、中学生から使用可能だ。意識がなくなる前に、技をかけられた側がタップすれば一本負けとなる。しかし、一度受けるだけでも脳にダメージが残ると指摘する専門家もいる。

事実確認もしないまま指導。休んでいると「演技がうまいね」

訴状によると、指導者Aは、稽古前の聡志さんに「小学生に絞め技をしただろう」と言ったが、聡志さんは否定した。乱取り稽古が始まると、普段は稽古をしない指導者Aが聡志さんの相手となり、そのときに絞め落としされ、5秒ほど気を失った。指導者Aは「これが絞め技ということだ」と言った。意識を取り戻すと、再び絞め技をかけ、タップすると、指導者Aは「まだ決まっていない。タップが早すぎる」と言ったという。その後、3、4秒、意識不明となった。

聡志さんは全身がしびれ、頭痛がし、息がきず、話もできない。水筒の蓋も開けられない。練習が続けられない状態となり、休憩していた。休んでいる姿を見つけた指導者Aは「誰に断って休んでいるんだ」と、別の指導者Hも「こんなの大丈夫」「演技がうまいね」「そんな演技をしているんだったら学校に言いふらしてやる」と怒鳴りつけたという。

そんな状態で指導者Hは、ランニングを指導したが、聡志さんはゆっくり歩いていた。指導者Hが「救急車を呼ぶか?」と言ったが、聡志さんは「呼んでください」と訴えたが、無視された。

一方、指導者側は、聡志さん側の主張のほとんどを否定。絞め落としは故意ではないし、一回だけ。練習中のため違法性はないと反論した。さらに、指導者Hも、違法性のない指導を中止させる義務はない。聡志さんの症状は嘘でああり、後遺症もない、との主張を展開してきた。

取材を受ける聡志さん

背景には道場内の人間関係。初心者のため、いじめのターゲットになっていた?

小学生に絞め技をしたと言ってきたのは、女子小学生だった。聡志さんは男子中学生の初心者だった。この柔道場には20人の子どもがいたが、中学生は3人だけ。女子小学生からすれば格好のターゲットになっていた(判決では、聡志さんが正雄さんに内緒で道場を休んだ理由として、女子からいじめを受け、それに耐えられなかったとする証拠はない、とした)。

「この教室の子どもは強豪でした。道場は小学生がメイン。しかも女子が強いのです。そのため、初心者で男子中学生の聡志は、乱取りのときに必要以上に振り回されたり、女子からは、無視され、バイキン扱いもされていたんです。そのため、一時的に道場に行かなくなることがあったんです。小学生の母親に中には“私も子どもたちに言っておく”と加害性を認識していた人もいました」(正雄さん)。

ただ、事件当時、聡志さんも実力がついてきていた。

「陰湿ないじめもあったんですが、柔道の技で対抗していました。そのため、楽しくなってきたんです」(聡志さん)

記憶がぼんやり。視界は白くぼやけ、恐怖や危険を感じる

そんなときに、女子小学生が「絞められた」と指導者に言ってきた。しかし、指導者は十分な確認をしないまま、聡志さんの声を無視し、体で危険性をわからせようとした。意識を失ったときの記憶はあるのか。

「指導で絞められた経験はありますが、落とされたのは初めて。記憶はぼんやりしています。辛かったことを覚えています。直後は泣いていました。怖かったし、何が起きたのかわからないでいました。視界が白くぼやけ、このままだと危ないと、端に行きました」(同)

このとき、どんな感情を抱いていたのか。

「誰も助けにきてくれない。“なんで落とされたのか”など、いろんな思いが混ざっていました。怖かったと思いましたし、理不尽だとも思いました」(同)

帰宅したとき、正雄さんは異変に気が付いた。「何があったのか?」と聞くと、聡志さんは泣きながら、答えた。話を聞いているうちに、この時点で裁判案件だとも感じた。このとき保護者に連絡があるはずだと思っていたが、連絡はない。ただごとではないと思った。

そのため、市立急患診察センターに連れて行くと、翌日に脳神経外科の受診を勧められ、午前3時ごろ、受診すると「血管迷走神経性失神および前頸部擦過傷」と診断された。さらに午後4時ごろ、別の脳神経外科クリニックへ行くと、手がコの字になっていたことをあげて、医師は「過度のストレスによるもの。すごく怖い体験をしたはずだ」と指摘した。

話し合いをしても、指導を正当化するのみで平行線。裁判へ

指導者に対して「なぜ絞め技をしたのか」と正雄さんは説明を求めた。話し合いの場では、聡志さんが「以前小学生に絞め技をかけたと聞いた」というのだが、そのことを聡志さん本人は否定している。目撃した指導者はも一人もいない。事実かどうかもわからない中で、指導者は危険性を知らせるために、絞め落としで指導した。話し合いをしても、指導を正当化するだけで平行線をたどるだけになった。

「もし、中学生が小学生を絞めたら、小学生中心の道場ですから、指導者の誰かが見ているはずです。絞められたという小学生女子は何人かいたのですが、それを全部見落とすことなど到底ありえません」(正雄さん)

結局、裁判になった。福岡地裁では、和解協議にもなったが、聡志さん側は「お金の問題ではない」と拒否した。判決では、裁判所は、指導者Aは事実関係を確認しないまま、聡志さんに対して片羽絞めを二回したと認定。

危険性を理解させるのならば、口頭で注意し、監視強化をすることもできたなどとして、「行き過ぎた指導」と違法性を認めた。指導者側は控訴したが、福岡高裁でも和解協議となり、聡志さん側が拒否。結果、控訴棄却となった。さらに指導者側は最高裁に上告したが、受理せず、一審判決が確定した。

「当初、裁判するかどうかは聡志と相談しました。年月もかかることですし、裁判は大人の喧嘩でもあります。“俺にあずけてくれないか”“俺が全部動くから。なるべく迷惑をかけない”と言いました。裁判中は辛かったです。お金だけの問題なら弁護士さんに任せればいいんですが、こちらも訴えたい部分がありました。一番最初に聞いたときのメモと、話し合いの録音がありましたが、それを確認するだけでも辛いことでした」(同)
取材を受ける正雄さん

柔道を失い、「努力をしなくなった」が、もう一度柔道を...

裁判に勝訴したものの、聡志さんは柔道から遠ざかった。いわば、柔道を失ってしまった。

「楽しくなって努力した時期に、こんな形で潰されたことは大きい。その後、努力をしなくなりました。ただ、事故のせいにはしたくないです。高校には行かなかったのですが、もしあのまま高校に行っていても、なにも変えることができなかったでしょう。今のアルバイト先はいい職場です。(一人暮らしで)家から離れて、まわりの世界を見に行ったのですが、あのときの自分を俯瞰できたのは大きいです」

将来、柔道をしたいと思うか、と尋ねると、

「事故があったからこそ、もう柔道はしていないんです。それは成功体験をつぶされたことでもあります。だからこそ、もう一度、柔道をやりたいですね。ただ、中学生の頃は、体ができる時期。その意味では、今からやっても遅いです。筋トレしても柔道ができる体にはなれないですから。そのため、将来するとしても武術としてではなく、趣味としてですね」

柔道界を変えたいという思いが強まる

判決については、正雄さんは「故意が認められたことはよかったが、驚くべきことではありません。民事裁判としては当然のことです。一般社会でしたら、犯罪でもありますし」と話す。ただ、指導者Hが「そんなの演技」などと言ったことは、それのみでは不法行為と認定しなかった。

「精神的にきついことを言ったのは指導者H。『言いふらしてやる』は厳しい。息子としては許せないことです」。
講演をする正雄さん

当の聡志さんはどう思うか。

「最初の気持ちは、やっと終わったという感じです。結果とか関係なく、親と弁護士さんには感謝です。裁判の結果に関しては、世間に広めることができましたので、よかったです。裁判に負けていたら広めることができなかったでしょうから。勝ててよかったです」

正雄さんは今後、この体験を語り継ぎ、柔道界を変えたい思いが強まっている。

「聡志の語りは大切です。しかし、本人はもう当時の記憶を忘れつつあります。あの頃のことは私がもう聞いていますので、今後の人生を考えても、語り部を聡志本人がするのはおすすめしません。今後はどんな形で広めていくのかはわからないですが、活動自体は必要なことです」

聡志さんの思いはどのように変わったのか。

「指導者は悪い人ばかりではないですが、柔道は変えないといけないです。スポーツは健康を害するものではないですから。未来のために、こうした問題を広めていかないといけない、と思っています。しかし僕個人としては、広める活動を表立ってするのは避けようと思っています。そのため、お父さんに頑張ってほしい」