外国人受け入れ拡大に向け、日本は「やさしい日本語」をもっと普及させるべき - 中野円佳
※この記事は2018年12月10日にBLOGOSで公開されたものです
外国人労働者の受け入れを単純労働まで広げる改正入管法が8日、成立した。審議が不十分とされたまま与党などの賛成で可決となったが、成立した以上、今後外国人が増えていくなかでどのようなサポートが必要かを早急に議論していく必要がある。とりわけ言語政策の側面から論点をあぶりだしてみたい。
言葉が通じる感覚は海外生活に安心感をもたらす
高校生の頃、私は1年間カリフォルニア州に交換留学生として滞在した。アジア人で、しかも英語の発音が悪かったりたどたどしいと、学校やお店などで同級生から大人にいたるまで、話しかけたり質問をしたりしても無視をされたり「この日本人何言ってんだ?」という反応されたりするのは日常だった。なかなか友達もできなければ、問い合わせたことに対して適切な回答得られずたらい回しにされ、孤独な思いをする時期もあった。
翻って今私は、シンガポールに住んでいる。高校生の時のアメリカの経験と比べても過ごしやすくありがたいと感じるのは、英語が完璧に話すことができなくても、シンガポールにいる人たちは分かろうと理解をしてくれる姿勢が非常に強いことだ。
シンガポールは英語と中国語のバイリンガル教育がなされているが、世代などによっては中国語の方が得意、または中国語しか話せない人もいて、それでもお互いに意思疎通をするために身振り手振りでやりとりをすると、意外と通じる。この、言語的に受け入れられている感覚は、安心して生活いていく上では非常に大きい役割を担っている。
英語のみならず多言語に触れる機会は日本人にも必要
日本には外国人がどんどん増えている。今回の法案成立で、これから単純労働で入ってくる人たちも確実に増える。スイスの作家マックス・フリッシュが外国人労働者問題について語った「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」ではないが、彼らは日本で生活していくことになり、仕事の場で日本人と接する機会も増える。
その時に日本では、役所などの窓口や公共施設などでの表示等で英語やその他の多言語対応を進めることも必要になってくる。『グローバル化と言語政策』(宮崎里司・杉野俊子編著)によれば、多様な移民を長らく受け入れてきたオーストラリアでは、子供たちが初等教育段階からかかわりの深い国の第二言語を学ぶ仕組みになっている州まであるという。英語もままならないのに日本人が初等教育からさらに別の言語もというのは非現実的ではあるが、多文化理解のためにも、英語のみならず多言語に触れる機会、通訳ができる人材を長期的に増やしていく必要がある。
一方、今後日本で増えていく外国人を送り出す国も多様になっていく可能性が高い。英語だけでは不十分だといってすべてを多言語対応にしていくには限界がある。やはり日本に来た人たちに、ある程度日本語を学んでもらう必要もある。
『グローバル化と言語政策』によると、日本では「住んでいれば日本語は自然に覚えられる」「誰でも日本語は教えられるのでボランティアに任せていればいい」という考えが強いという。しかし、日本語学校の中には留学生側も労働目的で、学ぶ意欲も体力もないなど機能していないところも多く、日本語を学ぶ適切な機会を増やすこと、ボランティアではなく専門家がきちんと充てられることが必要だ。
「やさしい日本語」による窓口対応を普及させるべき
また、日本人側のマインドを改めなければならない側面もありそうだ。外国人留学生を雇いたいという企業の多くは、彼らに高い日本語力を求める傾向が強く、ネイティブレベルの日本語力を求める企業も少なくない。そんな学生は、上位大学に来ている優秀な留学生でもなかなかいない。さらにこれから単純労働で違う層が入ってくる。
お茶の水女子大学で日本語の研究をしている河野礼実さんは、留学生のキャリア支援を手がけるが、今回の外国人労働者受入拡大の動きについて以下のように話す。
「たしかに日本で働き、生活する以上、彼らに日本語を学んでもらう必要があります。しかし、人手不足を自国民だけでは補えず、『来てもらう』のは日本側。来日する外国人に求めてばかりではなく、受入側の日本社会の態度を見直す必要もあると感じます」
河野さんは、一つの方法として「やさしい日本語」の普及を提案する。やさしい日本語というのは、もともと災害時に考案されたもので、熟語を使わずに簡単な言い回しを使う、書き言葉ではふりがなをふるなどを推奨する日本語の使用法だ。
「相手が分かるように伝える工夫をし、相手が言いたいことを汲み取ろうとする態度、つまり相手のことを考えてコミュニケーションをとろうという姿勢やちょっとしたコツでかなり変わる。自治体職員や外国人を雇用する企業社員はもちろん、外国人と接するすべての人に一度こうした言語の使用法や心がけについての簡単な講習を受ける機会を設けてほしい」
テレビ番組などでは外国人やミックス(ハーフ)のタレントの完璧ではない日本語を笑う風潮などもあるが、笑っている日本人側は中学から英語を習っていてもそんなに流暢に話せているだろうか。2020年の東京オリンピック・パラリンピックも踏まえ、日本人側のマインドを変えていく必要もある。
政府は詭弁ではなく、早急な外国人の受け入れ体制の構築を
また、特定技能2の資格では、いずれ家族を同伴する外国人もでてくる見込みで、日本語を母語としない子どもたちも増えていく。現状では、こうした外国人の児童には担任や国語の先生が対応するケースが多いというが、子どもの状況によって日本語の理解レベルもピンキリなうえ、たとえば英語でもネイティブが学ぶ国語としての英語と「ESL(English As Second Language)」は習得のプロセスが異なり、本来は専門家が必要だ。
外国人の子どもたちへの教育については、突然の帰国が発生する可能性や親や親族とのコミュニケーションのため、日本語一辺倒で学ばせればいいというものでもない。母語と日本語どちらも中途半端で、抽象概念が理解できず思考を限定させてしまう「ダブルリミテッド」状態になってしまう例もあり、母語の継承教育や他国の学校制度との接続などをサポートする必要もでてくる。現状では自治体の判断にゆだねられているが、こうした子どもたちが増えて行くことを見越せば、サポートができる人材の育成が必要になる。
少子高齢化は数十年前から予想できていた。労働力が不足し、いずれ外国人の手を借りる必要がでてくる事はもうとっくにわかっていたはずだ。これまでに移民を受け入れないという姿勢を貫いてきた政府は、こうした人材の育成やサポート体制に投資してこなかった。ここにきて急に方針を覆す中、ただ単に受け入れを拡大する、しかしサポートしないというのでは、外国人の生活環境が劣悪になり、トラブルを誘発してしまう可能性もある。それは日本人にとっても歓迎すべき状況ではない。
安倍政権の進め方に反対をしている人たちは、必ずしも外国人を受け入れたくない人ばかりではない。外国人と共生したい人こそ、その支援体制が十分でないままの受け入れが危険だと言っているのだ。「移民政策ではない」という詭弁を繰り返すのではなく、言語対応や人権保護の政策を早急に進めてもらいたい。