M-1グランプリは笑神籤を廃止せよ ルールは視聴者よりファイナリストのために - 松田健次
※この記事は2018年12月09日にBLOGOSで公開されたものです
M-1が終わった。その余韻が日一日と祭りの後の寂しさに変わっていく。各所からのアフターコメントが大なり小なり波となって寄せては返し、「今年も終わった」というこの波に足をさらわれないよう踏ん張りながら記すのは、現在のM-1が抱える問題への私的で勝手な思いだ。1、笑神籤(えみくじ)問題
昨年の同時期も同じ思いだったが、出場順を生放送でその都度決めていく笑神籤システムは演者への負担が大き過ぎる。突き詰めて自分がM-1で見たいのは、番組をスリリングに盛り上げ視聴者の興味を引くための「演出的な緊張」ではなく、ファイナリスト達がコンディションを整え、万全の態勢で漫才にのぞむ「まっとうな緊張」だ。笑神籤導入以前は、出場者自身が何番手で出るか判っていた。ゆえに出場者はそこに向けてメンタルを集中できたはずだ。だが、笑神籤はオールタイムで臨戦態勢を取らなければならない。この常時スタンバイという過酷な状況が、漫才の出来を数%でも損なうのなら、この演出は見直したほうがいいと思う。
また、この笑神籤、前年はMCの上戸彩が引いていたが、今年はボクシングの井上尚弥や女子レスリングの吉田沙保里ら、三人の一流アスリートが引く演出になっていた。大会のスケール感を付加したという意図だろうが、これはM-1の場においては毒にも薬にもならないにぎやかしであり、本質的には何も生み出してない。
彼らの紹介と登場に費やす時間が無駄だ。こういう段取りの積み重ねがイベント全体を間延びさせ、リズムに差し障りをきたす。
何しろ笑神籤という苛酷なシステムを作っておきながら、その最重要な役割をふわっとした第三者にゆだねるのが腑に落ちない。結果に対し、演者がツッコミのひとつも言えないような誰かがクジを引くぐらいなら、勝敗占いをする動物にでもクジを引かせたほうが、まだスタジオが温まるはずだ。
ファイナリストにとって大事な大事な出場順を決めるのだ。クジを引く側にもファイナリスト達の運命を一緒に背負ってもらうレベルでないと。例えば、前年のM-1王者。となれば、物語もツッコミも生まれるのではないか。
が、どうあれこの笑神籤はファイナリストへの負担が大きすぎる。笑神籤がもたらす演出効果よりも、演者のパフォーマンスの質を高めるケアのほうが重要だと思う。
2、トップバッター問題
では、笑神籤以外で出場順を決めるにはどうしたらいいか。ちなみにM-1が過去に採用してきたのは下記の方式だった。A 事前に出場者が抽選を行う ※(第1回~第11回)
B 事前に出場者が予備抽選を行い、その結果に従って希望するネタ順を選択する ※(第12回)
上記ABに共通するのは「事前に決定」ということだ。これが「本番中に決定」という笑神籤にとって代わったのだ。ファイナリストのコンディションを重視するなら、以前のように「事前に決定」へと戻すべきではないか。
そして、出場順におけるほぼ最大の問題はトップバッター問題だ。過去の結果を振り返ってみる。
< 「M-1グランプリ」でのトップバッター成績 >
<第一期>
2001 中川家 優勝
2002 ハリガネロック 5位
2003 千鳥 9位
2004 千鳥 9位
2005 笑い飯 2位
2006 POISEN GIRL BAND 9位
2007 笑い飯 5位
2008 ダイアン 6位
2009 ナイツ 4位
2010 カナリア 9位
<第二期>
2015 メイプル超合金 7位
2016 アキナ 5位
2017 ゆにばーす 8位
2018 見取り図 9位
トップバッターで3位以内に入ったのは、14組中わずか2組。いったいどうしたってトップバッターは不利だ。
待ちに待ったM-1本戦、その幕開けは誰もがそわそわと落ち着かない。スタジオも客席も掴みどころのない緊張に覆われている。空気が温まりきっていない中で務める漫才。トップバッターが上位に食い込めないのは、実力ではない。圧倒的に環境だ。
トップバッターであっても、それなりのウケを取ることは可能だろう。だが、優勝の条件のひとつとして挙げられる「漫才後半の爆発力」を起こすことは無理だ。それはおそらくファイナリスト全員誰でも、トップバッターになったら無理だ。
笑いは送り手と受け手の両者によって醸される。送り手である演者と、受け手である観客、両者が共にベストコンディションという条件が揃わなければ、爆発はのぞめない。
M-1放送前は、ピン芸人のくまだまさしが前説をしているという。彼がどんなに頑張ってもスタジオの空気を温めきることは出来ないのだ。
ちなみに、M-1にとって「スタジオの空気が温まっている」とは、どんな状態なのだろうか。あえて表現するならば、ファイナリスト、観客、審査員、スタッフ、スタジオの隅々までM-1のノリに満たされ、一体感のようなものが充ちた状態だろうか。
そしてこの、トップバッター不利問題を解消するにはどうしたらいいのか。
この件に関しては、昨年同時期にも考察している。敗者復活で決勝に上がった組がトップバッターになればいい――と書き記した。
【関連記事】M-1グランプリ2017 シビアな新ルール導入で見せた番組側の「覚悟」
次に、その敗者復活に関して考えてみる。
3、敗者復活問題
現在、敗者復活枠は決勝当日午後に敗者復活戦が行われ、視聴者投票1位がファイナリストに組み込まれるというシステムだ。つまり、敗者復活に選ばれた時点で他のファイナリストと同線上に並ぶことになる。これはこれで、大いに改善されたのだ。振り返れば敗者復活が導入された第2回(2002年)から第12回(2016年)まで敗者復活枠は、大会途中で発表されるスリリングなプロセスはあるものの、演者は決勝ファーストラウンドのトリで出場していた。
M-1のようなコンテストにおけるトリは、重責ではない。むしろ有利だ。様々な笑いが横溢し、スタジオの空気が温まりきった状態、観客の集中力は高まりきった状態、そこで大きな注目を集めてネタが出来る。その結果が以下だ。
< 「M-1グランプリ」敗者復活枠の成績 >
<第一期>
2001 敗者復活なし
2002 スピードワゴン 7位
2003 アンタッチャブル 3位
2004 麒麟 3位
2005 千鳥 6位
2006 ライセンス 6位
2007 サンドウィッチマン 優勝
2008 オードリー 2位
2009 NON STYLE 3位
2010 パンクブーブー 3位
<第二期>
2015 トレンディエンジェル 優勝
2016 和牛 2位
最終ラウンドとなる3位圏内に、11回中8回入っている。2017年にルールが変わるまで6大会連続で敗者復活が3位圏内だ。
その最たる栄光が、敗者復活から奇跡の優勝を飾り、M-1史に語り継がれるサンドウィッチマンの大逆転だった。もちろん優勝に値する漫才力があってこその結果だが、敗者復活がファーストラウンドのトリで出る、というシステムがその背中を押したのは確かだろう。敗者復活は本戦において有利、それは大会を重ねるうちにわかってきたことだ。
そして、2017年にルールが改正された。これによって、敗者復活の出順がトリというアドバンテージが取り去られた。そして、敗者復活組の出順は笑神籤の結果次第となり、他のファイナリストと条件の差は無くなり、同じスタートラインに立つことになった。
ちなみに今回大会での敗者復活はミキで、笑神籤で出順は7番、ファーストラウンドの結果は4位だった。結果だけから言えば、ミキは得をした。
そして、M-1最大の問題、トップバッター不利問題を何とかするためには、敗者復活組にその役割を果たしてもらうしかない。
改めて考えれば、敗者復活組は敗者なのだ。負うべきハンデがあってもおかしくないのだ。プロ野球のクライマックスシリーズもそうだが、勝者と敗者の間にアドバンテージとハンデがあることで、むしろ大きな全体の公平感をもたらすのだ。
だからM-1は、通常のファイナリストにトップバッターにはならないというアドバンテージを担保し、敗者復活組にトップバッターを務めるというハンデを負ってもらうことが、この問題を前進させるのではないか。
さらに、M-1は今、トップバッターを含む序盤戦の「前半重い」問題が具体化している。この問題はどう対処したらいいのか。それもまた、敗者復活が関わってくるのだと妄想する。
4、前半重い問題
2018年の今大会はこの「前半重い」問題に覆われてしまった。<2018年12月2日放送「M-1グランプリ2018世界最速大反省会」(GYAO!)>前年度に優勝を飾ったとろサーモンが、昨年とは客席の雰囲気が違っていると指摘した。ちなみにとろサーモンは2017年大会でファーストラウンドを「3番手」で出場している。その時の観客と今回の観客、違っていたという話だ。
陣内智則「最初なんかちょっとおとなしかったよねお客さんも」
とろサーモン村田「ちょっとね、静かでしたよね。緊張してたんですかね、お客さんも」
(略)
とろサーモン久保田「正直最初のほうは、客層が祇園花月と一緒でした」
陣内「アハハハハハ」
村田「あんな重い?」
陣内「ちょっと(今回スタジオで)見ててどう? 去年(漫才を)やったやんか。去年やった感じと(今回)客席で見てた感じと(比べてみて…)」
村田「ぼくらは本戦ってこんなにウケるんやって思ったですもん。お客さんめっちゃあったかいなーっていうイメージがあったんで。で、客席から見ててのあんまりの、こうお客さんおとなしい感じやったから」
久保田「こんな感じなんやなって、言うてました」
陣内「でも後半にかけて、ドーンって来たもんね」
久保田「変わってきましたね」
陣内「これ笑神籤というね、これもあるしなぁー」
村田「笑神籤のおそろしさ、ありますねーこれ」
ここでの陣内智則もそうだが、M-1終了後に多くの芸人達が「前半重い」を口にしていた。また、松本人志もエンディングで、優勝が決まった霜降り明星にトロフィーを渡した際のコメントで、それに触れていた。
<2018年12月2日放送「M-1グランプリ2018」(テレビ朝日)>M-1のような緊張みなぎる舞台を、前半から、いい空気にするのは難しい。いい空気とはあえて表現すれば「ファイナリスト、観客、審査員、スタッフ、スタジオの隅々までM-1のノリに満たされ、一体感のようなものが充ちた状態」か。別の言い方をすれば「きわめて感度の高い状態」だ。
松本人志「なんかねぇ、前半は全体的に重かったやないですか。でも後半みんながチームプレーみたいな感じで漫才を盛り上げてくれてるのが…もうちょっと俺、オッサンやから泣きそうになってるわ。ごめんなさいね」
それを作りあげるには、献身的な前戯、的確なテンポ、意外な手練手管、そして力強さの連打…まあ、何しろ「きわめて感度の高い状態」を作るのだから、どこかエロいプロセスでもある。
M-1の場合、重い空気をいい空気にする為に、トップから順々に出場者たちが数珠つなぎとなって、観客の笑いのツボを刺激し、その空気を作っていくことになる。前半あってこその中盤、そしてエクスタシーが起きやすくなる後半があるのだ。
松本のコメントはそこに言及していた。M-1をM-1らしく成立させた後半出場者はもちろんだが、その言外に、そこへと至る空気を積み重ねた前半出場者へのねぎらいがにじんでいた。その中に、スーパーマラドーナ田中の「♪テッテレ~」も大きくあったのは確かだ。
いずれにしてもこの「前半重い」問題、そして先述の「トップバッター不利」問題は、今後のM-1にとって避けて通れない深刻な問題である。
これをどうにかするには、敗者復活枠を更に活かすしかないのかも。
踏み込んだ妄想案だが、最終的に決戦に残るファイナリストが10組ならば、準決勝後に発表されるファイナリストを7組にして、残り3組を敗者復活に回してはどうだろう?
そしてこの3組が本戦でのファーストラウンドで、トップバッター、2番手、3番手を務めるのだ。敗者復活戦で成された順位付けをそのまま本戦出場順に反映し――、
トップ 敗者復活3位
2番 敗者復活2位
3番 敗者復活1位
4番
↓ 笑神籤or事前決定
10番
どうだろうか、これが「トップバッター不利」と「前半重い」問題をどうにかする為の、ひとつの試案なのだが。
5、審査員&観客問題
そして、「前半重い」を引き起こす要因として審査員のコメントがある。今回のトップバッターだった見取り図がそうだったが、漫才で笑わせたあとに、審査員による、冷静な、厳しめな、ホメのない、ダメ出しコメントがずらりと並んでしまった。観客からすれば、今自分が笑った漫才が目の前でダメ出しされたら、今笑ったことを否定させられた気分にもなるだろう。これが逆に絶賛されれば得意げなのだが。
ホメ出しもダメ出しも、プロによる審査コメントはM-1に欠かせない要素だ。視聴者はそこで大いに一喜一憂する。今回もどうあれ、上沼恵美子の好みは気になったし、ナイツ塙の分析や、立川志らくの視点にも惹かれた。
だが、これをスタジオの観客と一蓮托生にすることで、観客の空気がクールダウンしてしまうなら、何かしらの改善を考えてもいいだろう。
例えば、審査員の得点やコメントはこれまで通り伝わりテレビ視聴者には伝わるが、スタジオの観客には伝わらない仕組みを作るのはいかがだろうか。ファイナリストが対峙する観客達には漫才を観ることに徹してもらうのだ。審査員がコメントしているときはヘッドフォンでもつけてもらい外部の音を遮断する。そして、スタジオの観客にはファーストラウンド終了後に結果を明かし、驚いてもらえばいい。
6、まとめ
M-1ファイナリストが最上のコンディションでセンターマイクに向かい、最高のパフォーマンスを発揮できるには…、その為にM-1スタッフ達は長く討議を重ね、ルールのマイナーチェンジを重ね、現在に至っていることは承知だ。そこから更に、何かの手を施せば、あれがこうなるのではと私的で勝手な妄想を並べてきた。改めて、そのポイントを列記する――
1・笑神籤廃止
2・出場順は事前に決める
3・トップバッターは敗者復活組が務める
4・なんなら前半3組は敗者復活枠にする
5・審査コメントをスタジオ観客に聞かせない
6・優勝賞金1千万円と並ぶ副賞のひとつ「イタリアのキアニーナ牛+どん兵衛1食」は誰もいじらなかったのでスベっていた
「M-1グランプリ2018」の視聴率は関東地区で17.8%、関西地区では28.2%と、高視聴率を記録した。数字がいいので現状維持に重きが置かれるのだろうか。それとも、M-1を5つ集めて最強のM-1マックスを目指すのだろうか。
とにもかくにもM-1はお笑い界における至高のコンテンツだ。おもしろい。だからこそここに挑み、頂を目指す漫才師達の側に寄り添った出来る限りのシステム&ルールをと願っている。観てみたいのは「運」に左右されない「力」の比べあい、その果てに起きる奇跡のような笑いなのだから。