「このまま遺族にアンケート結果を示すのは危険である」と指示した意図は?札幌・吹奏楽部指導死訴訟であらたに教委の指導主事を証人に採用 - 渋井哲也
※この記事は2018年11月14日にBLOGOSで公開されたものです
2013年3月3日、北海道立高校の1年生、悠太(享年16)が地下鉄の電車にはねられ死亡した。所属していた吹奏楽部の顧問による不適切な指導を苦にして自殺したとして、悠太の母親が北海道を訴えている裁判で、11月1日、札幌地裁(高木勝己裁判長)で口頭弁論があり、北海道教育委員会の指導主事(当時)を新たに証人として採用することを決めた。
指導主事は学校と教育委員会の窓口になっていたため、原告が証人申請していた。当初、この日で結審となる可能性があったため、原告、被告の双方ともに、最終的な主張を盛り込んだ準備書面を提出したが、今後は証人尋問を踏まえて、主張を修正する可能性もある。
訴状などによると、悠太は13年1月、他の部員との間でメールをめぐるトラブルが起きた。お互いが言いすぎたものになっていたが、指導を受けたのは悠太のみで、トラブルの相手は指導を受けなかった。また部内で別の問題が起き、3月2日、悠太のみが指導された。翌日、悠太は学校に一度は行くが、部活の練習に参加せず、地下鉄の駅に行き、自殺した。
この裁判では、吹奏楽部の顧問、生徒指導部長、教頭(いずれも当時)と、原告である悠太の母親、悠太の同級生で、元部員が証言した。高木裁判長は、この日までに、吹奏楽部の副顧問と道教委の指導主事(いずれも当時)を証人の必要性を検討していた。裁判所は、指導主事は証人として採用しつつも、副顧問は見送った。指導主事は、主に事後対応について証言することになる。原告にアンケートを開示しなかったことの意図、教頭がアンケートを破棄したことの関与の度合い、顧問の指導が自殺と関係していると知っていたかなどが焦点だ。
学校側は道教委へアンケート結果をメール送信。その後、「そのまま遺族に示すのは危険」と指導主事が指示
原告によると、悠太が自殺した13年3月3日の当初から指導主事は学校と連絡を詳細に取り、具体的な指示をしていた。同日午後3時35分、教頭が指導主事に電話している。午後4時2分、指導主事は学校に電話した。その際、警察情報を取得すること、報道機関の問い合わせには窓口を一本化すること、公表する際には保護者の意向を確認すること、保護者との連絡をすること、なぜ地下鉄の駅にいたのか、学校には来ていたのか、顧問からの体罰があったのか、いじめはあったのかなどのやりとりをしている。午後9時45分、再び指導主事が教頭と電話で話をしている。
3月4日、北海道新聞に自殺の件が報道された。その中で教頭の「男子生徒に関するいじめなどは確認されてない」とのコメントが載っている。
3月11日には、指導主事からの電話で、「2月1日の指導に関して、生徒指導部長から事実関係を保護者に説明しているが、メールの内容はどうやって知ったのか」と問い合わせがあった。この際、悠太と部員とのメールトラブルがあったが、教頭は、前もって悠太のメールを見ている、と回答したことになっている。
しかし、7月の尋問の際、生徒指導部長は、きっかけとなったメールについては、こう答えている。
原告代理人「感想はメールではないか?」
生徒指導部長「メールではなかったと思う」
原告代理人「事実としてはメールであったようだが、把握してない?」
生徒指導部長「メールを確認したことを覚えておりません」
指導主事は「実施したアンケートを送ってほしい」とも話している。学校側は3月4日、部活動のメンバー向けと、3月11日、全校生徒向けの2種類のアンケートを実施した。その内容を知りたがっていることがわかっている。ただ、被告側はこのメールの送付記録を明らかにしていない。
3月15日にも指導主事から学校に電話があり、「このまま遺族にアンケート結果を示すのは危険である。事実だけを絞って示す必要がある」と指示した。また、特に全校生徒アンケートの取り扱いについて、指導主事が詳細な指導、指示を行なっていたことは記録上明らかで、原告は、調査報告義務違反だとしている。
アンケートの実施に関して、遺族は詳細を知らず。
記録上では、3月11日から15日の間はやりとりが飛んでいるが、その間、教頭は、遺族方への弔問者名を指導主事にメールしている。また、14日に新聞記者が学校を訪問、「アンケートを実施したか。いじめはなかったか」と教頭に質問すると、「ない」と回答している。「今後、アンケートを実施するか?」との問いには「ない」と答えている。
3月21日には指導主事が教頭あてに「保護者に説明する際、この日の指導が大きなポイントになると思われます」とメールをしている。自殺の前日、顧問からの指導があったことを把握していたと見られるが、その内容はいかなるものだったのか。このメールには「事故前日の指導について」というファイルが添付されていたが、その内容は明らかではない。
また、どのようなアンケートを実施したかは、原告に詳細に知らされていない。7月の尋問では、実施したアンケートを、原告宅に持参もしているが、その旨を伝えていないことも明らかになった。
原告代理人「校長が『アンケートについては現在確認中なので来週21日か22日にお見せできるように対応しています』とある。確認していますよね?」
教頭「記憶には明確にはないが、はい」
原告代理人「21日か22日には実際には見せていませんよね?」
教頭「覚えていません」
原告代理人「逆に、原本は持参したとある。持ってきました、と原告には言ったことはない?」
教頭「はい」
原告代理人「原本を持参しますとか、転記されたものを見せますと言ったこともないですよね?」
教頭「はい」
原告代理人「3月24日、持参した原本は何枚?」
教頭「アンケートしたものをすべて。600枚程度」
原稿代理人「どういう形で持って?」
教頭「紙袋に入れて持って行きました」
原告代理人「封筒とか茶封筒ではなく?」
教頭「はい」
原告の尋問でもこの点に触れている。やはり、紙袋を持参していた認識はないようだ。
原告代理人「全校生徒向けアンケートに関して、すべて開示と言われた時期があった?」
原告「はい」
原告代理人「どのくらいの時期?」
原告「3月24日ごろ」
原告代理人「3月24日の学校の記録では、原本を持参した、とある。アンケートを持参したと言われたか?」
原告「聞いていない」
原告代理人「教頭は、原告宅を訪ねたとき、紙袋に600枚のアンケートを入れていたと証言している。そんな認識はあった?」
原告「ない。」
原告代理人「部員向けアンケートの存在を知ったのはいつ?」
原告「アンケートの開示請求をしたのが翌年5月ですが、それ以降に知りました」
アンケートの破棄に、道教委はどこまで関与していたのか
全校生徒へのアンケートの原本は2014年3月27日、つまり、約1年後に教頭が破棄したことになっている。7月の尋問では、以下のようなやりとりをしている。
原告代理人「アンケートを破棄しましたね?」
教頭「異動が決まって、ロッカーを整理していた。アンケートをどうするか?となりました」
原告代理人「あなた自身のロッカーに原本が保管されていた?」
教頭「はい」
原告代理人「廃棄する根拠、理由は?」
教頭「アンケートは転記していたため」
原告代理人「転記したものがあれば足りる?」
教頭「はい」
原告代理人「誰かに相談した?」
教頭「第一教頭に確認した」
原告代理人「どんな返事?」
教頭「必要ないんじゃないか、と」
原告代理人「道教委には相談していない?」
教頭「はい、そうです」
原告代理人「アンケートは公文書として5年間保存。そのことは認識してない?」
教頭「まったく認識してない」
7月の尋問で、教頭は、アンケートの破棄について、独断でおこなったと証言した。しかし悠太が自殺した後の3月15日、校長は「アンケートについては現在確認中なので来週21日か22日にお母様にお見せできるように対応しています」と言っていた。3月17日には指導主事からの電話があったときには、学校側では「3月20日(祝)遺族にアンケート結果を示すことができるように準備したい」との記録がされている。
にもかかわらず、原告側は、原告らに一切開示されることもなく、破棄されたと主張している。裁判ではその経過についても、指導主事に問いただす方針だ。