※この記事は2018年11月04日にBLOGOSで公開されたものです

今年も行われた渋谷のハロウィン。

案の定というか例年通りというか、若者が騒いでゴミを撒き散らすだけのイベントではあるのだが、今年はトラックが横転させられるという衝撃的な映像もあり、いつも以上に酷い印象が強かった。

メディアもそういう「酷いハロウィン」を狙って撮影している感もあり、まぁ祭りの寿命もそろそろかなという気もしている。

その分、ネットではハロウィンを叩く祭りが大盛り上がりで、そこかしこで馬鹿な若者を笑って楽しんでいた印象だ。

さて、そんなハロウィン事件の中でも今回、僕が特に気になった事件がある。

それは、酔っ払った若者がラーメン屋の券売機に、持っていた水を流し込んだ事件である。(*1)

特に、店が防犯カメラの動画をアップしたことで、ネットは来たるハロウィンの前哨戦とばかりに大いに盛り上がっていた。

だが、僕が気になったのは、水を流し込んだ若者が店に対して謝罪をし賠償することを約束し、店も「自分も若い頃に酒で記憶がなくした経験がある」として、一件落着となった後も、ネットの一部で店のTwitterに対して「絶対に許すな!」とか「許すのはこいつのためにならない」などという書き込みが相次いでいたことである。

幸いそうはならなかったが、もしかしたら店の側に対する嫌がらせに至る可能性すらあった。そのくらいに店が若者を許したことに対する「許すとは何事だ!」という不満の声は大きかった。

中には「住所氏名を晒してやれ」などという声もあった。果たしてこの若者はそこまで酷いことをしたのだろうか?

確かに酔った勢いであったとはいえ、店のモノを壊すのは悪いことには違いない。

しかしその一方で、すでに若者と店側の間で、謝罪と賠償という必要十分な話はついているにもかかわらず、なぜネットで事件を知っただけの人たちが、なぜか店の人よりもヒートアップしていたのは腑に落ちない。

また、壊れたものも券売機である。人が傷ついたわけではない。もちろん、モノであっても一点物で替えが効かない、例えば史跡のようなものが荒らされたのであればその怒りもごもっともだが、今回の被害はよくあるタイプの券売機である。現行の工業製品なのだから替えは効くのである。

実際、自分もこの事件を知った次の日、10月の30日にこのお店に食べに行ったが、券売機は普通に作動していた。ちなみに生姜のアクセントが効いた、とても美味しい味噌ラーメンであった。

確かに店にとっては不幸であったとは言え、事件としては、若者を晒し上げて叩いてやれと騒ぐほど、重大な事件であったとは思えない。にもかかわらず、一時のネットのヒートアップは傍目に見ても恐怖を感じる部分があった。

実のところ、さして重大な事件ではないから、ネットでは安心して騒げたのではないだろうか?

もし人が死んだり障害を負うような事件があったら、大半の人はそれを見て無責任に騒げるだろうか。騒ぐことによって被害者やその周りの人を傷つけることすらある。

しかし、今回の事件でいくら騒いだところで、当の若者以外は誰も傷つかないとみんな思っている。だから楽に無責任に騒いだ結果、必要以上にヒートアップしていた人がいたのではないだろうか?

それは渋谷で必要以上に騒ぐ若者にとって、渋谷という街や、ハロウィンという祭りがさほど大切ではないのと同じではないかと、僕は思う。

ハロウィンの大騒ぎは、ハロウィンさえ終わってしまえば過ぎ去ってしまう。

しかし、ハロウィンの騒ぎに乗じて、ネットが「悪」と認定した誰かの個人情報を垂れ流せは、それは誰にもコントロールのできない形で残り続ける可能性を含む。

数日で消え去るハロウィンの無法さと、永遠に残りかねないインターネットの無法さ。

少なくとも、後者側に加担しかねない人が、前者をバカにすることは、あまりに傲慢だと感じるのは僕だけだろうか?

*1:渋谷ハロウィンでラーメン屋の券売機が破損 犯人謝罪も記憶なし(ライブドアニュース)http://news.livedoor.com/article/detail/15515470/