【赤木智弘の眼光紙背】新卒学生の質が下がるのは当たり前 - 赤木智弘
※この記事は2010年08月12日にBLOGOSで公開されたものです
新卒一括採用について議論が起きているという記事(*1)を見かけたので、私も新卒一括採用に対して、一言言っておきたい。まず、企業が新卒一括採用を続けたいという理由は、あまりにもハッキリしている。
要は、前例を踏襲していれば、いくら採用した人材が使えなくても、人事部に責任は一切及ばず、新入社員という「若者」の責任ということにできるからである。
一方で、もし前例に反して、中途で採用などをした場合、もしその人材が使えなければ、前例を変えた人事部の責任ということになるから、とにかく前例を踏襲し、自分たちの立場を守っているという単純な話である。
ひとまず、不況の中で企業もなかなか冒険できないのだろう。という、善意的な解釈をしておこう。
記事中で、池田信夫が「大学が増えすぎて、学生の質が落ちたことが原因だ」との見方を示したと書かれている。リンク先の記事(*2)を読むと、かなりニュアンスが違うような気もするが、少なくとも新卒一括採用制度下で、大学生の質が落ちているというのは、あまりに当たり前の話である。
理由は単純で、学生をレベル別(大学別)に分類するための指標である「偏差値」というのは、実は勉強能力を示す絶対的な値ではなく、ある集団の中で、特定の個人がどの位置に分類されるかという、相対的な指標でしかないからだ。
別のものに例えると、今、夏の甲子園が開催され、高校球児たちが一生懸命汗を流しているが、同じ「甲子園出場校」であっても、24校の中から優勝した鳥取県の代表校と、200校弱の中から優勝した愛知県や神奈川県の代表校では、そのレベルが違うのは当然の話である。(*3)
それと同じように、団塊ジュニアという大きな母集団での偏差値70と、現在の学生という、小さくなった母集団での偏差値70。同じ偏差値70でも、勉強のデキはまったく違うのである。
「最近の若者は」というのは、古代ピラミッドの落書きにも見られたという、古来から続く愚痴ではあるが、「偏差値で割り振られる大学名」という枠内で考えるならば、同じ偏差値、同じ大学で学ぶ、最近の学生の質が下がり続けるのは、彼らが勉強してないという話ではなく、数学的な必然なのである。
当然今後も、ほぼ右肩下がりに子供の数は減っていくので、企業が新卒一括採用を無邪気に続けている限り、質の良い新入社員が御社に入社するというラッキーは期待できない。だからこそ、企業が優秀な新入社員を採用するためには、新卒一括採用を辞めるしかないのである。
もちろん、新卒一括採用を辞めるということは、これまでの偏差値や大学名に頼った人事のやり方が通用しなくなるということでもある。さらに、卒業学校での派閥争いといった「企業特殊的な処世術」も、変化を余儀なくされていくだろう。
だが、時代の流れと言うのは、そういうことである。
池田信夫はもうひとつの記事(*4)の中で、「(新卒一括採用)一時期までの製造業で有効だったことは事実」だとして、新卒一括採用の合理性を示している。
しかし、小さな板金工場の現場ならともかく、仕事がIT化されたことによって多くの仕事がデータとして規格化され、企業特殊的な技能の入り込む余地が少なくなった今、単純に労働者を囲い込んで仕事を教えるようなやり方は、非効率的になっている。
そうした状況で「仕事ができる人が欲しい」ならば、新卒学生という小さな母集団へのこだわりを捨てて、既卒や、既に働いている人にまで目を向けて、大きな母集団の中から、人を探すしかないのである。
それは、決して冒険ではなく、これからの企業が、厳しい競争の中で生き残るために必要不可欠な、まっとうな手法といえよう。
*1:「新卒一括採用」で大就職難 大学増えすぎ?採用方法悪い?(J-CASTニュース)http://news.livedoor.com/article/detail/4938841/
*2:池田信夫 blog : 大卒はなぜ職にあぶれるのか(池田信夫)http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51465063.html
*3:出場校数が少なくて甲子園に出場しやすいということで、近隣から球児が集まっていて、実はそれなりの激戦区という話を聞いたこともあるが、本当だろうか?
*4:新卒一括採用は合理的である(アゴラ)http://agora-web.jp/archives/1070769.html
■プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「「当たり前」をひっぱたく」など。