【赤木智弘の眼光紙背】社会保障は生きる人のためにある - 赤木智弘
※この記事は2010年08月05日にBLOGOSで公開されたものです
全国で、100歳以上のお年寄りの所在が不明になっている問題が相次いでいるという。(*1)調べるに、最近相次いでいるというより、こうした問題は長期にわたって存在したようである。都内の111歳の男性の場合は、死後30年経っているという疑いもある。(*2)
ごく当たり前の話だが、今の若い人たちは、年金制度に不満を持っている。
今の老人が受け取ることのできる額と、将来に若い人たちが受け取ることのできる額がまったく違うであろうことはもちろん、国民年金と厚生年金や共済年金間の格差というものもある。
収入が十分あれば、将来への投資として年金を支払うことはやぶさかではないが、収入が伸びず、非正規労働者はもちろん、正社員でも解雇や倒産リスクが高くなっている中、年金に払うお金というのは、仮に同等の負担率だとしても、相対的に大きな負担となっている。
個人的には年金は税法式にして一元化するべきだと思うのだが、年金は「俺達は働いてちゃんと年金を払ってきた」という労働者の自尊心と強く結びついており、問題を解消することは容易ではないだろう。
そうした年金不信の中で、明らかに年金の不正受給目的であるこうした事件が、槍玉に挙げられるのは当然である。
この事件は、詐欺と考えるならば、きわめて杜撰な詐欺である。人間はいつまでも生きていけるハズもなく、いつかどこかのタイミングで死亡届を出さなければならない。死亡届には死亡診断書や死体検案書といった書類を添付しなければならず、遺体を医者などに確認してもらう必要がある。当然、死んだばかりの死体と、死んで何十年も経った死体の区別が付かないということはない。そうした意味で、必ずこの嘘はいつかはバレるのである。
こうした、安直かつ、社会保障の公正性を揺るがす事件に対して、「年金を受け取っていた遺族はがめつい」と批判することは簡単である。しかし私は、年金の不正受給という話よりも、死者に社会保障が支払われてしまったというそのものに対して、いらだちを感じている。
私は「戦死者たちは日本を守って死んだのだから、靖国の英霊を大切にしなければならない」とか「戦死者経ちは日本を守って死んだのだから、二度と戦争を起こしてはならない」という論じ方が嫌いである。なぜならこうした論じ方では、死者の存在がヒエラルキーの頂点となって、生者はまるで死者に隷属しているかのように思えるからだ。
社会保障も、本来は生者のための保障である。生きて生活している人が、より良い生活をおくることができるために支払われるべき保障である。
しかし、年金と医療という老人優遇に偏った日本の社会保障制度は、どうしても「生きている人に対する保障」というよりも「働くことができなくなった人への保障」のイメージが強い。このことが「働けるのに社会保障をうけるなんて!」という、現役世代へ向けた社会保障の充実に対する偏見に繋がっている。
老人という分類は「生きて生活している人の一部」に過ぎない。一部に社会保障が偏在し、現役世代が不満を持っているという状況において、公平性というのは、今一度議論されるべき問題である。
ただし、現状の日本では「払っている人がもらえて、払ってない人がもらえないのが公正だ」という安直な結論になりそうだという危機感はある。社会保険庁も「払わないひとはもらえないから、年金制度は安泰である」などと、年金制度を国民が等しく得られる社会保障として認識することを否定しているようである。それでも、議論の果てにそうした結論が出たということと、議論もせず結果としてそうなっているというのでは、国民の問題意識としてはまったく異なってくるだろう。
これまでの社会保障制度に対するありようを議論するための材料として、今回の件は重要である。決してこの問題を「死亡を隠して年金を受け取っていた遺族だけの問題」という風に矮小化して、止め置くべきではない。
*1:<高齢者不明>全国で100歳以上の男女18人 所在不明に(毎日新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100803-00000095-mai-soci
*2:111歳男性 30年前死亡? 足立区 年金1000万円、不正受給か(産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100730-00000106-san-soci
■プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「「当たり前」をひっぱたく」など。