【赤木智弘の眼光紙背】衆議院と参議院は積極的にねじれるべき - 赤木智弘
※この記事は2010年07月15日にBLOGOSで公開されたものです
参議院選挙が終わった。議席数で言えば、自民党が民主党に一矢報いた形にはなる。
確かに、比例代表の票数を見れば、民主党の得票は落ち、唐突に消費税増税論をぶち上げるなど、鳩山政権から性格を大きく変えた菅政権に対して、国民が意義を申し立てた形にはなっている。しかし、その一方で自民党の獲得票数も落ち込んでおり、また民主党を上回ったわけでもないことから、民意が民主党の代わりに自民党の復権を求めたとはいえないだろう。(*1)
にもかかわらず、議席数が大きく変化し、さも自民党が勝利を収めたかのようにみえるのは、選挙区において、一人区の多くで自民党が勝利を収めたからである。
参議院選挙は衆議院選挙と違い、小選挙区制ではないが、全体の定数が242人と衆議院よりも少なく、さらに3年に1度、半数ごとの改選となることから、少ない議席を各県に割り振るために、結果として一人区が多くなり、小選挙区のような性格となっている。
マスメディアは、今回の選挙の結果「ねじれ国会」が復活したという。
しかし、私はねじれ国会という状況自体は、むしろ二院制のありようとしては正しい状況であるとは感じている。ただし「現状のねじれ方」に関しては、あまり適切なねじれ方であるとは思わない。
日本の国会は、衆議院と参議院の二院制を採っているが、院が2つあるからには、やはりそれぞれが異なる立場の利益を代弁する方が、民主主義的手続きとして好ましい。しかし、先ほど述べた理由により、参議院選挙は小選挙区+比例代表である衆議院選挙と、きわめて似通った選挙制度になってしまっている。そして実際に「小選挙区マジック」によって、比例代表で見れば民主党よりも支持率で劣る自民党が、改選第一党となった。
そうした意味で、現状の選挙制度では、衆議院も参議院も、二大政党制を志向した選挙制度になってしまっており、参議院が本質的に持つはずの「オルタナティブ性」が失われてしまっている。
つまり、確かに「民主党VS自民党」というレイヤーにおいて、確かに国会は「ねじれ」ているのではあるが、「衆議院と参議院」という国会の本質的な意味においては、むしろ「ねじれが解けてしまっている」のである。
やはり二院制には、異なる選挙制度において、それぞれ質の異なる議員を国会の場に送り込む事が期待されている。それが単純に「衆議院の前哨戦」のような性質を帯びてしまうのでは、参議院の必要性が疑問視されるのも無理はないといえよう。
では、具体的にどのような選挙制度を参議院が採るべきかといえば、衆議院が小選挙区で「地元の人たちの利益を代弁する代議士」を国会に送り込む性格であるとすれば、参議院は「大きな選挙区で団体などの利益を代弁する議員」を送り込むぐらいの変化は必要であろう。個人的には参議院はすべての議席を比例代表で争うべきであると思う。
そうして、さまざまな小さな政党からひとりふたりが国会に送り込まれ、マジョリティーと異なる利益を代弁するような体制をとる事は、日本の民主主義を単純な多数決のパワーゲームにしないために重要であると考える。
衆議院と参議院は、その性格を積極的にねじれさせるべきなのである。
*1:<参院選>比例代表の得票数 民主2000万票を割り込む(毎日新聞)
■プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「「当たり前」をひっぱたく」など。