※この記事は2010年06月03日にBLOGOSで公開されたものです

インターネットでやり取りされたすべての履歴を元に、広告を送付するサービスに対し、総務省が容認の姿勢を示していると、朝日新聞が報じている。(*1)

なんか難しい事が書いてあるように思うが、要はネットというインフラを使う上で、見える情報は全部、広告業のネタとして使おうという広告手法を、総務省が認めるかもしれないという話である。
これを郵便で例えるならば、田舎の家族に「干し柿おいしかったよ、ありがとう」と、お礼の手紙を書いたら、郵便局にある機械がその文面を読み取り、機械を置いた広告業者から「この顧客は干し柿を欲している」と認識され、干し柿の広告が送られてくるようなものである。

真っ先に問題視されるべきは、こうした広告手法が「通信の秘密」を破り、企業利益と個人情報を直接結びつけてしまう問題である。
総務省の資料(*2)によれば、こうした広告手法に対して「通信当事者の同意がなければ許容できない」とはしているものの、機器の設置によって利益を得たい通信事業者が、同意をしなければサービスの利用がしずらいような仕組みをユーザーに提供する事も可能であろう。
そうした問題は携帯電話では既に「個体識別番号」で発生しており、個体識別番号、すなわち携帯電話一台一台に設定されたユニークIDを通知しなければ利用できない、もしくは利用しにくい携帯サイトも少なくはない。
こうして得られたデータが、本当に広告だけに使われるならまだマシだが、なにせDPI技術によって得られるデータは、メールの内容から買い物情報、アクセスしたサイトもバッチリ分かる「有用」なデータであり、広告以外に悪用される可能性はきわめて高い。
例えば、ある企業が新入社員を採用しようとしたときに、応募者のデータの中に「R-18ゲームの購入履歴」があったらどうだろうか? 企業はその応募者を「会社で問題を起こしかねない犯罪予備軍」とみなし、採用しない可能性は高い。そして応募者は不採用の本当の理由を知らされぬまま、自己責任論に嘖まれる事になる。
このように、もし情報が悪用されたとしても、我々は悪用されている現実を知ることはできない。だからこうした情報の利用には、慎重にも慎重を重ねる必要がある。
だいたいDPIのための機器を設置しようとするような業者は、自分のサイトの範疇ではなく、通信の大元に機械を設置して個人情報をぶっこ抜きしようとする、人をデータとしてしか思っていないような広告業者である。情報に対するモラルを期待する事はできない。彼らがいくら「個人情報は守る」といっても果たして信頼できるのかどうか。
もし、DPIを導入するにしても常に第三者機関が機器の挙動を監視するなど、徹底的に透明性を確保すること。また、情報流出の際には、流出させた人間の人生を左右する可能性すらあるのだから、それ相応の重罰を設定し、被流出者への完全なケアを実施するなどの規制が必要となってくるだろう。

だが、それよりももっと根源的な問題が存在している。
そもそも、我々はそこまでして広告を欲しているのだろうか?
私は、こうした広告手法は、ユーザーに対する「愚弄」であると思う。
干し柿の例を考えれば分かるが、こうしたメールのやり取りの場合、ユーザーが欲しているのは田舎の家族とのコミュニケーションであり、決して単純に干し柿を求めているわけではない。それが単純に「干し柿に対するニーズ」と変換されてしまうことに、私は不快感を感じざるを得ない。そんな業者から、果たして誰が商品を買いたいと思うだろうか?
ネットにアクセスし、さまざまなサイトを見たり、メールのやり取りをしたりすることは、私たちの多様な経験の1つであり、かけがえのないものである。
そうした「人間」の経験そのものが、広告業者に切り刻まれ「お前はこういうものを欲している人間だ!」と暴露されること自体に、私は嫌悪を抱かずにはいられない。
そんな、人間を不快にするような広告になど、存在価値はない。

*1:「ネット全履歴もとに広告」総務省容認 課題は流出対策(朝日新聞)http://www.asahi.com/business/update/0529/TKY201005290356.html
*2:「利用者視点を踏まえたICTサービスに係る諸問題に関する研究会」第二次提言の公表(総務省)http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02kiban08_02000041.html

プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「「当たり前」をひっぱたく」など。